「詩編」第31篇2節の聖句を授業で講義しようとした時に、マルティンは、宗教改革者マルティン・ルターになったのであって、「95箇条の論題」と呼ばれるものを出した時じゃぁ、ないわけですね。
Young Man Luther 『青年ルター』p202の第2パラグラフから。
このことは、晩年になってからルターが大いに認めていることなんですね。「私か初めて『詩編』を読み、歌った時、in iustitia tua libera me〔あなたの義をもって、わたしを助けて下さい。「詩編」第31篇2節の関根正雄訳」と言う詩編の聖句に、私はゾッとしましたし、心の底からの憎しみを感じました。神の義、神の審判、神の御業。というのも、私は、iustitia dei 神の義とは、無慈悲な裁きとしか思えなかったからですね。そう、神は私を無慈悲に裁くことによって私を救うものだと思ったのか? もしそうなら、私はずっとわからなかったでしょう。しかし、gottlob 神様ありがとう、事の次第が理解できたときには、iustitia dei 神の義とは、正義であると分かって、それは、神様がキリストの義をただで下さることを通して、私どもを「いいですよ」としてくださることだと分かって、このgrammatica 文法が理解できたんですね。私は本当に「詩編」の味を知ったのでした」
無慈悲な裁きだと思っていたのに、真実は、慈しみ深い許しだと分かった時の感動も、「からだ中がジーンと熱くなった」感動だと思います。「ジーン」繋がりで、ブログが繋がってますね。