日没間近
いつもは、インターメッツォは、参考になる、肯定的な言葉を取り上げてますけれども、今朝は、反面教師のことばですね。最近であった大ウソつきの発言から。男性か女性かは、想像にお任せします。
「ウソをつくのは止めましょう!」
大ウソつきは、ウソを表情一つ変えずに言えます。ウソを平気な顔して人に言わせます。どんな人物かは、想像にお任せします。
日没間近なのは確かでしょうね。
日没間近
いつもは、インターメッツォは、参考になる、肯定的な言葉を取り上げてますけれども、今朝は、反面教師のことばですね。最近であった大ウソつきの発言から。男性か女性かは、想像にお任せします。
「ウソをつくのは止めましょう!」
大ウソつきは、ウソを表情一つ変えずに言えます。ウソを平気な顔して人に言わせます。どんな人物かは、想像にお任せします。
日没間近なのは確かでしょうね。
「ありのままが認めて」もらえない憎しみ 改訂版ルターがプレゼントとしての「いいよ」が戴けると分かった時の感動は、いかばかりだったでしょうか? ジーンとからだ全体が熱くなるだけじゃぁなかったかも&helli...
「発達トラウマ障害≒愛着障害」と診断・アセスメントすることの大事さを、改めて考えていただけたらいいですね。
今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-Ⅴにハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の46目。
今朝は、妥当性と信頼性の章の17日目。
対人関係が不安定だという、発達トラウマ障害(DTD)の診断基準は、PTSDの回避や孤立の症状と一致する、さまざまな対人関係に関わらないことも含みますし、PTSDの怒り、イライラが嵩じる、不信感と反抗も含みますけれども、信頼、やり取り、人の気持ちが分かること、助けを求めること、PTSDではない関連する内的心理の範囲は、PTSDに比べたら、遥かに広範です。
発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもが、大人に対する不信を示す症状は、実に様々で、千差万別です。
ボォーとすること、手遊びにふけること、外を見ていること、下を向いていること、食事を残すことなど、子どもが大人への不信を示す症状に、サイコセラピストとして出逢わない日は一日もありませんね。
エリクソンは天才! ≪背後≫の意味するもの人は、二本足で立った瞬間から、向きができます。そこから、心の中にも向きができます。オリエンテーションです。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡...
発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達には、恥の幾重にもなる鎧を外す、明確な手立てが必要です。セラピーなしには回復はありません。
The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.339の、ブランクから。
街の即興劇
私の息子が大好きな演劇集団は、「街の即興劇(UI)」によって運営されていましたが、長年続いているボストンの芸術集団です。息子は高校生の時はずっと、この演劇集団と人たちと一緒でしたし、大学一年生の夏には、ボランティアをして、彼らと共に働きました。まさにその時、息子は「街の即興劇」の暴力防止プログラムを学んだのですが、この暴力防止プログラムは、1992年以来、街のいろいろな学校で何百というワークショップを開いてきましたが、その効果を査定する研究の承認を得ていたのです。しかも、その研究責任者を探していました。ニックは、舞台監督のキッバー・ディウェイとシッサ・キャンピオンに、「お父さんこそ、その仕事にもってこいですよ」と告げたのです。私にとっても幸いでしたが、2人の舞台監督は、ニックの意見に賛成してくれたのでした。
素晴らしいですね。ヴァン・デ・コーク教授も演劇の発達トラウマ障害≒愛着障害の治療効果を実感していた。演劇集団も、非暴力プログラムの治療効果の研究責任者を探している時に、その研究に相応しい、ヴァン・デ・コーク教授の倅のニックが、その演劇集団に出入りしていた。
「偶然」と言う人もいるでしょう。でも、私はここに「天の配剤」、コンステレーション、あるいは、摂理・プロビデンスがあると感じますよ。
平たく言えば、「誰かが見守っていてくれたんじゃないのかな?」 と感じるような時、あるいは、「上手く出来てんなぁ」と実感するような時・カイロスなんですよ。
どなたでも、その場に出くわせば、お分かりになる瞬間・カイロスだろうと思います。
ジャスティンも、ブルース・ペリー教授に出逢えてよかったことでしょう。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.126の第2パラグラフ。
私は誰にも気付かれずに、ざわざわした中を、ナース・ステーションまで歩くと、 黒板を見て、観察を頼まれている少年を見つけました。その時、ジャスティンの声がしました。大きく、奇妙な金切り声がしたので、私はすぐにそのやせた小さな子どもが、緩んだおむつをされて、小屋に入れられているのが分かりました。ジャスティンの小屋は、鉄格子、アイロン・バー(iron bars)で、屋根にはベニヤ板が針金止めされていました。それまるで犬小屋でしたけれども、私が分かることになったのは、恐ろしい皮肉、アイロニー(irony)でしたね。その少年は、前後に身体を揺らすロッキングをして、とっても粗野な自己刺激的な子守歌を口ずさんでいました。その子は排泄物にまみれて、顔中に食べ物がくっつけて、おむつは重く、オシッコでグッシャリでした。
いわば、座敷牢状態ですね。身体を揺らすロッキング、子守歌も、対人関係で良い思いをしていないことを、示しています。自己刺激の耽るのは、対人関係が、温もりのないものか、一人ぼっちか、その両方を示すことが多いからです。
人との温もりのある関係が乏しいために発達トラウマ障害≒愛着障害になっているのに、鉄格子の犬小屋に入れられて、いっそう、温もりのある関係から遠ざけられている、という皮肉です。
鉄格子の皮肉(アイロン・バーのアイロニー)ですね。