アメリカに行って気付いた、日本の「あれっ?」私が初めてアメリカに行ったのは、もう25年前、ニューヨークとニュージャージーが最初でした。当時は、知的障害のある子どもの施設で働いていましたから、アメリカでや...
子どもの日の「視点・論点」で、山梨県立大学の西澤哲さんが、子ども虐待と児童福祉法の部分的改正について、報告してくれました。その中で、厚生労働省は、虐待死は50名位、一週間に一人ぐらいの割合で、子どもが虐待によって殺されていると言っているけれども、これは過小評価かもしれない、と指摘していました。日本小児学会などの調査に基づくと、全国で、その5倍、350人ほど、毎日1人、子どもが虐待によって殺されているのが、ニッポンだ、ということを明らかにしてくれました。私の肌感覚では、毎日1人の子どもが虐待によって殺されている、というのでも、過小評価ではないか、と感じます。
発達トラウマ障害の子ども達は、直接、短時間で、殺されなくても、殺されている、と私は考えるからです。虐待とネグレクトは、人間が生きていくうえで、最も根源的な信頼、エリクソンの言葉で言えば、根源的信頼感が著しく傷つけられ、どんなセラピーをしても、回復はほとんど不可能、と思えるくらいの、眼には見えない傷を負うのです。ですから、発達トラウマ障害の子ども達は、時間を掛けてじっくり殺されている、ということが真実に近い、と私は考えます。すぐに殺すやり方よりも、十字架刑のように、あるいは、指を1つずつ、切っていき、しかも、それをインターバルを置いてやる殺し方の方が、遥かに残虐なのに似ています。
実際、ヴァン・デ・コーク教授らの臨床研究によれば、発達トラウマ障害の人は、寿命が20年も短い、と言われます。
そんなことも知らないで、最も重度の発達トラウマ障害の子どものセラピーに横やりを入れ、その保護者やセラピストを恫喝することが、いかに犯罪か! 泥棒、公金横領、収賄と同等か、それ以上の立派な犯罪を構成している、とキッパリ言っときましょう。