エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ルターは、2才児並みの激怒の人

2015-06-14 11:09:43 | アイデンティティの根源

 

 ルターのケツ言葉は下品です。

 Young Man Luther 『青年ルター』p206の第2パラグラフ9行目途中から。

 

 

 

 

 

ルターが、反抗的で、破壊的な性格を治めるために、沈黙することを選んできたのですが、自由に話すようになってからは、ルターは当時、最も偉大な論客になったばかりではなくて、頭から湯気が上がるほどの激怒する人にもなり、クソを投げ飛ばすようにその激怒をぶちまける偉大な力ともなったのです。

 

 

 

 ルターは、幼子が示すのと同様な激怒を、ぶちまける言葉も社会的立場も得るようになったわけですね。

 

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エリクソンは、30年後の日本の学校の現状を、予言していた? #礼拝が失敗

2015-06-14 10:59:32 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「いいよ」「ダメ」と言われても大丈夫になるのは、十分に「いいよ」「いいよ」と言われてから。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p47の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 臨床的に言ったら、この段階に由来する重大な心の病が、どういう事態をひき起こすのかを私どもは知っています。繰り返しですけれども、それは礼拝の失敗なんですね。その礼拝とは、幼い子どもが自由に振る舞う範囲を、わがままが許されない所でさえ、その子が、あれか、これか、を選べる選択の余地が許される、という風にハッキリ示すという礼拝ですが、この礼拝に失敗してんですね。 この礼拝が失敗しますとね、「正しいこと」と「やってはいけないこと」、「良いこと」と「悪いこと」、自分の物と相手の物を区別しなくちゃならない、ということを礼拝の中で、そうですねと受け止める代わりに、極端に強迫的に大人に従うことやら、強迫的に衝動的に行動することになります。同様に、礼拝に失敗した大人たちは、建設的な礼拝をやれ遂げることができないで、「~ねばならない」だとか言いつつ一時の感情に流されて、さらには、一番冷酷であることも多い、形ばかりのおざなりをすることしかできません。

 

 

 

 

 エリクソンが、これを書いたのが、1982年ですから、もう33年前ですね。でも、ここはまさに、今の日本の学校の現状を予言しているかのようですね。礼拝とは、イキイキしたやり取りを通して、人と人智を超えた存在との関係を確認して、自分を確かにする人間関係のことですが、今の日本の学校は、それができない。やってることと言えば、カリキュラムと校則を、子どもに押し付けることくらい。まあ、発達トラウマ障害の子どもたちだらけですから、三項関係を前提とする日本の学校制度は、すでに破綻している、と見ることもできますから、それは個々の学校の責任でも、個々の教員の責任では必ずしもないけれどもね。

 まあ、この点については、今日はこのくらいにしましょう。エリクソンが明確に示しているように、子どもが自由に振る舞え範囲、枠組みがハッキリしないのは、礼拝の失敗です。一番多いのは、大人の身勝手のために、子どもが自由に振る舞える範囲が、日々、刻々、変わるパターン。次に多いのは、子どもが自由に行動できる範囲が、非常に狭くて、子どもに任せても大丈夫な部分までダメと言われるパターンです。

 ≪いまここ≫で、私どもに求められていることは、子どもとやり取りする中で、子どもが自分でコントロール出来る範囲を見極めて、それよりも少し広い範囲を、子どもが自由に振る舞える範囲として、子どもと大人が約束にすることなんですね。

 

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#オートノミーと「#小さな声」

2015-06-14 05:43:33 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
毛利衛さんのお母さん
   その子ならではの要素とは? 感じをハッキリ言葉にすることの恵み 解釈する際に最も大事な要素は...
 

 オートノミー。autonomy. このブログでも、何度か取り上げていますが、また取り上げたい気分だからです。

 エリクソンのライフサイクルモデルですと、2番めの幼児前期、すなわち、1才半~3歳の時期の発達危機に際して、オートノミーに傾くのか、それとも、恥と疑いに傾くのかが問われるという訳ですね。エリクソンの代表的著作の1つ Childhood and society 『子どもの頃と対人関係』では、Eight Ages of Man 「人間の8つの時代」に出てきます(p.251-254)。あるいはToys and Reasons 『玩具と叡智』では、Life Cycle and Ritualization  「人生の巡り合わせと礼拝」 に出てきます(p92-98)。

 オートノミーという言葉は面白い言葉です、「オートauto をノモスnomosにする」、すなわち、私が感じていることを、法則にして生きる」という意味だからです。オートはオートメーションや、オートマチックのオートで、ギリシャ語のウートス αυτος 「自分自身」という意味ですし、ノモス νομος は、「法則」、「原理」という意味です。自分が感じていることを人生の法則、生きる上での原理とする、という意味です。

 こんな風に申し上げると、難しいと感じるかもしれません。でもね、実際はごくごく日常的なことなんですね。ここで「自分が感じていること」は、「何となく感じているけれども、すぐには言葉にならない感じ」の事なんですね。それを大事にすることが、オートノミーなんですね。言葉にならない感じをあなたはどれだけ大事にしてますか

 オートノミーで言うこの「自分自身」は、「かすかな声」ですから、世間でざわめく声や上司や教員の声にかき消されてしまいやすい。あるいは、その「小さな声」は「厄介」だから、そんな声を拾わないように、忙しくしていることがとっても多いのじゃぁないかしら?

  それは、自分自身を軽んじることになっているとも知らないで…。エリクソンは、オートノミーに心が傾かない場合は、恥と疑いに傾く、と言いますでしょ。エリクソンは実際の人間の心の動きをよくよく知っているなぁと感心しますよね。自分自身を軽んじるから、自分の感じていることに蓋をして、出さないようにするんですね。自分の感じを出すことを恥じてる訳ですね。だから、気持ちや感じを出さない。そして、自分の気持ちや感じを表現できないのは、果たして、自分のせいなのか、それとも、親や教員や世間のせいなのかも分からなくなるんですね。

 オートノミー。これを快復するためには、自分の心の中で囁く「小さな声」に耳を傾けなくてはなりません

 

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