エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

許されてビックリ

2015-05-23 09:31:28 | アイデンティティの根源

 

 「詩編」第31篇2節の聖句を授業で講義しようとした時に、マルティンは、宗教改革者マルティン・ルターになったのであって、「95箇条の論題」と呼ばれるものを出した時じゃぁ、ないわけですね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p202の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 このことは、晩年になってからルターが大いに認めていることなんですね。「私か初めて『詩編』を読み、歌った時、in iustitia tua libera me〔あなたの義をもって、わたしを助けて下さい。「詩編」第31篇2節の関根正雄訳」と言う詩編の聖句に、私はゾッとしましたし、心の底からの憎しみを感じました。神の義、神の審判、神の御業。というのも、私は、iustitia dei 神の義とは、無慈悲な裁きとしか思えなかったからですね。そう、神は私を無慈悲に裁くことによって私を救うものだと思ったのか? もしそうなら、私はずっとわからなかったでしょう。しかし、gottlob 神様ありがとう、事の次第が理解できたときには、iustitia dei 神の義とは、正義であると分かって、それは、神様がキリストの義をただで下さることを通して、私どもを「いいですよ」としてくださることだと分かって、このgrammatica 文法が理解できたんですね。私は本当に「詩編」の味を知ったのでした」

 

 

 

 

 無慈悲な裁きだと思っていたのに、真実は、慈しみ深い許しだと分かった時の感動も、「からだ中がジーンと熱くなった」感動だと思います。「ジーン」繋がりで、ブログが繋がってますね。

 

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まるで光でしょ

2015-05-23 08:18:38 | エリクソンの発達臨床心理

 

 赤ちゃんであおむけにされている時には、あ母さんの世話に頼りっぱなしだったけれども、自分の足で立ち、まっすぐに立つことを確かにするときには、子どもは自由で独立した単独者となることを学ぶんですね。ですから、「強調点が劇的な変わる」とエリクソンは言う訳ですね。依存→独立、ですからね。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p41の第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 まっすぐに立つように創造された者にとって、(最初はちょっとぐらつきますが)頭が一番上にあり、眼が前を向いていますよね。私どもの見通しには奥行きがあるので、私どもは、《奥》にあるものと《手前》にあるものが、「ハッキリ分かる」わけですね。《背後》にあるものはまた、背中側にあります。それから、大事なことがも一つ。つまり、《前の上》、《前の下》、《背後の上》。これらすべては、いろんな言語で、強くて多様な意味がありますね。《前の上》にあるものは、私を導いてくれます。まるで、光でしょ。《下の前》は、私を躓かせることがありますもんね。まるで蛇みたい。《背後》にいる人、《背後》にあるものは、眼に入りらないけれども、あっちからは見られています。

 

 

 

 

 

 人は、自分の足で立って、しっかり立つことを確かにした瞬間、自由で独立した瞬間、《背後》、《前の上》、《前の下》、《背後の上》ができますでしょ。それは単なる位置、場所じゃぁ、ないんですね。それは心の向き、オリエンテーションなんですね。ここが人間の計り知れない不思議なところ、+ 非常に大事なところですね。前に申し上げたところですね。

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丸山眞男教授を読んで、私も「からだ中がジーンと熱くなった」

2015-05-23 03:01:56 | エリクソンの発達臨床心理

 

 丸山眞男教授。会ったこともありません。ただ、今でこそ、臨床心理の仕事をしてますが、学部時代の専門は、政治思想史、藤原保信教授のゼミで学んでいました。姜尚中さんは、会ったことはありませんが、ゼミの先輩。東大の川出良枝さんは一つ上のゼミの先輩。ICUの千葉眞先生は、早稲田で会ったことはなかったけれども、同じ内村鑑三の流れの一員として、何度か話をしたことがあります。

 まぁ、私が参加したゼミは、総勢14名。藤原ゼミは、人気が高かったし、政治学科の「少数精鋭」が集まると言われていたので、選抜面接がありました。なんで私がパスしたのか分かりませんが、パスしたときは心から嬉しかったですね。その藤原保信教授は非常に温厚で、学問に対しては厳しかった。もう、亡くなって21年も経つんだなぁ、と思います。鴨武彦教授も藤原保信教授も50台で亡くなりましたが、「若死にするのは善人だけ」と思わざるを得ません。その点、わたしは断然長生きだと確信します。

 当時、私もできないながら、一生懸命勉強しましたね。一番読んだのが、エーリッヒ・フロムと、宮田光雄先生、丸山眞男教授、それから、内村鑑三でしたね。丸山眞男教授の本ですと、やはり、『現代政治の思想と行動』、なかんずく、その中の「超国家主義の論理と心理」。読んでて、「からだ中がジーンと熱く」なりました。本物の学問は、こういうことまでできるんだ、と嬉しかったのを、つい昨日のように思い出します。

 そして、『日本の思想』。宮田光雄先生も岩波新書の『現代日本の民主主義』のエピグラフで引用されていましたが、「問題はどこまでも制度における精神、制度を作る精神が、制度の具体的な作用のし方とどのように内面的に結びつき、それが制度自体と制度にたいする人々の考え方をどのように規定しているか、という、いわば日本国家の認識論的構造にある」が大事と思いました。現実の政治が、憲法9条の精神を踏みにじる現実があっても、憲法9条の精神があるから、まだ日本は戦争をしていない。憲法9条の精神の偉大さですね。

 でも、今日このブログを書いているのは、憲法9条の精神のことだけをいいたいからじゃぁ、ないんですね。もっと身近な現実でも、形や文字面ばかりに囚われるお役人が周りに多いので、その度に、この丸山眞男教授の言葉を思い出しているんですね。そして、思う訳ですね。「形や文字面に囚われてはいけない。どこまでも大事なのは、制度のおける精神、制度を作る精神を、いまここで活かすことだ」と。丸山眞男教授も、宮田光雄先生も、さすがに、「日本の良心」南原繁教授のお弟子さんです。

 あなたも、「形」「文字面」に囚われないで、ガイスト、制度を作る精神を生かして生きてね。

 

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