エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

真実とは

2014-11-14 15:33:07 | アイデンティティの根源

 

 

 
青年ルターの略歴と最深欲求
  ベンジャミン・ザンダーのプレゼンテーション、貼り付けておきます。http://www.nhk.or.jp/superpresentation/ba...
 

 黄金律も、矛盾のあるところに一致をもたらす不思議な力があるものですね。

 p220最後の行から。

 

 

 

 

 

 自分の利益と他者の利益を同じだと見なすために、黄金律は次のような方法をとっています。たとえば「あなたが人からして欲しくないと思うことを、人にするな」と蛍光したり、「あなたが人からして欲しいと思うことを、人にして差し上げなさい」と熱心に勧めたり。心理学的な願いにとって、ある黄金律は、「自己中心的な用心深さ」を一番少なくすることに頼る場合もあれば、別の黄金律は、「利他的な共感」を最大にすることに頼っています。「自分がされたら嫌なことは、ひとにやるな」という公式は、小さな子どもが、つねり返されたくないからつねるのを思いとどまる心理レベルに勝ることに前提にしていません。もっと成熟した気付きは、「自分のために大事にしていることを兄弟のために大事にするまで、だけも信じるものではない」という言葉にあるように思われます。しかし、黄金律のすべての中で、ウパニシャッドの「全てを自分の中に見い出す者は、全てに自分自身を見い出す」や、キリスト教の「自分自身を大事にするよう、身近な人を大事にしなさい」ということほど無条件に、私どもと約束してくれるものはありません。これらは真実に人を大事にする気持ちと「本当の自分」に真実に気付かされることをも示しています。もちろん、フロイトは、このキリスト教の格言を上手に幻想から区別していますし、この格言の真実を広めることや、フロイトの方法が実際に依って立つことに皮肉を言うことを否定するのです。

 

 

 

 

 

 黄金律は人の真実を示しているのです。不思議ですね。バラバラに見える人と人は、眼に見えないレベルで繋がっているんですね。それを黄金律ははっきりと示してくれます。

 フロイトもその事実に気付いた1人。その契機がフロイトの場合、無意識だったんですね。

 

 

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人を大事にする社会を作るには。

2014-11-14 12:52:12 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 矛盾の中にも一致点を見出すのは、黄金律の実践的特色を示していると思います。

 p220下から6行目途中から。

 

 

 

 

 

人を大事にできるならば、それは最高でしょ。経済的装置は人の役に立たなくちゃあ、なりませんし、人が経済装置にためにあるんじゃぁありません。人は経験を分かち合い、仕事を分かち合うことができなければなりませんし、それは、せいぜい利益を分かち合うのとは全然違います。社会は、人がやり取りして、人を大事にできることが、その人の社会的実存と別々になるんじゃなくて、やりとりがあり、人を大事にすることと社会的実存が一致するように、組織されなくちゃぁなりません。

 

 

 

 

 ここを読むと、日本の現状が真逆なのが分かりますよね。やり取りに乏しいし、人を大事にすることもなかなかできない社会でしょ。自分のことだけ、という人がどうしても多数派。自分のことだけしていても、自分のことさえできないことも知らないでね。

 それでも、心ある少数の人が、やり取りと人を大事にすることを旨とする活動をしているのも事実。それを政治に活かすために、私どもは今度の選挙を活かしたいものですね。

 

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菜根譚 根っこの話し

2014-11-14 06:43:41 | エリクソンの発達臨床心理

 

 菜根譚。私は知りませんでしたね。今月の「100分de名著」。取り上げられているのが、明時代(日本だと、戦国時代から江戸時代初期)に洪自誠(こう じせい)の手になる『菜根譚』。根っこの話というこの本は、解説者の大阪大学大学院教授、湯浅邦弘さんによれば、儒教、道教、仏教を取り入れた「中国最高傑作の処世訓」だとか。

 私は、臨床心理の一学徒として、関心があるのは、≪私≫を育てること。件の「100分de名著」では、第4回11月26日、これから取り上げられます。タイトルは「人間の器の磨き方」。ですから、「令器」になること、立派な器になることが目標となります。

 そこで、湯浅さんが取り上げていることのいくつか。

 1つは自分の向かい合うこと。当然ですね。改めに語る必要もないくらい。

 もう1つは、ゆとりをもつこと。ゆとりを持たずして、自分と向かい合うことなどできないからでしょう。

 それから、高い志を持つこと。これは三浦雄一郎さんが言う「高い目標」と考えていいでしょうね。高い目標を持つことが、日々刻々を意識的に過ごすことに繋がるからでしょう。

 そして、言葉。眼の前の人が必要としている言葉を、サッとさりげなくプレゼントすること。言葉は尽きない泉から出てくるのですから、無限です。

 儒教を軸として、道教、仏教のエッセンスを凝縮してできた『菜根譚』が教えてくれる人生訓。不思議にも、キリスト教が教える人生訓、「(御)言葉に生きる」ことに通じています。

 

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