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今日のタイトルは、加藤周一さんの『加藤周一コレクション 5』p.25最後から2行目。
滅びと復活
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理性の人、ピアジェ先生、あなたも、ですか? イナイ・イナイ・バーのように、一度見失ったものを再び見つけ出す、赤ちゃん...
三大新聞やNHKや東京キー局のテレビの「ジャーナリスト」が、大本営発表の広報官になっている現状は、嘆かわしいと考えます。週刊金曜日はともかく、その他のマイナー新聞の「ジャーナリスト」も、「大本営」広報か、あるいは「自分」の宣伝になってる場合もありますね。いずれもその自覚がないのが、共通する特色です。お病気が重たいようです。賀川豊彦も泣いているでしょう。
今日、大大大ウソつきで、お腹が痛くなると「僕、辞める」と言ってた安倍晋三首相が、人をぶつこと→ぶっ殺すことが「強いこと」だという幻想に囚われて、戦争一括法案を閣議決定して、国会に提出する、と言います。2015年5月15日の東京市民も愉しいのでしょうか?
日本人のオリエンテーション、「何のために生まれて、何をして生きるのか?」を知るうえで、加藤周一さんの『日本文化の時間と空間』が最も優れた教科書です。敬愛する河合隼雄先生の本よりも遥かに、日本人の心を実に的確に描いています。日本人の行動原理は「無私」です。実に美しい。その中身は、「自分が得する方に、いつでも豹変すること」です。「無私」と「自分が得する方に豹変する」ことが、=になるのが、日本社会の特色なんですね。なぜならば、日本人は「原則を捨てて立場を変えるのではなく、立場を変えることを原則とする」からです(p.122)。
「1945年夏、「日本人」は集団的に、「みなさん御一緒」に、ほとんど一晩で生まれ変わった」(p.124-5)のですから、また、2015年夏、「日本人」は集団的に、「みなさん御一緒」に、ほとんど一晩で、真逆に、生まれ変わっちゃうのでしょうか?
「ムラ人個人とムラ集団との関係は、先にも触れたように、集団主義を原則とする。一般に地主・豪農は独裁者ではない。集団の決定は全会一致を原則とし、個人の異説があるときは、説得し、成功しなければ「村八分」とする」(p.226)。「民主主義」になった日本でも、この原則は変わらない。「粛々と」、ゴリゴリで進められる沖縄問題、辺野古基地移設も、この「説明」と「村八分」の現実を物語っています(海保が、基地移設反対の市民に対して実力行使している、その暴力を見よ)。
「外国は日本共同体からはるに遠い存在である。彼らは教師(上)であるか、敵(下)であるか、その双方(上かつ下)であった。日本国は中国とも米国とも、また他の外国とも真に対等な交流関係を経験したことがなかったし、周知のように今でもない」。今回の「戦争律法」案も、米国(上)のポチとなった安倍晋三首相が、オッポをフリフリしていること、と捉えると、分かり易いでしょう。「上」にオッポをフリフリすれは、「強そうに見える」とあの人は信じて疑ってないからです。
くしくも、加藤周一さんの『日本文化の時間と空間』は、成蹊大学での講義がもとになっています。安倍晋三首相は、きっと「お腹が痛く」なってたんでしょう、聴いてるはずはありません。
私どもは、「復活」の道に入ったのか?
私どもは、「滅び」の道に入ったのか?
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