エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

信頼は、聴くことから始まる

2015-06-19 07:08:15 | アイデンティティの根源

 

 ルターは言葉と声を大事にしたらしい。

 Young Man Luther 『青年ルター』p207の第2パラグラフ11行目途中から。

 

 

 

 

 

他方、信頼は聴くことから始まるのであって、見ることからではありません。ですから、キリストに関して、全てのキリスト者の関して、言い得る最大のことは、良い耳、聴く耳を持っているということです。でもね、知的であるだけではなくて、感情と道徳のことも同時に受け止められたものだけが、神聖にして非凡なものなのです。ですから、人は見る前に聴くこと、理解する前に信頼すること、人を魅了させる前に夢中になって大喜びすることがなくっちゃね。

 

 

 

 

 ここも示唆的です。信頼が弱い愛着障害の子どもが、いっぱい小学校にはいます。でも今の小学校でやってることと言えば、相も変わらず、知ることと理解することでしょ。信頼のないところにいくら知ること、理解することを積み上げようとしていもできいのにね。500年以上前から分かってることを、今の小学校の教員たちは、知らない場合があまりにも多い。

 見る前に聴くことが大事です。

 知る前に信頼することが大事です。

 ひとを魅了させるようになる前に、何かに夢中になって、大喜びしていることが大事です。

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わがままは最高の美徳

2015-06-19 06:18:25 | エリクソンの発達臨床心理

 

 今の日本の学校は、その多くは創造性を見失っているために、「善意の暴力」を子どもに押し付けて、子どもから悦びを取り上げています。

 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p48の第4パラグラフから

 

 

 

 

 

 遊びと演劇の繋がりに到達して、ご承知のように1つの演目の主人公である、エディプス王の子どもの頃の運命がもつ、心理社会的な重要さに関して、一言申し上げておくのが良いと思います。戯曲全体の秩序のいつくかの側面を並べる時、私どもはこれまで、だんだんと増えていく共演者たちを、勘定に入れてきませんでしたね。共演者たちは、子どもが大きくなるにつれて(身体を一番使う場所、身体の使い方、感じ方)、大切なやり取りをする人たちです。もちろん、最初は、お母さんです。お母さんは、共生の舞台において、「最初の他者」(である自分)に、絆を感じさせる力をもたらします。この「最初の他者」が、見てきたように、(子どもの)わがまま(現実には、ナルシスは、かなり特殊なケースです)を許す人にもなりますし、さらには、そのようにして、今、根源的信頼を(子どもに)プレゼントすることにもなります。根源的信頼は、後で議論しますけれども、一番根源的で、打てば響く関係の中で育まれる態度のことです。

 

 

 

 

 

 「わがまま」と言ったら、許されないことの代名詞でしょ。「わがままは、最高の美徳」と言ったのは、ノーベル文学賞を受賞した、ヘルマン・ヘッセでした。子どもの内は、その子どものわがままは、「最高の美徳」として大事にすることが、子育ての知恵なんですね。こうすることによって、初めて赤ちゃんは、自分は値打ちもの、お母さんと世の中は、結局は、当てになる、という感じ、すなわち、根源的信頼感を育むことができる、って訳ですね。

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「蓮の花」のシンクロニシティ

2015-06-19 04:53:54 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ある小学校で、兄弟の心理面接をしています。守秘義務がありますから、プライバシーに渡ることを、つまびらかにすることはできません。でもね、人の心の不思議と素晴らしさを、感じますものですから、皆様にもおすそ分けしたいと思います。

 お兄ちゃんと弟の2人兄弟。高学年と低学年。お兄ちゃんは、ちょっと引っ込み思案です。弟は、校則も順番も守れない、ルール破りの「困り者」です。2人とも、コラージュ(切り貼り絵遊び)療法をしています。絵本や図鑑などの中から、自分が気に入った写真や絵を切り出して、それを枠付けされた台紙に貼って遊ぶ、投影法(無意識にわたる心を映し出す)によるプレイセラピーの1つです。

 その兄弟が、同じ日に、別に打ち合わせをした訳ではないのに、「蓮の花」の写真を選んで、コラージュを作りました。お兄ちゃんは、「(蓮の花が)『今日の夜は、満月になりそうだ、うれしい』と言ってる」と言います。それから、アユもどきがザリガニに、「卵が生まれたね、おめでとう」と言うと、ザリガニはアユもどきに「ありがとう」と言う、物語も話してくれます。

 弟は弟で、一番大きく「蓮の花」を切り出して、台紙に貼ります。その他にも、たくさんの花々を切り出しては、台紙に貼り付けます。弟は「(たくさんの花々が)集まって、遊んでいる」と言います。私が〈この後どうなるのかなぁ?〉と訊きますとね、この弟は実にイキイキした表情で「大きくなって、種が出来て、また、新しい命が生まれる」と言います。私も思わず、〈それは素晴らしいね、素敵だね〉と応じます。

 「蓮の花」と言えば、汚れた泥から清らかな花を咲かせて、仏教世界を象徴する花ですよね。お兄ちゃんが話してくれた「満月」は、闇の中で最も輝く存在です。しかも、そこでザリガニに、卵という新しい命が生まれると、それを見たアユもどきが「おめでとう」と言いに来る。

 弟の方も、「蓮の花」が、台紙に一番大きな場所を占めて、汚れた泥から清らかな花を咲かせます。そしてそこから、「種が出来て、また、新しい命が生まれます」。

 兄も弟も「蓮の花」、兄も弟も「新しい命」、そして、「新しい命の悦び」。2人は困難な状況を抱えいますし、特に弟の方は、「困った存在」なんですよ。その兄弟が2人して、「仏教世界」にも通じる真理を象徴する「蓮の花」を配し、「新しい命」の誕生を喜んでいる。不思議でしょ。生活に変化は「まだない」。困ったまま…。地上では、眼に見えるところでは、「何も変わらない」。だけど、根っこでは、眼に見えないところでは、「泥から花が咲く」ように、「闇に輝く満月」の如く、「新しい命」の誕生を喜んでいるんですね。

 人間の心は、実に不可思議に満ちていて、宝石のように光り輝いていると感じますでしょ。

 

 

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