日本の子どもたちは、ベトナム戦争にも擬えてもいいくらいの「戦争」の毎日を過ごしています。昨日のブログ 子どもの日常生活に、「平和」を!!でそう記しましたね。「平和」と言われている日本の子どもの日常生活が、現実には、長時間労働、サービス産業、長時間通勤、給与の減額分を長時間労働・複数の仕事を補てんしようとするなどの親の労働環境のせいで、現実には「戦争」になっている訳です。これは、日本の労働政策をはじめとする、生存権と社会権と言う「人間らしい暮らしをしていくために、基本的で、当たり前のこと」=「基本的人権」が蔑ろにされているからですね。そのために、来る日も来る日も、行く学校行く学校で、溢れかえった愛着障害の子どもたちのケアをする毎日になってる訳ですね。
私のセラピーの基本は、プレイセラピーです。エリック・エリクソン Erik H. Eriksonから習いました。といっても、エリクソンが亡くなった1993年には、まだ、心理学を体系的に学ぶ以前で、河合隼雄先生や國分康孝先生の本を読む程度でしたからね。実際にお会いしたこともなければ、夢でさえ会ったこともあません。エリクソンの本は、大体、3回くらい、Toys and Reasonsなどは、章によっても10回を下らないくらい、リリードする中で、エリクソンがやっていたと思われるプレイセラピーをするようになってきたわけですね。いまは、時間がかかる通常のプレイセラピーよりも、コラージュ療法か絵画療法をやることが多いですが、これも、プレイセラピーの一種ですから、基本は変わりません。
子どもとコラージュ療法をしていますとね、「戦争」に擬えるほどの日常生活をしている子どもでもね、実にしなやかな復元力があることを教えられて、人間のポテンシャルのすばらしさに驚嘆することが少なくないんですね。先日も、クラスでは、立ち歩きや、教員に対する「反抗的態度」が目立つ小学校低学年の女の子が、初めてやったコラージュ療法で、「死と再生の物語」を、愉しそうに作ったことに眼を見張りましたね。「お化け屋敷に入って、怖かったけれども、そこでは美味しいご馳走と友達が出来る」という物語ですからね。反抗的に見えるのは、大人が気まぐれにその子を過剰にコントロールしていることが多いからでしょう。大人がその「気まぐれ」を止めて、≪約束≫という共通の見通しを持つことが大事になりますね。≪約束≫は≪見通し≫が≪出来事≫になることの繰り返しですから、子どもも大人も、≪信頼≫という、非常に建設的で肯定的な関係を育むことができますね。
でもね、実はそれだけではないんですね。≪約束≫は、「人間を上下2つに分けるウソ」から、≪約束≫する大人も子どもも解放し、≪1つの人類≫≪人間皆兄弟≫へと導いてくれる大事な知恵なんですね。普通は、大人と子どもの関係は、その圧倒的な力の差から、「上下関係」、すなわち、「支配と服従の関係」になりやすいですね。これだと「人間を上下2つに分けるウソ」のドップリでしょ。でもね、≪約束≫があると、子どもも大人も、対等に≪約束≫に忠実であること、対等に≪約束≫に服従することが求められますね。ここが、≪対等な関係≫、≪人間皆兄弟≫に繋がる、ってわけですね。
素晴らしいでしょ。