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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

1人の人が家庭で4人も5人も介護する社会つて?

2014-11-11 14:34:10 | エリクソンの発達臨床心理

 

 昨日のクローズアップ現代。ご覧になりましたか? 愛着障害の子どもがこんなにたくさん、こんなにヒドイ状態であるのも、日本社会の「豊かさ」にあるウソとゴマカシ、「人間らしい暮らし」からは程遠い現状の歪に由来すると思いますが、多重介護も、同じ歪みが現れている、と感じましたね。

 その現状を打開するためには、「人権」=「人間らしさを実現していくことは正義」という考え方が必要です。昨日のクローズアップ現代でゲストだった、日本ケアラー連盟代表理事の牧野史子さんも、人権について語ったおられましたよね。

 では、なぜ、人権なんでしょうか? それは人権を尊重し、具体的に政策化、実現していく義務が政治にあるからです。その責任が時の政府にあるからです。

 ですから、私どもは、人権が踏みにじられている現状を直視し、その声にならない声を政治に世界に反映するために、日々政治をチェックし、実際に声を上げていくことが非常に大事です。 

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資本主義の自由度

2014-11-11 11:31:54 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ひとをだいじにすることができないのが、今の時代の特色のようですね。みんなシステムのロボットになっているからですね。無思考の「悪の凡庸さ」です。

 p121の第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 私が確信していることは、人を大事にすることと「普通の」暮らしが、絶対的に両立できない、ということが正しいのは、抽象的な意味においてだけだ、ということです。資本主義社会の根底にある「原理」と人を大事にする「原理」とは、両立しがたいものです。しかし、現代社会を正しく見れば、それは複雑な現象です。たとえば、役にも立たない商品をセールスするセールスマンは、ウソをつかなくては、経済活動ができません。熟練労働者、化学者、内科医。同様に、農家、労働者、教員、いろんなビジネスマンだって、経済的な活動を止めないと、人を大事に思えません。資本主義の原理と人を大事にする原理が両立しがたいと分かったとしても、「資本主義」そのものは、複雑ですし、常にその構造を変化されていることも知らなくてはなりません。その構造の変化は、2つの原理が一致しないこととも大いに許せば、個人の自由の範囲も大いに許すのですから。

 

 

 

 

 資本主義も個人も、その自由度が大きいからでしょう。資本主義の原理と人を大事にする原理が両立しなくても、2つの自由度の大きさがあればこそ、現実には一致する可能性があることを、フロムはほのめかしているのでしょう。

 

 

 

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世界のメインテナンス?

2014-11-11 07:28:09 | アイデンティティの根源

 

 子どもが心を病んでしまうのか、それとも、健全でいられるかは、子どもと大人(親や保育士・教員)とがやり取りのある関係を日々しているのか? それとも、上下関係になっているのか? で決まります。これは抽象論などではなくて、至極具体的な話です。今多くの子ども、小学生の半分以上が、愛着障害という心の病を病んでいるのは、子どもがやり取りのある関係に恵まれず、大人から相手にされていないからですよね。

 p220の1行目途中から。

 

 

 

 

 

しかし、このことによって、私どもは、大人から子どもへと世代が繋がるときの、個人の役割へと、また、発展した秩序へと思い至ります。あなた方(インドの人々の)「聖書」では、Lokasangraha(サンスクリット語で、「世界の発展」の意)、つまりは、「世界のメンテナンス」(ラーダークリシュナン教授の翻訳で)へと思い至ります。事例史と生育歴の研究を通して、私ども精神分析家は、ある程度は宿命的で、ある程度は実り多い、やり取りのパターンが、一番具体的なカテゴリー(親と子、男と女、教員と生徒)の中に、あることが、ハッキリわかるようになりました。この具体的なカテゴリーが、大人から子どもへと世界をメインテナンスする際に重荷をもたらすことになります。私どもが倫理について気付いたことの意味に、私が心奪われたのは、私がこちらに参る前でして、皆さんが良くご存じのように、ここインドでの、数か月にわたって活発な議論によって、私の関心が誤りでなかったことを示してくれました。ですから、私が教える際によって立つところをお話し、皆さんとの議論をする中で、さらに豊かな学びをしたいと思います。

 

 

 

 

 

 実に見事な導入部ですよね。関根正雄先生のような謙虚さがにじみ出ている物言いです。

 親と子、男と女、教員と生徒。その関係が、やり取りのある関係なのか? 支配と従属の関係なのか? それが決定的です。日頃は、忙しさにかまけて、そんなことは考えもしない生活でしょ。オートパイロット、自動操縦に、生活全般がなっちゃってて、内省が、自省が、自己内対話が足りません。

 繰り返し申し上げます、この世の中で、やり取りほど大事なものなど、何もない!! ってことを。 

 

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