「キリストの≪真≫こそ、神が下さる優しさです」と気付くと嬉しい。嬉しいから、雰囲気や言葉遣いまで変わっちゃう。当然ですね。
Young Man Luther 『青年ルター』p204の2行目途中から。
「キリストの≪真≫こそ、神が下さる優しさです」の次に来るのは、フォーゲルザンクが、新たな、根っからの「プロテスタント(抗議する者)」を決める言葉の、熱狂的な連続と呼んだものです。こういった言葉のどれかを選ぶのは、後にしましょう。こういった連続した、いろんな言葉は、キリストが、神様と人の間を結びつけることを、ルターがようやく理解できた、その中心を示し、また、人が「神の子」であるという考え方の中心も示します。
短いところですが、昨日と今日翻訳した、この段落は大事でしょ。ルターは喜びのあまり、熱狂的にいろんなことを言ったんでしょう。しかし、それは、ルターが「キリストの≪真≫こそ、神が下さる優しさです」の聖句を正確に理解したことを示すことで、その後の500年以上にわたるキリスト教史を一貫するものとなったのですから、とっても大事。
そして、それは、今も生きてますしね。