正しい翻訳が、正しい信頼、正しい学問になる 5訂版
いま、Young Man Luther 『青年ルター』の翻訳を進めてますでしょ。とっても示唆に富んでいると思います。ルターも鋭かったけれども、エリクソンがその...
発達トラウマ障害=愛着障害の子どもがはに、But,「それにもかかわらず」関わりをするためには、良い良心が必要です。悪い良心の大人が関わっても、関わらせてもいけません。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.244の、第2パラグラフの10行目から。
しかし、残念ながら、発達トラウマ障害の子ども達を悪くしてしまう治療プログラムや介入方が実に多い。発達トラウマ障害の子ども達を余計に悪くするのは、罰を与えるやり方と、子どもがまず「マシ」になり出したときだけ、大事にしたり、安心させることで、子どもに良い行動をさせようなどと目論むエサで釣るやり方です。そんなやり口は、一時は子どもを恫喝して、大人の望むことをやらせることが出来ても、長い目で見たら、発達トラウマ障害の子どもたち自身が、自分をもっと上手にコントロールしたくなる気持ち、人をもっと大事にしたくなる気持ちは、1つも育てませんよね。
罰とエサは、悪い良心の大人たちがイチバンよくやる手です。しかし、このやり口は、アメリカ精神医学界と、アメリカ子ども虐待専門家協会が、やってはならない禁忌とするやり口です。したがって、発達トラウマ障害の子どもに罰とエサを与えるような関わり方は、虐待です。
今まで私が出会った、最も重度の発達トラウマ障害の子どもが、今まで私が出会った、一番悪い良心の大人のクラスに入ったことに、私は「天の配剤」を感じましたね。これは「道が開ける」と直感しましたよ。不思議でしょ。
その道とは、発達トラウマ障害の子どもたち自身が、自分をもっと上手にコントロールしたくなる気持ち、人をもっと大事にしたくなる気持ちを育てる道です。