たまには、詩を一編。ヘルマン・ヘッセ、高橋健二訳。
願い Und dennoch hofft mein Herz
無言のうちに多くを語っている小さな手を
差しのべて下さる時、
私はいつかあなたにたずねました、
私を愛してくださるか、と。
私はあなたに、愛してください、とは望みません。
ただ、あなたがそばにいてくださることを知り、
あなたが時折り無言でそっと
手を差しのべてくださることを望むばかりです。
たまには、詩を一編。ヘルマン・ヘッセ、高橋健二訳。
願い Und dennoch hofft mein Herz
無言のうちに多くを語っている小さな手を
差しのべて下さる時、
私はいつかあなたにたずねました、
私を愛してくださるか、と。
私はあなたに、愛してください、とは望みません。
ただ、あなたがそばにいてくださることを知り、
あなたが時折り無言でそっと
手を差しのべてくださることを望むばかりです。
矢内原忠雄全集は、全部で29巻。矢内原忠雄先生の言葉をもう一度と思って、さて何にしようかと思っていたら、この全集15巻の『月報』の中に、矢内原忠雄先生の弟子の、高橋三郎先生の言葉が出てきて、今日は、高橋三郎先生の言葉にしようってことになりました。
本文中の「先生」とは、もちろん、「矢内原忠雄先生」のことです。矢内原忠雄先生が、東京大学を軍部の圧力によって辞めさせられてから出していた、無教会の月間誌『嘉信』を読み返しての感慨を記しているところです。
虚偽と悪に対する先生の激しい怒りが、どれほどすさまじいものであったか。その烈しさに触れて、私は粛然と襟を正さずにはいられなかったのである。何気なく読み過ごしていた言葉の背後に、どれほどの実体がひそんでいたか。私はそれを、年と共により深く理解するようになった。預言者の言葉を私自身のものとして味読することは、実に一生の課題だと思う。そして、その課題を追求するためには、一切の借り物を退け、一言一句を、自分の心の底からのアーメンによって裏付けられたものとして、体験を通して、みずからの体験を通して学ぶこと。つまりそういう意味において自己に忠実であること、以外に道はないのである。
ですから、最晩年、交通事故による脊椎損傷で、ご自分で聖書のページをめくることさえできなくなっても、あれだけ確信に満ちた言葉を、高橋三郎先生は、語ることができたのだろうと思います。
虚偽と悪と言っても、今私が課題にしているのは、矢内原忠雄先生や高橋三郎先生に比べれば、遥かに「小物」チャチですが、高橋三郎先生の言葉を、心の底からアーメンによって、追体験したいと思いますね。
歩くことは、人生を歩くこと身体の使い方が、自分や人の気持ちに対する見方に繋がってたり、人生に対する姿勢とも繋がってんですね。何故なんでしょうか? The life cycle cp...
発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達も、回復過程に入るためには、日常生活、自動運転とは違う視点で自分を見ること、すなわち、一歩下がった態度で、自分を見つめ直すことが大事でしょ。
The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.340の、第2パラグラフから。
もう1人のボランティアは、別のやり方をするように頼まれます。それは、学生の皆さんが、他にあるいろんな選択肢が、どのように演じて示されるかを理解するためです。物語と衣装のお陰で、プログラムの参加者たちは、新しい役割にあるリスクを冒すことができるようになります。陽気で楽しい雰囲気と役者たちから助けが物を言いましたね。演劇の後のグルーブディスカッションの中で、「このシーンは、皆さんの学校で起きていることに似ていますか? それもと、違いますか?」、「皆さんが必要な敬意を皆さんは払って貰ってますか?」、「皆さんは、皆さんの中にある違いをどのように解決しますか?」などの問いに学生さん達は応えます。こういった議論によって、イキイキとした変化が生まれますね。それは、学生ボランティアの皆さんが自分の思想や考えを変えるのと同じです。
今までと違った役割があり、それを実際に行うリスクを引き受ける覚悟をする。今の自分や自分の学校、自分の仕事場、自分の地域、自分の社会…を今までとは、違った視点で眺めてみる。そして、それを何人かの人たちと一緒に話し合う。
話し合いによって、イキイキとした変化がもたらされる。民主主義のお手本ですね。
発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達が、家庭でばかりではなくて、ルールや日課を強制されて、学校や児童施設でも虐待されていることが、ニッポンの最大の課題だと私は考えます。1000兆円の財政赤字以上の日本最大の赤字は、子どもの半分以上を占めるであろう、発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達が、学校や児童施設でも虐待されて、ポテンシャルを奪われていることだと考えますね。何かを強制されたら、安心と安全は打つ壊しでしょ。反発やあきらめと不信を生むだけでしょ。ですから、強制はダメなんですね。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.126、下から第3行目から。
私がもう1つ学んだことは、最初の印象(ファースト・インプレッション)の力です。私の最初の印象が良い場合、少なくとも、ハッキリしない場合は、子どもの予後がはるかにいい感じなんですよね。疑うことを知らず、ふつうは怯えていて、どうしていいのかもわからない子どもに対して、あれやこれやと質問するよりも、子どもが私自身に出逢うチャンスを上げることが一番良いってことが分かりました。子どもと私は、短い楽しく笑える話か、面白そうな話をします。子どもに、私のことを評価する時間をちょっと与えて、「あなたから教えてもらいたいことがあるんだあ」とハッキリと、率直に説明し、しばらく、こちらの話を受け止めることができるうように、子どもを一人にします。私が確かめることは、その子が自分のことをコントロール出来ている、ということですね。
ブルース・ペリー教授は、やはり、発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもの、本物の臨床家ですね。子どもが安心するのには、楽しい話しか、面白そうな話をするのが一番良いに決まってますからね。そして、その子が、自分自身をコントロール出来ているかに気を配ります。そのためには、その子に、その子にとって良さそうな見通しをハッキリ示すこと、それから、予定を選択できることが大事です。