エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ルターの魂の嵐

2015-05-21 06:14:44 | アイデンティティの根源

 

 「天にも昇る悦び」は自分の努力では手に入れることができません。

 Young Man Luther 『青年ルター』p201の最終行途中から。

 

 

 

 

 

たとえばね、「考古学的な」次元がありますね。思考の層があって、講義のための準備ノートやら、講義草稿やら、テキストに、後から書き込んだものやら、貼り付けた物やらですね。フォーゲルザンクは紙やインクの種類を調べ、筆跡の違いに注意を払い、ルター自身がノートのいろんなところに付けていて、下線や欄外の自己賞賛の言葉によって示された、個人的な重要性が揺れていた、その揺れを分析しました。こうして、フォーゲルザンクは、ルターに霊的な嵐の道すじを発見しました。それは、詩編講義の文書を貫き通すものでした。

 

 

 

 

 

 ルターの霊的な嵐とはいったい何だったのか? それは、損を覚悟で生きて、十字架の死を死んだイエスの、徹底的な真実さ、誠実さです。玉置浩二さんの言葉を使うなら、バカが付くほどの「正直者」に徹する姿でしょう。裁き、最後の審判と言えば、怖い感じがしますし、日本人でしたら、コワーイ顔つきの閻魔大王がいるとイメージしがち。でもそこのおられるのは、怖そうな閻魔大王じゃあなくて、バカ正直に徹してくださる方だったとしたら…。それは、裁かれると思っていたのに、許される感激でしょう。

 

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最深欲求の在り処

2015-05-21 06:10:24 | エリクソンの発達臨床心理

 

 私どもも「いつまでも続く」と言われる「信頼と、希望と、関係に対する誠実さ」をいつでもどこでも、心から滲み出るものとしたいですね。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p41の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ここで私どもは、人が最初はあおむけにされていることの重要性について大きく取り上げる時、精神分析治療の場が独特の配置をすることに触れざるを得ません。すなわち、精神分析の場は、クライアントがあおむけにされて自由連想できるようにするけれども、非常に大事な言葉のやり取りをする際には、眼と眼を交わらせることができないようにしているのです。こういった自由と窮屈さが一緒になっていることは、現実には、情動がべったりとくっついていて、何度も繰り返される転移を誘発します。すなわち、この自由と窮屈さの組み合わせのおかげで、あおむけにされた赤ちゃんが、打てば響く対応をしてくれるお母さんの顔を、繰り返し繰り返し探すことになる、その最深欲求(の在り処)が分かるんですね。

 

 

 

 

 最深欲求。このブログの読書でしたら、お馴染みですね。「最深欲求」、基督教独立学園校長でした安積力也さんから教えていただいた「詩編」第37編4節

「ヤーウェによって喜び楽しめ

 彼は君の心の願いをかなえて下さるだろう」

の「心の願い」のことです。心の底からの願い、普段は忘れがちな願いのことで、簡単に申し上げれば、アンパンマンマーチの「何のために生まれ、何をして生きるのか?」に答えたいと言う願いですね。

 赤ちゃんは、あおむけにされて、お母さんの顔と瞳を探しています。その時の赤ちゃんはね、お母さんの顔と瞳を探しながら、同時に、この最深欲求の答えも探してんですね。

 

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太陽さん 玉置浩二さんは本田圭佑選手に似ている・・・

2015-05-21 05:01:45 | エリクソンの発達臨床心理

 

 玉置浩二さんの曲は、時々聴いてます。私が一番好きなのは、その昔(年がばれますね)ドラマの挿入歌になってた「メロディー」というスローバラードです。小泉今日子さんが主演?の八王子を舞台にしたドラマだったと思います。もともと怒りっぽい人間ですけれども、この曲を聴くと、優しい気持ちになれるからかもしれませんね。讃美歌やLiberaを聴くのと、ちょっと違う感じ。讃美歌やLiberaの方は、むしろ、静かな感じになれる…。また横道にそれそうなので、戻りますね。

 先日「玉置浩二ショー」とい番組を聴いていて、この曲も歌詞が良いねと思ったのが「太陽さん」と言う曲でした。その歌詞の一節は次に出しますね。

「人を困らせるような 強い正義はなく
誠実であれるように けして嘘つかず

生まじめがとりえの 年老いたオヤジの
ほこりになれるような 正直者になり」

 いま、安倍晋三首相の「強い正義」で、日本の多くの市民が困ってますでしょ。この手の「強い正義」、まぁ、繰り返しで申し訳ありませんが、そう、何度でも繰り返したい気分なのが正直なところですが、大大大ウソなのが、歴史の証明するものですよね。大人(年齢からみての話で、魂からみたら、あの人が大人かどうかには、大きなクエッションマーク?がつくことは間違いないでしょう)がテレビで連日あんな大大大ウソを、いけしゃあしゃあと言うのは、子どもの教育のためには、有害です。また横道でしたね。元にりましょう。

 数々の奇行、バカをやってきた玉置浩二さんが「誠実」だとか「誇り」だとか「正直者」だとか「嘘つかず」だとか言っている。それ自体が、ウソくさい、と思われる人がいるのかもしれませんね。ある意味、玉置浩二さんという人は、動物みたいに直感で動いている正直者なのかも知れませんね。勝新太郎さんと似ている…。

 でも、この詩は大事なところをキッチリと言っていると感じるんですね。「正義」「誠実」は「けして嘘つかず」ということだからです。それが「生まじめがとりえの 年老いたオヤジの ほこりになれるような 正直者」になるってことでしょ。これは、聖書にも通じることだと感じますからね。やっぱり一つのことを、バカと言われるほど突き詰めると、似たような境地になるんだなあと感じます。本田選手のようにね。

 なぜ、これを取り上げるのかって言えば、今どきの 子どもたちが一番日必要にしているのも、この手の「正直者」だからです。「認めてね」という無言の叫びで満ち満ちていますが、その叫びに応えることができるのは、この手の「正直者」だけだからですね。

 それに引き換え、今どきの教員は小賢しい(≒おバカな)ウソが上手なのが、専売特許になってて、そのギャップが非常に大きいなぁ、と日頃から考えているからです。教員が無言で発する言葉は「正しいことができないあなたは、ダメな子」ですからね。

 「太陽さん」聴いてみてくださいね。「メロディー」もね。

https://www.youtube.com/watch?v=IRwjG0wnjbs

https://www.youtube.com/watch?v=td9kGt1QY0U

peace ピース

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