心からの悦びとキラキラした瞳ほど、素敵なものはありません
嘲りと堅苦しい眉間のシワほど、いやなものはありません。
The life cycle cpmpleted 『聖書の神様の命が一巡、できた!』、p45の下から11行目途中から。
私が申し上げていることは、「私」と「あなた」という今申し上げた対になった人たちが、赤ちゃんの頃に、それとはハッキリと分からないままに、お互いを大切にし合うことは、私どもがヌミノースの呼んでいる、いつでもどこでも、気高さを感じる性質にとって、人間が毎日礼拝する上でも、倫理の面から言っても、なくてはならない土台になる、ということです。このヌミノースとは、人智を超えた存在が放つ光です。ヌミノースを感じると私どもは、「離れていても繋がりを感じます」し、「違っていても、大切にされている」から、これこそが、≪私が生きている実感≫を生きる心の習慣の土台、根源になります。
≪私≫の土台には、ヌミノースが必ずあります。
それは、「離れていても、大事な人や神様との繋がり、絆を感じます」。ですから、大事な人と、いつも一緒にいるわけではなくても、つながり、絆を感じ続けることができます。もう、孤独ではなくなりますね。
それと同時に、「違っていても、心から大切にして頂いている」。ですから、強い者、多数派に同調して、形ばかり同じにならずとも、自分が値打ちもの、宝物と自ら認めることができます。強い者、多数派から認めてもらう必要がないのですからね。ですから、他者に対しても、同様に,心から大切にできるようになりますね。
ヌミノースが≪私≫の土台にありますとね、その人は、基本が、心からの悦び、になりますし、弱い立場の人、強い者や多数派から疎ましく思われている人も、大切にすることが、毎日の基本になります。面白いでしょ。