エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

法の支配 the rule of law と恣意的支配

2014-11-26 14:11:10 | エリクソンの発達臨床心理

 

 法の支配。民主主義の原理の一つだと思われますが、ここで言う「法」とは、基本法、日本では憲法がこれにあたるそうですね。

 ですから、憲法が、日本の政財官だけではなくて、日本人ひとりびとりの日々の生活に浸透していることが必要ですね。でも、この法学専門でもない私が、その全体像をお話するだけの知識も経験もありません。残念でした。

 法の支配は、専制君主だけじゃぁなくて、誰かさんが恣意的な支配をすることを防ぐことがポイントでしょう。その一つがコンプライアンス。基本法以外の法も守りましょう、というもの。

 私の関わる職場でもコンプライアンスは大事ですね。教育の場ですから、当然でしょ。でもね、一番耳にするのは、児童憲章や子どもの人権の話じゃぁない。そうじゃぁなくて、交通ルールを守りましょう、特に飲酒運転は禁物、というもの。何故なんでしょうね? これは、コンプライアンスの話じゃないんですね。マスコミ対策なんですね。打たれたくない…。

 私がかねてからおかしいと思っているのは、法定労働時間。コンプライアンスを真面目にやろうとすれば、当然、8時間労働、という労働基準法の条文も、守ることが大事。でも、学校では、8時間労働が終わった後でも、延々学校に残っている。今や役場も同じですね。昔は、市役所と言えば、定時退庁が当たり前。でも今は昔。市役所でも、20時くらいまで残っている人がざらにいますよね。

 労働基準法という法律が守られていないんですね。そうすると、恣意的支配の始まり始まり。「長時間労働≒組織への忠誠」みたいになる。ヨーロッパのように「超過勤務≒仲間への裏切り」と考える、本当のワーク・シェアリングとは真逆です。

 「長時間労働≒組織への忠誠」と考える組織では、その幹部の眼が気になり出します。そうなると、「上」にはおべんちゃら、「下」には嘲り までが、始まり始まり。そうした組織は遠からず末路が決まってるのにね。

 ルール・オブ・ロー法の支配→法治主義は、今のあなたが所属する組織の民主化のためにも、きっと役立ちますぞよ。

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日本社会の狂気

2014-11-26 11:24:33 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 昨日は、現代人が、人を大事にできない、ということを抽象的に言った部分。今日はその具体的な部分。

 p81第2パラグラフ、11行目途中から。

 

 

 

 

 

このようにして、結婚相談員が私どもに教えてくれることと言えば、「旦那さんはおくさんを『理解してあげて』、奥さんの助けになってあげて」ということです。また、「『新しいドレスが素敵』だとか、『料理がおいしいね』だとか、奥さんに言ったほうが良い」というわけです。その代わりに、「『奥さんは、旦那さんが疲れている時や機嫌が悪い時には、旦那さんのことを理解してあげてね。』だとか、『仕事がうまくいかないときには、旦那さんの話を心を込めて聞いてあげてね。』だとか、『自分の誕生日を忘れられた時でも、怒っちゃダメ、理解してあげてね』だとか」という訳ですね。こういった関係すべては、結局はおべんちゃらの関係なのであって、その2人は、あらゆる生活部面に渡って、見知らぬ者同士、「本音の関係」からはほど遠いものです。ただ、その2人は、お互いに相手を丁重に扱おう、気分を害さないようにしようというだけです。

 

 

 

 

 現代人の人間関係の指摘としては、誠に的を射ている部分でしょうね。とにかく上辺の関係です。本音の付き合いとは全く違います。ビジネスライクそのものですね。

 それでも、ビジネスにおいてはそれでもいいでしょう。でも、パートナーとの関係や子どもとの関係はそれていいのかしらね? 大人ならまだしも、子どもは上辺の付き合いだけじゃぁ、育ちませんね。それは火を見るよりも明らかです。子どもを産んでおきながら、親の帰宅が20時以降じゃぁ、無責任ですね。欧米人が、まともな人権感覚があれば、「不可思議」に思う方が当たり前。でもね、日本じゃぁ、「20時以降の帰宅」の方が当たり前。つまり「無責任が当たり前」になっているところに、日本社会の狂気がハッキリとあらわれている、と私は考えます。

 

 

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人生の巡り合わせを見つめると…。

2014-11-26 06:25:51 | アイデンティティの根源

 

 基本計画は、最初に決まって後は動かない、というのじゃなくて、それぞれの部分が後々になって発展するというのが、エピジャネティックなものの考え方。後からだんだんできてくるという意味の漸成説、後成説と呼ばれることもあります。

 p225第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 私はこの4住期にまつわる諸々の関係を議論出来るなどと思っているわけではありませんし、この理想的な概念化を、人生の巡り合わせに対するエピジャネティックな見方と比べよう、などと言うものでもありません。しかし、この2つの概念が似ているのも事実です。少なくとも、見習い期間、ブラフマチャルヤに理想を教える点と、ガールハスティア、家庭持ちの時期には倫理を教える点で、ここで示した(エピジャネティックな見方)と一致します。

 

 

 

 

 見習い期間、ライフサイクルでは青年期には、理想を学び、家庭持ちの時期、すなわち、成人期には、子どもに倫理を教える。その点で、4住期とライフサイクルの見方は重なりますね。エリクソンがインド哲学の真似をしたのかな? 

 そうじゃないだろうと思います。洋の東西を超えて、人生の巡り合わせには共通点がある、ということです。

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