エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

根源的信頼感は、ルターに遡る

2015-05-10 10:08:47 | アイデンティティの根源

 

 聖書を原典(旧約聖書は主としてヘブライ語、新約聖書はギリシャ語)から翻訳し直して、ローマカトリックの間違いと、聖書の真理を発見したルターは、聖書から新たな力を得ることができました。

 Young Man Luther 『青年ルター』p199の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 中世の世の中は、聖書の素材を解釈するのに、4つの方法がありました。逐語的に(リテラリティア)とは、テキストの実際の歴史的な意味を強調することです。寓話的に(アレゴリス)とは、聖書に出てくる出来事をキリスト教史の象徴として見ることです。道徳的に(トロポロギス)とは、聖書の素材を、信頼の豊かな者にとって正しい行いを比喩的に表現しているものと見なします。神秘的に(アナゴギス)とは、聖書の素材を、来世について語られたものと見なします。ルターはこの技法を自分の目的のために使いました。ただし、ルターは、誠実に一貫性を持たせようと努めました。たとえば、旧約聖書で割礼を求められることは、眼に見える仕事は大事でないと予言したものであるけれども、この解釈は、また、割礼の約束は、男の自惚れの元になる大事なところを傷つけることによって、謙虚さを強調したという考えも表すものと、ルターは感じていました。ルターは倫理的な研究を続けていくと、次第に他の聖書釈義の技法は捨てていき、道徳的技法だけになりました。すなわち、「道徳的解釈は、聖書で一番大事な意味である(tropologicem esse primarium sensum scripturae)」。ルターにとって、聖書は、いまここで、信頼が豊かなこと(根源的信頼感)に対する神様の助言でした。

 

 

 

 

 エリクソンの根源的信頼感は、こうして、ルターの聖書解釈に関わるものでした。

 

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男と女の性役割の習慣に疑問を持つことから、男女の解放が始まる

2015-05-10 06:14:04 | エリクソンの発達臨床心理

 

 性差をどれだけ認めるかで、男も女性も、性役割が変わってきます。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p38の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 交互に「無理矢理入る」やり方をしたり、「全部を飲み込む」やり方をしたりしていると、もちろん、男の子が子ども時代に葛藤を抱くことになります。体に強く関心を持つ頃ですね、女性器を見ると、男の子は去勢されることを恐れるようになりがちだ、ということも本当です。去勢されることを恐れると、自分に女性性があると認めることを抑制することに繋がるかも。でもね、よくよく教育された場合は、女性性を表現することも許されますから、男の子たちの中に、熱心に動き回ることや、最終的には「無理矢理に入る」男性器にも相応しい、世話をする性質を育むことになります。

 

 

 

 

 

 生物学的な性差を認め合う社会は、教育が行き届いた文化です。生物学的な性差に価値の高低を認めず、社会的な男女平等を認めるからです。それは、社会的な男尊女卑の文化の中で、男も女も意識的に「女性を優先すること」、すなわち「レディ・ファースト lady first」を実践して初めて可能になるんですね。それは男を優先する習慣を当たり前と思わず、それに疑問を持つことから始まります。それには教育が必要です。

 たとえば、男社会では、「女がやること」=女性の性役割は、軽く見られますでしょ。子育てや、家事や、お茶出し。日本では、教育現場でさえ、女性の性役割とされる役割は軽く見られ、実践されませんからね。

 教育が進み、男女同権が進むほど、男が女性の性役割を進んでやる社会になります。それは、男にとっても、女性にとっても、解放される体験です。

 

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沖縄と安倍晋三首相の関係はどっち?

2015-05-10 02:14:22 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
≪人と人としての繋がり≫と≪ウソの繋がり≫
  現代人、特に、平で働く人が、ものづくりをしなくなってしまったので、世界と自分の繋がりを実感できなくなってしまった、それで≪得するから群れに加わること≫...
 

 沖縄と安倍晋三首相の関係は、≪ウソの関係≫なのか? それとも≪真の関係≫なんでしょうか?

 

 今晩、NHKの「総理秘書官が見た沖縄返還~発掘資料が語る内幕~」を見ました。

 1972年5月15日、月曜日の朝、国立第一小学校で、私は校長先生が「今日、沖縄が日本に返ってきました」という話をしたことを覚えています。でも、その時、朝鮮戦争がまた始まったら、隣町の立川市の西から瑞穂町まで広がる横田基地が「外国の攻撃をされても仕方がない」と時の首相、佐藤栄作がアメリカと密約していることなど、知る由もありませんでした。

 今日のNHKの「総理秘書官が見た沖縄返還~発掘資料が語る内幕~」で、佐藤栄作総理の秘書官だった楠田實さんが残した第一級の資料は、アメリカが朝鮮半島で戦った場合、日本が戦争に巻き込まれても仕方がないことを、ニクソン大統領と、秘密裏に確約していたことを物語っていたんですね。これは、憲法九条を踏みにじり、日本市民の反発が予想されたから、コッソリと「口外しないでね」と条件づけて日本とアメリカの間で約束していたことが、歴史的事実として、明らかになりました。佐藤栄作総理の密使だった若泉敬さんが残した資料が「核の再持ち込みが、事前協議があればOK」という密約の存在を示していることを考え合わせると、沖縄返還と沖縄から核を撤去する代わりに出した日本側の条件は、日本の憲法を蔑ろにし、日本の市民の命を脅かすことになるものであったことが明確になりましたね。その結果、沖縄の基地にはいつでも核兵器が持ち込みが可能になり、さらには、沖縄だけではなく日本にあるすべての米軍基地が戦争に巻き込まれても仕方がない、とされたわけですね。

 そして今。マザコンで、佐藤栄作元首相の大甥の安倍晋三首相の強がりのために、より「積極的に戦争に加担する」ことができるようにしている訳ですね。今まで自民党政権が、コッソリとやってきたことを、イケシャアシャアとやるばかりではなく、「外国にも殴り込みもしますよ」ということにしようとしてんですからね。

 私どもがしなくてもならないこと、それは憲法九条を生かすために、自衛隊を縮小し、廃止すること、沖縄の基地は全部廃止すること(ついでに、原発も全て廃止すること)だ、と私は考えますよ。

 それは、沖縄と安倍晋三首相の関係が、、≪ウソの関係≫、ウソとゴマカシの関係、押し付けの関係、一方通行の暴力的関係であるのを止めて、やり取りのある、誠実で、≪真の関係≫にすることなのですから。

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