エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

黄金律の知恵 不思議な一致

2014-11-13 14:07:27 | アイデンティティの根源

 

 黄金律には、不思議な魅力がありますよね。

 p220の第3パラグラフ。

 

 

 

 

 

 黄金律は、人間の実存にある根源的な矛盾の一つに関心があることは明らかです。ひとりびとりの人間は、自分自身を、別々の身体、自己意識のある個人、宇宙についての自分の気付き、死亡率100%と呼びます。しかし、ひとりびとりが分かち合っている、この世の中は、他の人も認め、分別を下す現実であると同時に、終わりなきやり取りに身を委ねなくてはならない関わり合いです。これは、カルマと言う原理として、皆様の聖典にも、出てきます。

 

 

 

 

 人間も多義的ですし、この世の中も多義的です。そのそれぞれには、矛盾も含まれるのでしょう。

 でも、矛盾の中に一致もある、ところが、不思議ですね。黄金律もその不思議な一致をもたらしてくれる、知恵ですよね。

 

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機械仕掛けの人間

2014-11-13 11:22:15 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 現在のシステムの力は、個人の力を圧倒しますでしょ。意識的に、同調主義に傾かない心の姿勢が必要です。

 p122の12行目途中から。

 

 

 

 

 

人を大事にすることこそが、人間の実存的課題に対する唯一の合理的応答であると、真面目な関心を示す人がいたる結論は、今現在の社会構造を、大規模に、根本的に変革しなくちゃぁ、いけない、ということです。それは、人を大事にすることが、1つの社会的で、それほど個人的じゃぁなくて、周辺的な現象になった場合には、社会を変えなきゃ、という訳です。こういう社会変革の方向性は、この本の射程内では、仄めかす程度です。私どもの社会は、管理主義の官僚と職業政治家が回しています。人々は、みんなが言っていることに動機づけられていますし、人々の目当ては、大量生産、大量消費で、自己目的です。すべての活動は、経済的目標に従属し、手段が目的となってしまっています。人は機械仕掛けなんですね。食べることに困らず、身なりものそれなりだけれども、自分ならではの持ち味を生かすような究極的な最深欲求を見失っているんですね。

 

 

 

 

 今の人は、衣食住が足りても、生きている意味が分からず、自殺したり、身体を売ったり、人を傷つけたりするのは、機械仕掛けになっているから。日々の生活がオートパイロット、自動操縦になっているからですね。アンパンマンの問い、「何のために生まれ、何をして生きるのか」を問う自省をしていないからなんですね。

 最深欲求に応え続けるためにも、1人の時間に味わる「単独之幸福」が何よりも大切です。

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≪私≫の中には、≪約束≫がある

2014-11-13 08:01:48 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「私には夢がある」と言ったのは、かのマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師。夢があることは、人間が日々心豊かに、そして、意識的に生きていくうえで、非常に大事なものですね。

 でも、今日お話したいのは、「夢」ではありません。≪約束≫です。しかも、「私には≪約束≫がある」というんじゃぁ、ありません。「≪私≫の中には、≪約束≫がある」というんです。

 それはどういう意味なのかな?

 2つの意味がありますね。

 1つは、≪私≫は≪約束≫がないと育たない、ということ。

 ≪私≫は、赤ちゃんが、お母さんを見上げて、2人が≪見つめ合う≫事に始まります。≪見つめ合う≫時、おっぱいをあげたり、オシメを取り換えたり、あやしたり、があります。そうすると、おっぱいのあげ方に、オシメの取り替え方に、あやし方に、そのお母さんとその赤ちゃんに特有のパターンができますでしょ。それは繰り返しの中に、自ずから生まれるパターンです。すると、赤ちゃんは、それぞれの時のパターンを予測するようになります。おっぱいを貰う時に、「こういうパターンだな」と感じて、そのような見通しを持つようになります。その≪見通し≫に対して、お母さんか「ハイ、おっぱいが欲しいのね」などと、≪話し言葉≫を添えます。そして、実際に、お母さんが赤ちゃんにおっぱいを含ませることによって、その≪見通し≫を確実に≪出来事≫にしていくわけです。ここでしていることを定式化して申し上げると、お母さんが赤ちゃんに「献身」することによって、赤ちゃんは、≪見通し≫、≪話し言葉≫、≪出来事≫を一致させる、ということでしょ。赤ちゃんがこの3つを一致できるのは、赤ちゃんの≪見通し≫を裏切らない、お母さんの「献身」が必ず必要です。

 これは、別にお母さんが赤ちゃんと、契約書を交わしたわけでも、約束をした訳でも、口約束さえした訳でも、ありません。でもね、お母さんの「献身」は、最も誠実な≪約束≫を、忠実に履行する態度がないと、「献身」になりませんでしょ。そうして初めて、赤ちゃんの中に「≪私≫という感じ」が芽生える訳ですね。ですから、≪私≫は≪約束≫なしにはあり得ません。赤ちゃんの時期以降も、≪私≫が育つためには、≪約束≫が必要です。詳しくは、また、別の機会に。

 もう1つのは≪私≫の核の一つに良心がありますが、この良心という言葉が、≪約束≫を意味している、ということ。

 良心は英語で、conscience。conscienceは、con(共に)+science(見て知る)、「共に見る」という意味です。語源を遡ってみると、ラテン語では、conscientia(con=「共に」+scientia=「知ること」)で、やはり、「共に見る」ということですし、さらに遡ると、ギリシャ語のσυνείδησις(συν=「共に」+είδον<όρϖ=「見る」「見て知る」「見て分かる」〉syneidesis(シュネーデシス))になるますから、これも「共に見る」ことでしょ。しかもこれは、英語に限ったことではなくて、ドイツ語でも、Gewissen、フランス語でも、conscience、イタリア語でもcoscienza、など、いずれも「共に見る(知る)」という意味です。さらにさらに申し上げれば、意識も、英語やラテン語やギリシャ語その他の西洋語で「共に見る」という意味です。

 「共に見る」ことは、眼の前のことを「共に見る」ということを意味するだけじゃぁ、ありません。同時に、未来のことを「共に見通す」ことでもあります。「共に見通す」ということは、すなわち、≪約束≫なんですね。ですから、言語学的に申し上げても、≪私≫≒「良心」+「意識」ですから、「≪私≫の中には、≪約束≫がある」、という訳です。

 「≪私≫の中には、≪約束≫がある」、のですから、子どもの≪私≫を育てたいと思う方は、子どもとの≪約束≫を何よりも大事にしなくちゃね。

 

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