「子どもの目」に応える大人の態度 子どもはすぐに分かるその態度
マルクスの名言 ≪与えることの不思議≫。面白いですね。貰うつもりのない人が貰い、貰いたくて仕方がない人は...
発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達には、恥の幾重にもなる鎧を外す、明確な手立てが必要です。セラピーなしには回復はありません。
The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.340の、1行目途中から。
一番よくあるパターンですと、プロの役者たちが、学校のカフェテリアのテーブルから、新入生を子ども達がシカトする場面をスケッチします。その場面がある場面に差し掛かると、たとえば、その新入生が子ども達の意地悪な売り言葉に買い言葉で応じる場面で、監督は動きを止めます。クラスの1人が、その時、1人の役者と入れ替わり、その場で、どのように感じ、どのように振る舞うのかを示します。このようなシナリオのお陰で、学生たちは、様々な状況を実験しながらも、一歩下がった態度で、日々起こる様々な課題を、見つめ直すことができます。学生たちは、意地悪な連中に向かい合い、友達に話しかけ、担任を呼びに行き、親になのがあったか告げ口をするのでしょうか?
この一歩下がった態度で、日々起こる様々な課題を、見つめ直すが、とても大事ですね。これを習慣にしたものが、日々の内省であり、宗教的に言えば、お祈りなんですね。
一歩下がった態度で、日々起こる様々な課題を、見つめ直すことができると、いままで、あまり意識せずに、自動運転で暮らしている中では、見過ごされている様々な人の気持ち、自分の気持ちを見つけ直して、「自分は本当はどうしたいのか?」「何のためにするのか?」などという、最深欲求に結びついた問いを発することができるようになります。すると、おのずと自分がどのように振る舞うのが良いのか?ということを意識的に選択することが可能になりますよね。
この態度は、カール・バルトの「究極の一歩手前の態度で」に通じます。