エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

組織の空気や流れにおもねらない独立の在り方が必要だ!

2016-05-10 07:25:14 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
真理はあなた達を自由にする ルターの場合
 ルターの登場は、さながら、こんな夜明けでしたでしょう。幸いなるかな…。     ルターはギリシャ語も...
 

 

 東電、東芝、オリンパス、三菱自工、三井不動産レジデンシャル…。危険予測のデータ、会計、燃費データ、杭のデータが改竄され、市民を欺き、ウソとゴマカシをやっていたことが明らかになりました。また、大川小学校や広島県府中の中学校のように、子ども達が死んでいるのに、ウソとゴマカシをやり続ける教育委員会もありますね。

 企業倫理、組織倫理、コーポレートガバナンスの必要性が叫ばれています。企業倫理が専門の弁護士、久保利英明さんによれば、企業倫理を支える仕組みもあるそうです(8.31, 2016。「視点・論点」)。例えば、ジェネラル・カウンシル。弁護士出身の副社長で、企業倫理を担当し、社長の解任に関わるような強力な権限と独立性のあるポジジョンを設ける、という方法もあるようです。

 しかし、制度や仕組みをいくら変えても、それを用いる人間の在り方が変わらなければ、企業倫理は実現しない、というのが久保利英明弁護士のご意見です。私も同じ意見です。

 じゃぁ、どのように私どもの在り方を変えたらいいのか?

 

 東電、東芝、オリンパス、三菱自工、三井不動産レジデンシャル、大川小学校や広島県府中の中学校などは、トップや管理職が、自分の目先の利益、自分が安易に得することを追求する時に、その上司の思考におもねり、是非を問わずに盲従する、日本人の無責任な在り方そのものが問題です。内外の、何百万、何千万の人を殺した太平洋戦争をやった日本軍の、無責任な在り方が、ちっとも変っていない訳ですね。丸山眞男教授が明快に解説してくれています。

 先ほどの企業倫理が専門の久保利英明弁護士は、福沢諭吉の言葉「一身の独立なくして、国家の独立なし」を引用しながら、組織の空気や流れにおもねらない独立の在り方が必要だ、と言いますね。

 私どもも、是々非々をハッキリとできる、独立の人でありたいものですね。

 

 

 

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翻訳出来たから、新たな道が見つかった! ルターと同じ

2016-05-10 06:22:50 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
女の子の成長は、性差をどれだけ認めるかで変わってきます
  女性の発達にどのような変化をもたらしたのでしょうか? The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p38の11行目途中...
 

The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.335の最後の行から。

 

 

 

 

 

 この状況が変化したのは、オレンジ・モーリス王子がオランダ反乱軍の指導者になってからでした。王子は20代前半でしたが、ラテン語コースを修了したばかりでした。ラテン語を読めたおかげで、王子は1,500年前のローマ帝国の軍事戦略の手引書を読むことが出来ました。王子が学んだのは、ローマの将軍リュクルゴスがローマに、「1、2とリズムに合わせて行進すること」を導入したことと、歴史家のプルタルゴスは、リュクルゴスが戦に負けなかったのは、この行進のためだったと認めていたことでした。「それは、それは、壮観で、恐ろしい光景でした。リュクルゴスの軍隊が、フルートの音色に合わせて、行進し、階級の上下に関わらずに、また、心にある不安に関わらずに、顔色はコロコロ変わるのにも関わらず、落ち着いて、陽気に楽しく、音楽に合わせて、死闘に向かっている姿ときたら。」

 

 

 

 

 

 フルートに合わせて、「1、2、1、2…と行進する…」。一糸乱れぬ隊列は、味方であれば、頼もしいものでしょうが、敵でしたら、怖い。士気の高さを示していて、強そうですものね。

古代ローマにすでにそのような軍隊が存在し、リョクルゴス軍は連戦連勝だったらしい。

その歴史を、ラテン語で読めたオレンジ王は、戦術をリュクルゴスから学ぶことが出来て、大国スペイン帝国を打ち破ることができたらしい。

ルターと同様「翻訳する力」が、新たな道を切り開いた、その典型といえましょう。

 

 

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インターメッツォ : 考えないことが、「人類に対する犯罪」

2016-05-10 06:13:36 | 聖書の言葉から

 

 

 
真理はあなた達を自由にする ルターの場合
 ルターの登場は、さながら、こんな夜明けでしたでしょう。幸いなるかな…。     ルターはギリシャ語も...
 

                                                                                                                                                                                                                                                             

  今晩は、この3月で、朝日新聞の「論壇時評」を卒業した、高橋源一郎さんの言葉を学びます(『ぼくらの民主主義なんだぜ』から)。

 ついでに言えば、この4月からその「論壇時評」を引き継いだ、慶應大学教授の小熊英二は、都立立川高校のクラスメート。特に3年生の時には、教卓から2番目の、私が左側、小熊が右側で、席を並べていましたっけ。今でこそ小熊は、歴史社会学の専門家ですが、当時は、授業も聴かないで、教員の眼の前で、物理の本ばかりを、机の下で読んでいたのを思い出しますね。小熊の話はまた別の機会に。

 

 

 

 

 

 

 (ハンナ・)アーレントは、アイヒマン裁判を傍聴し、彼の罪は「考えない」ことにあると結論付けた。彼は虐殺を知りながら、それが自分の仕事であるからと、それ以上のことを考えようとはしなかった。そこでは、「考えない」ことこそが罪なのである。

 

 

 

 

 

 「考えない」、と言われても、「僕はいろいろと考えている」と反論したい人もいるでしょう。ハンナ・アーレントが、高橋源一郎さんが「考えない」というは、そういうことではないんですね。いつもやっていること、ルーティーン・ワークは、「自動思考」「自動運転」でやっています。考えるパターンも、行動パターンも、毎日ほぼ決まってますでしょ。それが即ち、「考えない」ということ。つまり、いつも自分がやっていることを、常に、別の視点から、検証する、あるいは、弱い立場になって、内省する、ということをしないのが、「考えない」ことなんですね。この「考えないこと」こそが、「人類に対する犯罪」です。

 例えば、三菱自工。燃費データを改ざんし続けていたことは、その燃費データだけがウソとゴマカシではないはずですね。組織の中でいろんなウソとゴマカシがあって、その一つがたまたま燃費データの改ざんとして、バレちゃった、というのが実情でしょう。

 たとえば、大川小学校。6年生らが「山に逃げよう」と言った(当時、五年生で、数少ない生き残り、只野君がそのように証言している)のに、その意見は否定されて、北上川の方に「逃げた」。日頃から、子どもたちの意見を尊重してて、たまたまこの時「6年生の意見が否定された」のではないでしょう。ふだんから、生徒の意見は軽く扱われていて、あるいは、平気で無視されていたからこそ、311の時もやっぱり軽く扱われ、無視された、と考える方が物の道理でしょう。結果として、生徒の意見だけが軽く扱われたのではなくて、70名以上の生徒の命まで、軽く扱われることになっちゃった。口では「命を大事にしよう」と教えていたに違いありません。でも、その「いってること」と「やってること」が、バラバラも甚だしい!

 あの無知無恥の夫婦も、最も弱い立場の最重度の発達トラウマ障害の子どものためにあるカウンセリングの制度を、自分らが得したり、「上手に」「公式に」イジメをしたりするために、使ったのですからね。質が悪すぎますよね。筋がヤクザでしょ。

 それでも、まだゴマカセル、と思っているとしたら、大間違いですね。

 必ず天罰と×が落ちます。

 「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。」(『新約聖書』「マタイによる福音書」第 10章26節)

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「発達トラウマ障害の子ども等に『正しいこと』を押し付けることは、虐待だ」

2016-05-10 00:32:25 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 

 
女の子の成長は、性差をどれだけ認めるかで変わってきます
  女性の発達にどのような変化をもたらしたのでしょうか? The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p38の11行目途中...
 

 

 ブルース・ペリー教授の手厳しいご指摘、学校でイジメがなくならないのは、教員自体がいじめをやってるから。真実です

 

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.243のブランク後の2つ目のパラグラフから。

  ここは、発達トラウマ障害の負わされた愛着障害の子ども達が、家庭で、学校で、保育園や児童養護施設などの児童施設で、間違った対応=虐待をされる典型的なパターンを示してくれています。

 

 

 

 

脳の、この特性の結果、早期介入は、後れを取る場合よりも、常にいいものである場合が多いものです。しかし、その介入は、役立つものでなくっちゃね。レオンの場合みたいに、レオンを助けるためにやってる、ほとんどが、実際はレオンを一層悪くしている、ということがままありがちです。 まず私どもが、「ダメだぁ」と言いたくなることや、「止めなさい」と言いたくなるようなことを、その子ども達がやり出したら、私どもは、「うるさい子、不満タラタラの子、攻撃的な子は、『ダメな子』だとか、『甘えん坊』だとか」見ても、「そのような様子は、して欲しいことをして貰えず、可能性が育てられていないから、やってることだ」とか、「多くを貰えず、良い思いもしてこなかったから、やってるんだ」とかとは、理解してもらえない場合が、本当に多いのです子どもを親切で、気前がよく、人の気持ちが分かる子にしたいと思ったら、まず、その子がそのように関わってもらわなくっちゃ、ということでしょ。

 

 

 

 発達トラウマ障害の子どもらは、「ダメだぁ」と言われることをやりがちです。特に悪い良心の大人達、すなわち、「正しいこと」を押し付ける大人達は、ブルース・ペリー教授がここで指摘した通りのことをしでかします。私も何人もの、そういう悪い良心の大人たちの関わりを見て、「それはやってはならないこと」「禁忌とされていること」と、繰り返し申し上げています。

 「発達トラウマ障害の子ども等に『正しいこと』を押し付けることは、虐待だ」ということを、ハッキリと言っておきますね。

 必要なのは、子どもの症状を生み出している心理的背景を理解することです。ですから、特に、重度の発達トラウマ障害の子どもの心理的支援に横やりを入れたり、心理的支援から切り離すことが、それ自体そのものが虐待と言えるわけですね。

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