エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

本音の信頼 喜びの福音 改訂版

2015-05-05 21:43:58 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ルターは毎日説教をしました。毎日ブログを更新する人もいます。

 Young Man Luther 『青年ルター』p198の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ルターにとって、心の中の囁き、本気の声、心の中でやり取りする声は、一種のサクラメント、典礼になりましたし、その声は、キリストの体が神秘的に現れることと同然であるか、それに匹敵することにさえなりました。ルターは、自分が何年もの間、苦しんだおかげで身に着けた、本音の(実態のある)信頼を、福音として伝える伝道者である、と自認していたことに、間違いありません。すなわち、自分の中で育まれた好意を言葉にしたいので、プロの話し手と競いたいなどと言うのではなくて、どんな人でも分かるように、市民の人々に向けて話したいと願いました。「あなたは説教しなければならない。母親が自分の子どもに乳を含ませるように、かみ砕いて説教しなくてはならない」とルターは言っていました。

 

 

 

 

 ルターは自分が病んで学んだことを、市井の人が理解できる福音、実体のある信頼として、本音の信頼として伝えたのでした。ですから、その福音を耳にした人は、自分のことが語られていること、そこに本物の悦びがあることを実感したはずです。

 

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「無理矢理に入る」やり方+「すべてを飲み込む」やり方

2015-05-05 19:59:00 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「ガマン」と「出す」と言うお尻の働きが、心の働きにも、対人関係の働きにもなるでしょ。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p37の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 「無理矢理に入る」やり方は、3つ目の舞台の大部分の行動を司るものですが、「幼児性的」ないろんな行動、すなわち、様々なまとまりのある「似たような」いろんな活動を特色付けます。すなわち、いろいろと動いて、空間に「無理矢理に入る」し、身体をぶつけて、他者の身体に「無理矢理に入る」し、攻撃的な音を立てて、人の耳や心に「無理矢理に入る」し、食い入るような好奇心で未知なるものへと「無理矢理に入る」訳です。同様に、「すべてを飲み込む」やり方は、このような攻撃的な行動の、ビックリするほどの代わりになる場合があります。それも、たとえ熱心であっても、静かに受け止めることが伴います。しかも、仲間らや小さな子どもたちと、優しくて保護的な関係を作るための、想像上の材料や心構えに関して、静かに受け止めるんですね。現実に、ペニスやヴァギナが初めてリビドー化するのは、自慰遊びやエディプス的な空想の中でしょ。ただし、条件が許せば、大人のセックスの真似っ子を含めた、2人の性的な遊びの中で、演じられる場合もあります。

 

 

 

 

 面白いでしょ。「無理矢理に入る」奴もいれば、「無理矢理に状況を打開してくれる」方もあります。「すべてを飲み込んでくれる」方もあれば、「すべてをうやむやに飲み込んでしまう」奴もいますもんね。

 

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子どもの日に 子どもにとって「楽しい」時間を是非

2015-05-05 06:39:15 | エリクソンの発達臨床心理

 

 子どもの日です。

 子どもの日に、子ども1人1人が、いただいた命を感謝するようになってもらいたい、とお祈りします。

 子どもにして差し上げること。私はあるお母さんの話をご紹介しようと思います。東京の郊外に住んでいる方です。

 今日のようなゴールデンウイークの話だったかは、記憶が定かではありません。お休みの日に、前々から計画していたディズニーランドに、子どもを連れて行ってきた、というんですね。時間もお金もたくさん使ったんだと思います。親にしてみれば、相当努力したんだと思います。実際そうしなければ、お休みの日のディズニーランドには行けません。中央道に乗って、首都高に入って、ディズニーランドまで行くには、空いてれば1時間で行けるでしょうけれども、お休みの日は3時間かけても付くかどうか…。入場して、アトラクションに乗り、ショーを見て、お昼を食べて、お土産を買ったら、家族4人で何万円かかるのでしょうか?

 ディズニーランドに連れて行ってもらった子どもは、さぞかし喜んだのか?

 ディズニーランドに行って帰ってから、夕方、家の前で、バトミントンをやったそうです。何十分もやってないでしょう。何故って、親の方はディズニーランドに行って、疲れてんですからね。バトミントンをやったのは、10分ぐらいだったかもわかりません。その子は、「ディズニーランドよりも、バトミントンの方が、楽しかった」と言ったというのが、そのお母さんの嘆きでしたね。

 大人が考える「楽しい」時間と、子どもが感じる「楽しい」時間は、これだけの差があんですね。お金と時間を使えばいい、と考えるのが大人の考える「楽しい」時間かもしれません。子どもにとって「楽しい」時間とは、子どもの気持ちに寄り添って貰った時間なんですね。ですから、「楽しい」時間は、お金と時間をたくさん使うことでは全くない。子どもの気持ちを真摯に聴いくことが大事だ、別の言葉で申し上げれば、子どもの気持ちを理解することに時間をかけてもらうことが大事だ、ということです。

 ときどき、罪滅ぼしのつもりで、時間とお金を使ってもダメだ、ということです。

 私は次のことをお薦めします。

 日々の生活の中で、子どもと共にする時間を約束することです。

 なぜなら、根源的信頼感を支える唯一のものは、“約束” だからです。

 

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