エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

清原選手+無知無恥夫婦= 「ウソのプロフェッショナル」

2016-05-18 06:58:50 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
クリスマスローズに思いを寄せたら
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 プロ野球の清原選手、薬物依存で逮捕され、裁判が昨日(5.17.2016)から始まりました。

 薬物依存症。自分とは「関係ございません」とか、「あんなに地位や名声、お金まで手に入れたのに、バカだなぁ」という顔で、清原選手のことを、ニースやワイドショーで見ている人が多いだろうと思います。私は、申し訳ありませんが、それは「素人考え」だと考えます。なぜなら、「ニッポンは依存症大国」なのですから。しかも、「依存症の人には病識がないのか普通」で、しかも「ウソのプロ」だからです。

 薬物依存症の人は、次第に、「薬物がないと、普通の生活ができなくなる」し、「薬を買うためには、お金が必要になるから、ドンドンウソが上手になって来る」、しかも、そのウソは「いろんな人にウソをつくんだけれども、最後にウソをつくのは自分自身に対してである」と、依存症の心理と行動を見事に解説してくれているが、「国立精神・神経医療研究センター」で依存症患者を長年診ている薬物依存研究部長、松本俊彦さんです。

 依存症と言ったら、薬物、アルコール、ニコチンなどの「もの」に依存するものだという誤解がありますけれども、それだけではありませんね。ギャンブル依存症、ネット依存症、買い物依存症など、「暇つぶしでしていること」にいつの間にか依存している、ということもあります。あるいは、家庭内暴力(DV)、恋愛、などの関係に対する共依存、依存症もあります(ウィキペディアも、ご参照ください)。私は、弱い立場の人を、コントロールし、支配し、隷属させる」依存症が、実は、一番多い、と考えます。それは、最多の依存症患者がいると思われがちなアルコール依存症の人よりも、遥かに多いと思います。 母親、父親、医者、教員、心理士、保育所や施設の職員、お役人など、人と関わる立場の人の多くが、この、弱い立場の人を、コントロールし、支配し、隷属させる」依存症にやられてます。

 無知無恥夫婦は、この弱い立場の人を、コントロールし、支配し、隷属させる」依存症の典型です。片方は、小便チビルくらいの怒鳴り声で、片方は、情報の非対称性を利用するなどした上手なウソと、制度や公金を嫁さんや子分のために悪用、横流しすることで、子ども等を隷属されている訳ですね。始めは、そんなに大きな声じゃぁなかっただろうし、「裁量の範囲内」といえる程度だったでしょう。しかし、「上手に相手をコントロールし、支配し、隷属させた」時の、一瞬の快感、それに、「すごいですね」などと子分たちに言われる快感も、次第に加わってきて、エスカレートしていった…。それが現状の、「神をも畏れぬ」無知無恥な状況です。

 今頃は、「平気」を装ってはいても、ビクビクしていることでしょう。「どこまでばれているのか?」、「バラシタのは、どいつだぁ」とばかりに疑心暗鬼になっているでしょう。証拠隠滅、口止め(かん口令)も、当然しているでしょう。

 でも、いくらやっても、バレル時はバレル!

 すでに相当尻尾が出てますから、時間の問題でしょう。

 

 

 

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インターメッツォ : みにくい自己にすぎなくても

2016-05-18 02:17:19 | 聖書の言葉から

 

 

 
日常生活の中にある超越 なぞなぞの答えは何だっけなぁ?
  眼と眼が交わること、見つめ合うことが育つことが、母子の大切な対話になる、と言いますね。それができませんと、心、魂が育ちません。逆に申し上げますと、眼と眼を合わ...
 

 お待ち堂様でした。といっても、どなたかが具体的に待っていたのではありません。短い言葉をご紹介する「インターメッツォ」のコーナー。神谷美恵子さん、しかも、『生きがいについて』の言葉を待っている方がいる感じがしたんですね。一度、何日か前に、『生きがいについて』から言葉を探したんですが、拾いたい言葉が多すぎて、絞り切れませんでした。今晩は、再度挑戦ということで、ザッと目を通し直してみたんですね。そして見つけたのが、次の言葉でしたね。カナダのマッギル大学の教授で、以前、サバティカルの時に、早稲田の国際教養学部で教えておられた、マラソン好きの太田雄三さんの『喪失からの出発 神谷美恵子のこと』も参考にしました(太田雄三夫妻は、西村先生がなくなった後、サバティカルで日本に滞在した半年ほど、「聖書を学ぶ会」でご一緒でした)。

 

 

 

 

 

 変革体験はただ歓喜と肯定意識への陶酔を意味しているのではなく、多かれ少なかれ使命感を伴っている。つまり、生かされていることへの責任感である。小さな自己、みにくい自己にすぎなくとも、その自己の生が何か大きなものに、天に、神に、宇宙に、人生に必要とされているのだ、それに対して忠実に生きぬく責任があるのだという責任感である。これが使命感の形をとり、変革体験のなかで直観的に把握され、それ以降の生きかたを決定する場合が少なくない。

(ただし、原文で傍点(```)の部分は下線にしています。)

 

 

 

 

 

 

 ブルース・ペリー教授の議論「人生が始まる時」と似てますでしょ。渡辺和子さんの、「ふがいない自分を生きる」というお話とも似ています。みにくく、ふがいない自分から逃げて、隠れていたのでは、いつまでたっても、人生は始まらない。

 何故か?

 自分の人生の意味が分からないからです。自分がどうするのが良いのか? 自分を、時間をどう使えばいいのか? が分からないからです。そういう人は、空気に流され、上司のご機嫌とりに腐心するけれども、自分は死んだままでしょう。ですから、人生が始まってない、という訳です。自分が死んでいるのに、人生が始まる訳がないからです。

 ところが、自分がチッポケで、醜いもの(真実な自己)であっても、神谷美恵子さんの言う「使命感」に気付いたら、その「声」に忠実に応え続けたくてたまらなくなりますね。応え続けられることとは、英語ではresponseしつづけることができることresponsibility=責任感、という訳ですね。

 すると、自分は「何のために生きるのか?」ということがハッキリしますから、自分をほかの人と比べる必要などなくなり、自分の使い方(使命)、すなわち、人生という時間の使い方も、ハッキリと自覚して生きることができます。

 皆さんも、よろしければ、チッポケで、醜いもの(真実な自己)を見つけるところから、始めて下さいね。

 チャオ!

 

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清原選手にも読んでもらいたいなぁ

2016-05-18 00:33:33 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
クリスマスローズに思いを寄せたら
             これがクリスマスローズ 美男美女を排して、ピエール瀧さんが主演を張った土曜ドラマ「64ロクヨン」。ドキュメント仕立て、モノクロとカラーの...
 

 

  皆さんも、自分の人生を始めたいと願うのであれば、ご自分がふがいない自分である、という真実の自分を、受け入れるところからはじめなくてはなりません

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.338から。

 

 

 

 

 

 スタッフに関わってもらう 

  こういった様々な演劇プログラムは、役者志望の人たちのためだけにあるのではなくて、怒りを抱え、ビクビクと怯え、あるいは、手に負えない10代の子ども達や、ひきこもり、アルコール依存症になり、あるいは、燃え尽き症候群の退役軍人達のためにもある訳ですね。そういういろんな人たちがリハーサルに来ると、椅子にへたり込み、人が自分の失敗をすぐに見つけるのじゃないかと怖れます。トラウマを負わされている青年たちは、ごった煮状態です。気持ちを抑えつけ、人に合わせることができないし、言葉が少なで、バラバラで、しかも、目的意識がありません。彼らは過覚醒のために、周りで何が起きているのかも分かりません不意な刺激に動かされやすく、自分の気持ちを表わすのに言葉で表すよりも、行動化しがちです。

 

 

 

 

 

 演劇トラウマ療法は、このように、発達トラウマ障害の青年たちのバラバラな状態のところに、筋を与えて、まとめることができるだけで、非常に有効なことが分かりますね。

 

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待つ教育

2016-05-18 00:01:15 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 
ルターの「天にも昇る悦び」
  真に自分のためになることは、必ず人様のためにもなる不思議ですね。 Young Man Luther 『青年ルター』p201の4から。 &...
 

 発達トラウマ障害=愛着障害の子どもとの達を、集めちゃダメですね

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.245の、第4パラグラフから。今晩の部分も再録ですが、改めて訳しています。

 

 

 

 

 

 私がもう1つ、いくら強調しても、し足りないと思うことは、いつもしていることと繰り返しが、回復のためには、とても大事だ、ということです。脳は、パターン化され、繰り返す経験に応じて、変化します。すなわち、皆さんが何かを繰り返せば繰り返すほど、その繰り返した経験が身に付くようになります。すなわち、繰り返しを積み重ねるには、時間がかかりますから、回復にも時間がかかりますし、繰り返しが続く限り、待つことが必要です。トラウマを負わされた期間が長ければ長いほど、あるいは、トラウマが重度であればあるほど、バランスを取るのに必要な繰り返しの数も、増すものですね。

 

 

 

 

  トラウマが重たいほど、セラピストのみならが、関わる大人には、待つことが必要です。待つためには、それだけの根源的信頼感の豊かさが必要です。

 やっぱり、発達トラウマ障害の子どもの問題は、すなわち、関わる大人の問題、大人の根源的信頼感の豊かさの問題になりますね

 

 

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