本物は、嘲りを浴びるようなところから、生まれる場合が多い。祝福の中で生まれるものと言ったら、赤ちゃんの他は、偽物が多い。
Young Man Luther 『青年ルター』p203の第3パラグラフから。
詩篇講義が「詩篇」第71篇2節まで来た時に、ルターはまた、「あなたの義をもって、わたしを救い、助けて下さい。【「詩篇」第70篇2節の関根正雄訳】」に出くわして、またもや「わたくしに向かって、ヒヤ、ヒヤと言う者が / その恥辱の故に退かんことを。」(「詩篇」第70篇4節【関根正雄訳】)が先にあります。でもね、ルターの雰囲気、ルターの言葉遣いがすっかり変わっちゃいました。ルターは「ローマ人への手紙」第1章17節(塔の啓示の時の聖句)を2度ばかり引用し、「Justitia dei...est fides Cntist キリストの≪真≫こそ、神が下さる優しさです」という結論にたどり着きます。
この「詩篇」第71篇まで来て、ルターはようやく気付いたんですね。「神の裁き」と言う一見怖そうなことが、実は、深ーい憎しみをも癒す、優しさで満ち満ちているってことに。それは「天にも昇る悦び」そのものだったでしょう。
これに気付いた者は、エリクソンが言う通り、「雰囲気や言葉遣いまでもが、すっかり変わっちゃう」ことになります。