エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ルターのマインドフルネス 

2015-05-16 10:23:52 | アイデンティティの根源

 

 ルターは、関根正雄先生のように、該博な知識を持っていながら、常に謙虚で、人の話を聴くような人だったみたい。どこかの大学(院)教授のように、よくも知らないことを、いけしゃあしゃあと、知ったかぶりしてヒケラカスだけでなく、「あなた達もやってみて」などと言う輩とは、全くの別次元、比べるのもオコガマシイ、申し訳ありません。

 Young Man Luther 『青年ルター』p200の第2パラグラフ下から5行目途中から。

 

 

 

ルター最初の詩編講義は、道半ばの仕事という印象でした。ルターの神学的主張が明快になるのは、ローマの信徒へのパウロ書簡についての講義(1515-16)まで待たなくてはなりません。しかし、ここで私どもが関心があるのは、デッカクなっていた、自分を確かにさせられない危機をどうやったら解決するのか、という解決策であって、神学の完成ではありませんから、純粋なルター主義が、最初の詩編講義のおいて登場したことに絞って、議論していこうと思います。

 

 

 

 

 ルターの関心は、神学の完成にあるばかりではなくて、マルティンがどうしたら自分を確かにさせることができるか(そして、ルターになるのか)ということでもあったんですね。逆に言えば、マルティンは、自分を確かにさせるためにはどうすりゃいいか?を解決しようとしていて、結果的に自分を確かにさせただけではなくて、新しい神学も確立することができた、と言えるんですね。おもしろいでしょ。

 

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心、ないしは、魂が生まれるところ

2015-05-16 09:44:46 | エリクソンの発達臨床心理

 

 朝三本足、昼間二本足、夕方三本足、さて、なあに?

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p40の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 

 生まれたばかりの赤ちゃんは、横になっていますが、少しずつ、上を見上げて、自分を覗き込み、打てば響くごとく反応してくれる、お母さんの顔を探しています。精神分病理学によれば、この眼と眼が交わる関係(ジョアン・エリクソン、1966)が育つことが、心、ないしは、魂の発達にとって、欠くべからざる「対話」であると教えてくれますよね。あるいは、現実には、眼と眼が交わる関係が育つことが、全ての人が生き残ることにも、欠くべからざる「対話」であることも分かります。それは、赤ちゃんの口とお母さんのおっぱいの関係が、全ての人が生きてく上で、欠くべからざる「対話」であるのと同じです。

 

 

 

 

 あらゆる人間関係の基が、この「眼と眼の関係」に始まります。眼と眼の関係があらゆる対話の始まりです。その対話から、心、ないしは、魂も誕生します。

 なぞなぞの答えは、まだ。

 

 

 

 

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#悪魔の安倍晋三首相のマゾとサド #対話ができないマザコン宰相 お病気が重たいようですね

2015-05-16 03:06:32 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
今の日本人は、たいていマゾかサド!
  馴れ合いの受身形は、奴隷の始まりでしたね。それじゃあ、その能動形は? が今日の話題です。p.18最終行から。 &nb...
 

 日本人は、たいてい、マゾかサド、あるいは、同じ人がマゾであり、サドでもある。それが、エーリッヒ・フロムが、The Art of Loving 『関係に誠実である能力』の中で、明瞭に示していることです。平均的日本人は、たいていマゾ+サド。

 安倍晋三首相も、祖父、父の2×7光ですから、一見派手に見える場合もあるかもしれませんが、極めて平均的な人でしょう。ですから、ご多分に洩れず、マゾ+サドですね。どうしてそうな風に言えるのでしょうか?

 マゾ+サドの人は、どんな人とも対等な人間関係が結べません。それは、昨日のブログで、加藤周一さんが『日本文化の時間と空間」の中で、 「外国は日本共同体からはるに遠い存在である。彼らは教師(上)であるか、敵(下)であるか、その双方(上かつ下)であった。日本国は中国とも米国とも、また他の外国とも真に対等な交流関係を経験したことがなかったし、周知のように今でもない」といってたことと関係します。この加藤さんの言葉は、基本的には、外交のことを言っているんですけれども、同時に、日本人の平均的な行動様式も示してんですね。

 日本人は、たいてい、エリクソンが言う「人間を上下2つに分けるウソ」を大なり小なり、熱心に、あるいは、何となく、信じている場合が非常に多い。このウソの信者さんの基本的な行動様式が、マゾ+サド、なんです。「上」、「強い」、「得」には、サドとして振る舞います。つまり、奴隷的に隷従し、オッポを振り、太鼓を持ち、媚を売ります。安倍晋三首相の場合は、それがアメリカになります。でもね、皆さんも、会社の上司、学校の先生、地域のボスに対して、同様な態度ではないでしょうか? あるいは、「下」、「弱い」、「損」には、サドになります。相手の話は聞かず、聞いても無視して、エバリちらし、怒鳴りちらし、嘲笑い、バカにします。安倍晋三首相の場合は、それは沖縄であり、辺野古移設反対派であり、原発反対派であり、後藤健二さんです。でもね、あたなも、部下、子ども、地域の弱者、障害者、高齢者、1人親などの人に対して、同様な態度ではないですか?

 安倍晋三政権は、永遠に葬り去らなくてはなりません。でもそれだけじゃぁ、全く不十分ですね。問題なのは、私どもの「人間を上下2つの分けるウソ」(イメージ、信念)ですし、それに伴う太鼓持ちやあざけりの言葉(はなし言葉)ですし、媚を売り、おもねる態度と、エバリちらし、バカにする態度(実体・できごと)ですね。

 ですからね、私どもは「人間皆兄弟」(イメージ・信念)と、肯定的な言葉(はなし言葉)と、対等な人間関係(態度・実態・できごと)へと、意識的に、積極平和的に、舵を切ることですね。

 

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