エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

まるで虹のようね

2015-05-18 07:36:22 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
何のために働くのか?
  馴れ合いの反対は、「真(まこと)」の関係です。「真」は関係性の誠実さです。相手のことを利用しよう、利用することで、自分が得しようとは考えない。そうではなくて、相手が自分自身...
 

 

 自分が大事、と言ってもね、個人主義と、利己主義はね、全く違うものですが、混同する人が少なくない。

 個人主義は、個人を社会よりも、組織よりも、地球よりも、大事にする。「最も大事なものとは何ですか?」 と問われたら、「個人です」となる。自分じゃぁない。個人が大事たから、自分も、相手も、個人として大事にする。ですから、自分と人の関係は、共に個人として大事なもの同士ですから、対話をとても大事にしますよね。関係に誠実であろうとします。なるべく、ウソやゴマカシがない、正直な自分、正直な関係でいたいと願い、それに務める。正直な自分とは、≪本当の自分≫を大事にすることです。ですから、個人主義は、かならず、≪本当の自分≫主義になります。

 ところが、利己主義は、全く違う。自分を社会よりも、組織よりも、地球よりも大事にしているつもり。「最も大事なものはなんですか?」と問われたら、「自分です」と答える。でも、本当に≪自分を大事≫にしているわけじゃぁ、ない。目先の利益に囚われているだけだからです。「本当に自分の幸せとは何か」、が分からなくなっている。「何のために生まれ、何をして生きるのか?」という心の囁きを、ないがしろにしている。自分にウソとゴマカシをやってる訳だから、相手にもウソとゴマカシをやってでも、眼先の利益、都合の良いこと、得、を稼ごうとします。結局、≪本当の自分≫を失い、信頼できるパートナー(≪本当の自分≫を生きている相手)も持てないでしょう。

「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マタイ 16:25 -26)

 不思議ですね。

 関係に誠実であろうとしても、相手ばかり見ていたんじゃぁ、できません。≪本当の自分≫を大事にする、という自己内対話があって、はじめて、他の人の≪本当の自分≫も、自ずから、大事にできるからです。

 不思議ですね。

 その関係を見事に歌った歌に、シンディ・ローバー Cyndi Lauper さんのTrue colorsがあります。インターネットを見ると、いろんな翻訳が出てきますが、私も訳してみましょうね。あなたも≪本当の自分≫=本音の自分を生きたくなりますよ。

 

True Colors / トゥルー・カラーズ (Cyndi Lauper / シンディ・ローパー)1986

 

You with the sad eyes
Don't be discouraged
Oh, I realize
It's hard to take courage

悲しい目をしてるのね
がっかりなんてしないでね
そう わかってるからね
勇気を出すって大変だもの

In a world full of people
You can lose sight of it all
And the darkness there inside you
Makes you feel so small

世の中には沢山の人がいるのに
誰一人眼に入らないこともある
心のなかに闇が迫ってきて
自分がチッポケに思えてくるもの

But I see your true colors
Shining through
I see your true colors
And that's why I love you

でもね、本音の自分がわかる
あなたの中に、光ってるものね
本音の自分ががわかるから
大好きよ

So don't be afraid to let them show
Your true colors
True colors
Are beautiful like a rainbow

だから怖がらないで生きてね
本音の自分を生きてね
本音の自分って
本当にきれい まるで虹のようね

Show me a smile then
Don't be unhappy
Can't remember when
I last saw you laughing

本音で生きて 笑顔でいてね
ハッピーになるのよ
思い出せないもの
あなたが笑顔だったのはいつだったかしら

If this world makes you crazy
And you've taken all you can bear
Just call me up
Because you know I'll be there

この世が狂気に満ちてて
とても耐えられないのなら
電話してね
そばにいくから

And I'll see your true colors
Shining through
I see your true colors
And that's why I love you

だから、本音の自分がわかる
あなたの中に、光ってるものね
本音の自分がわかるから
大好きよ

So don't be afraid to let them show
Your true colors
Your true colors
Are beautiful like a rainbow

だから怖がらないで生きてね
本音の自分を生きてね
本音の自分って
本当にきれい まるで虹のようね


(Whisper)
Can't remember when I last saw you laughing

思い出せないもの
あなたが笑顔だったのはいつだったかしら

If this world makes you crazy
You've taken all you can bear
Just call me up
Because you know I'll be there

この世が狂気に満ちてて
とても耐えられないのなら
電話してね
そばに行くから

And I'll see your true colors
Shining through
I see your true colors
And that's why I love you

だから、本音の自分がわかる
あなたの中に、光ってるものね
本音の自分がわかるから
大好きよ

So don't be afraid to let them show
Your true colors
True colors
True colors are shining through

だから怖がらないで生きてね
本音の自分を生きてね
本音の自分って
本当にきれいね まるで虹のようね


I see your true colors
And that's why I love you

本音の自分ががわかるから
大好きよ

So don't be afraid to let them show
Your true colors
True colors
Are beautiful like a rainbow

だから怖がらないで生きてね
本音の自分を生きてね
本音の自分って
本当にきれい まるで虹のようね

http://mettapops.blog.fc2.com/blog-entry-1259.html?sp

 

 

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神の施しと優しさは、いまここで

2015-05-18 06:04:54 | アイデンティティの根源

 

 私どもも、ルターの様に、一度でいいから「天にも昇る悦び」を味わって生きたいですね。

 できることなら、毎日毎日、来る日も来る日も、「天にも昇る悦び」を味わって生きたいですね。

 さらにできることなら、毎時間毎時間、1時、2時、3時と、「天にも昇る悦び」を味わって生きたいですね。

 さらにさらに…。

 性格がしつこくて、ゴメンナサイ。

 Young Man Luther 『青年ルター』p201の4の9行目途中から。

 

 

 

 

 

「ローマの信徒への手紙」第1章17節の言葉の力強さは、まさに、人生と永遠の時空を見通す、新しい見通しにあります。ルターが気付いたのは、「最後の審判」を神が語ることに関する記録にあるように、神様の施しと優しさは、将来やって来る最後の審判の日にあるんじゃぁ、ない、ということです。そうじゃぁ、なくて、神様の施しと優しさは、私どもの中にある、今ここにこそある、ということなんですね。私どもが、神様の施しと優しさを戴けるのは、キリストである御言葉の言わんとすることを理解することによってです。このような理解に至る状況については、後ほど議論することとしましょう。まず初めに私どもが面白いと感じることは、詩編講義に関することなんですからね。

 

 

 

 

 

 ほらね。ルターは、神様の施しと優しさが、今ここでいただけたから、「天にも昇る悦び」を感じたことを述べていますね。それは、私ども「の中」の事なんですね。「の中」といっても、「中野」のミスプリントではありません。ついでに、ミスプリントが多くてごめんなさいね。

 私ども「の中」とは、私どもの心「の中」であると同時に、私とあなた「の中」でもあるんですね。これはエリクソンが繰り返し教えてくれている不思議の1つです。ワンダーフル wonderful でしょ!

 

 

 

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「眼」と「顔」と「名前」

2015-05-18 05:54:14 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ほんのささやかなことが、単なる些事じゃぁなくて、一生を左右する…。だけど、それだけでもない。永遠を左右することでもある…。だから、人生は不思議に満ち満ちているんですね。ア・センス・オブ・ワンダー a sense of wonder。これがあると、人生は不思議の塊 lots of wonder になる、素晴らしい世界 a wonderful world になる…。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p40の第3パラグラフ下から9行目途中から。

 

 

 

 

 

このようにして、あの楽しく陽気な、でも、志に満ちた対話は、赤ちゃんとお母さんの最初の出会いがどんなものになるかを左右するものなんですが、「眼」の輝き、「顔」の特徴、「名前」を呼ぶ声が、お母さんという大事な他者を始めてそこにいるとリアライズする、分かる、欠くべからざる素材になると同時に、お母さんという大事な他者がそこにあるとリアライズする、分かる、欠くべからざる素材になるんですね。

 

 

 

 

 赤ちゃんとお母さんは、「眼」と「顔」と「名前」によって出会うんですね。赤ちゃんは、お母さんの、「眼」と「顔」と「名前」によって、眼の前の人がお母さんだとリアライズする、分かる。お母さんも、赤ちゃんの「眼」と「顔」と「名前」によって、自分の赤ちゃんがリアライズする、分かる。わざわざ、カタカナで、「リアライズする」、と「分かる」を元に戻して、ここに記しているのは、なぜでしょうか? 

 これはね、相手の「眼」と「顔」と「名前」によって、初めて自分が赤ちゃんとなり、自分が「お母さんに」リアライズする、「なる」という意味を同時に示していることを、ハッキリと示したいからなんですね。

 お母さんは、1人の赤ちゃんのおかげで、初めてお母さんになることができます。

 赤ちゃんは、人のお母さんのおかげで、初めて赤ちゃんになることができます。

 それは、相手の「眼」と「顔」と「名前」が眼の前にあることによってはじめて可能になることです。

 逆に申し上げれば、日本のように、長時間労働と長い通勤時間が労働者に強いられている社会では、相手の、「眼」と「顔」と「名前」が眼の前にあることができませんから、「赤ちゃん」も「お母さん」も、ホントの意味では、なかなか存在しない社会になっちゃってるんですね。

 これも狂気の沙汰、安倍晋三首相のおかげと考えて、考え過ぎじゃぁない。

 

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