ルターの秘密の場所は、受け身であることことでした。この後は大事なところのオンパレードですので、お楽しみくださいね。ちなみに、中村雄二郎先生の「受苦的存在」も学習しておいてくださると、ありがたいところです。
Young Man Luther 『青年ルター』p207の第3パラグラフ下から。
矛盾していることですが、多くの若者(と石頭の倅)が、その人ならではの領域で偉人になるのは、受け身のなることの深い意味を心から学んだ場合に限られます。受け身であることの深い意味を理解したおかげで、その人は、自分の持ち味の語りかけに耳を傾けることができます。フロイトがフリスに手紙で述べたように、「私が踏み止まらなくてはならないのは、その声が、私の耳に入るほど、私の心を揺さ振るようになるまでなんですね。bis es sich in mir ruehrt und ich davon erfahre.」。受け身のなることは、女性的かもしれませんが、現実には、ルターは、受け身のなることを、女性が身籠るという態度、すなわち、sicut mulier in conceptu であると、ハッキリと口にしていました。
ルターは、受け身のなることを、女性が赤ちゃんを身籠ることに似ている、とハッキリと述べています。それは、いのち、赤ちゃんは、外から与えられ、いのちを与えられていることに気付いて、いのちを心の中で育んで、初めて、オギャア、とこの世に誕生する、というわけです。