エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

日常生活の中にある超越 なぞなぞの答えは何だっけなぁ?

2015-05-17 10:57:15 | エリクソンの発達臨床心理

 

 眼と眼が交わること、見つめ合うことが育つことが、母子の大切な対話になる、と言いますね。それができませんと、心、魂が育ちません。逆に申し上げますと、眼と眼を合わせることを避ける子どもさんは、心、魂が育っていない、ということです。そういう人は、5才でも、15才でも、85才でも、心は魂は、赤ちゃんです。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p40の第3パラグラフ7行目途中から。

 

 

 

 

 

お母さんがいる世界と「やり取りをする」ことが出来ないという、一番根っこになるものがないことは、眼と眼が交わることがないことに現れます。しかし、お母さんがいる世界とやり取りができれば、人はその後は、いつでも見上げる人、すなわち、尊敬する人を探すようになりますし、生涯を通して、「自分が掬われる、すなわち、救われる」出会いの中で、自分を確かにさせることができます。

 

 

 

 

 エリクソンが、何気なく、赤ちゃんとお母さんがやり取りする場面を記述しますでしょ。それはごくごく当たり前の、赤ちゃんとお母さんがいる風景でもありますものね。何の変哲もない、ごくごくありふれた日常の一場面ですね。

 でも、それが同時に、実に一生を左右しかねないやり取りでもあるんですね。でもそれだけじゃあないんですね。それは、「創世記」第15章6節「アブラムは主の中で自分を確かにさせた」にも通じる、日常を超越するものでも、あるんですね。不思議でしょ。

 なぞなぞの答え、分かりましたか?

 

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ルターの「天にも昇る悦び」

2015-05-17 10:36:49 | アイデンティティの根源

 

 真に自分のためになることは、必ず人様のためにもなる不思議ですね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p201の4から。

 

 

 

 

 

               4

 

 それどころか、劇的な証拠が、ルターの詩編講義のノートに出てくるんですね。証拠とは、ルターがせっせと詩編講義をしている時に、「塔の啓示」で示された洞察をハッキリと主張しているという証拠です。「塔の啓示」の日がいつかは、学者輩が確かめようとして出来なかったことです。ルターが「ローマの信徒への手紙」第1章17節を頭の中で想いを巡らせていた時に、その最後の文の言わんとすることが不意にハッキリしてきました。それが分かったおかげで、ルターは胸に迫るものがあり、自分に「天国の扉が開かれた」と感じました。「というのも、神様が下さる施しと優しさは、あらゆる真の関係に示されるから。『義人は、キリストのまことによって生きる』と書いてあるように、ね」(「ローマの信徒への手紙」第1章17節)。

 

 

 

 

 

 「ローマの信徒への手紙」第1章17節は、エリクソンが引用した英語からも、ギリシャ語からも、意訳してあります。山浦玄嗣さんに「正義」とは、神のみ心であり、それはツェダカー(ヘブライ語)では、施し、優しさの意味だと教えられているからですね。これはアンパンマンの理解とも重なります。

 ルターも、はじめは、あるいは、最後まで、このように理解していたと思います。正義=施しです。なぜならば、私どもがいただくあらゆる信頼は、その施しなしには、絶対的に不可能だからなんですね。その体験があればこそ、「神の義」と誤解されやすい言葉で翻訳されてきたことの本当の中身が、施しであることが、ハッキリ分かります。

 ルターもそのように理解していればこそ、涙が出るほど胸に迫り、「天国の扉が開かれた」と感じるほどの、文字通り「天にも昇る悦び」を実感したに違いありませんね。

 

 

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クリスマスローズに思いを寄せたら

2015-05-17 08:34:29 | エリクソンの発達臨床心理

             これがクリスマスローズ

 美男美女を排して、ピエール瀧さんが主演を張った土曜ドラマ「64ロクヨン」。ドキュメント仕立て、モノクロとカラーのコントラストを生かした演出、うまさを感じるドラマで、面白かったです(「意見には個人差があります」なまさだのパクリ)。その最終回の最後に、クリスマスローズが、ピエール瀧さん演じる三上とその奥さんの会話に登ります。そして、ラストシーンがクリスマスローズ。印象に残ります。

 クリスマスローズ。パラ、あるいは、桜に似た白い綺麗な花。花言葉は、「私の不安を慰めて」。娘が失踪している三上夫婦の不安を慰める花になるのでしょう。でも、不安を慰めてもらいたいのは、娘さんが失踪している三上夫妻だけではないんじゃぁ、ないでしょうか? あなたは? ましてや、今の日本、狂気がどうどうと王道を歩いている時代でしょ。正気を保つのも、安心を保つことも、非常に困難な時代ですから、余計に「不安を慰める」ことへの欲求が強まっているのかもしれませんね。

 実際、本屋に行ってみると、格言、至言、古典など、「不安を慰める」言葉を集めたのじゃないかしら、と感じるような本が、平積み、縦置きにされています。新渡戸稲造の『武士道』だったり、スポーツ選手の本だったり、あるいは、女性占い師の本だったり…。そういうものも悪くはないかもしれません。でも、私は占いはやりません。ちなみに博打もやりません。私の人生そのものが博打ですから、やる必要がないんですね。

 でも、それだけでは、不安はなくならないでしょう。どの本を選ぶとしても、あなたが選んだその本の言葉が、イメージとなり、出来事にならなくっちゃあね。ですから、日常生活の中で、どういう暮らしをするのか、何を思って生きるのか、ということと、その本の言葉が結び付いていないと、不安はなくならない。

 今の日本の、ウソとゴマカシと狂気の社会にあっては、「ウソ」を「ウソ」、「ゴマカシ」は「ゴマカシ」、「詐欺」は「詐欺」、「安倍晋三」は「狂気」とハッキリ言葉にすることが、正気と安心を保つためには、必要不可欠になりましたね。

 皆さんよろしくね。

 

 

 

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