自由なルター
ルターも、フロイトも、見つめられるのが苦手でした。 Young Man Luther 『青年ルター』p196の最後の行から。 ...
アテネ市民には、兵役が課されていましたから、悲惨で残酷な場面に繰り返し出合い、トラウマにされされました。ですから、ギリシアには悲劇が生まれたといえるのかもしれませんね。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第20章 Finding your voice : communal rhyhtms and theater「自ふんの声を見つけてね:共通のリズムと劇場」p.334、第3パラグラフから。
ソフォクルスはアテネのペルシャ戦争で将官クラスの軍人でしたし、彼の戯曲アイアースは、トロイヤ戦争最大の英雄の一人、アイアースの自殺で終わるものですが、トラウマ・ストレスの教科書みたいに、読まれています。2008年に、劇作家で映画監督のブリヤン・ドリスはアイアースの読み物をサンディエゴの500人の海兵隊のために編集して、レセプションで度肝を抜かれました(トラウマを治療している私どものような者の多くがそうであるように、ドリスの思い付きは個人的なものでした。ドリスは大学で古典を学んだ後、恋人を嚢胞繊維症でなくしてから、慰めのためにギリシア語の古典に向ったのでした)。ドリスのプロジェクト「戦争という名の劇場」は、その最初の(訳注:個人的な)出来事から進化して、国防省から経済的支援を受けて、2,500年も昔の戯曲は、国内外で200回以上上演されました。それで、退役軍人たちの苦境を代弁し、家族と友人との対話や家族と友人の理解を育んでくれました。
井上ひさしさんの「父の暮らせば」を映画や舞台で見たら、それは戦争で肉親を失った人たちの体験を追体験したり、その体験で苦しんている人の気持ちを代弁することになるのでしょう。それが可能になるように、リアリティを追求したがゆえに、井上ひさしさんは、「そこまでやるの」と言うくらいに、人の話を聴き、資料を集めて読み込んでいたそうですね。
ギリシア悲劇も、現代の戦争を体験した人のセラピーに役立つものだったようですね。