エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

発達トラウマ障害の子どもは、いろんな合併症がある

2016-05-17 07:27:13 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
心、ないしは、魂が生まれるところ
  朝三本足、昼間二本足、夕方三本足、さて、なあに? The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p40の第3パラグラフから。&nb...
 

 

 今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の39目。

 今朝は、妥当性と信頼性の章の10日目。

 

 

 

 

 

 合併症の危険性が高い : 発達トラウマ障害の履歴があったり、症状があったりする子ども達は、自分で自分をコントロール出来ない、破壊的な行動がある、情緒障害がある、不安障害があり、解離がある、発達障害がある、愛着障害がある、ということになるのが普通です。

 

 

 

 

 

 一度、発達トラウマ障害になってしまうと、関わったり、育てたりすることがとても難しい子どもになるか分かりますね。

 

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インターメッツォ : 音楽の力 佐渡裕さんの場合 被災でご苦労された人々とやり取りする中で

2016-05-17 06:43:44 | 聖書の言葉から

 

 

 
ルターのマインドフルネス 
  ルターは、関根正雄先生のように、該博な知識を持っていながら、常に謙虚で、人の話を聴くような人だったみたい。どこかの大学(院)教授のように、よくも知らないことを...
 

 先日、世界で活躍されている指揮者、佐渡裕さんが朝のテレビのインタヴュウで答えていた言葉から(5.13, 2016 NHKニュース 「おはよう日本」)。神戸、東北、熊本・大分の震災に遭った地域の人々とやり取りとしているといいます。さだまさしさんの東北復興支援のコンサートでは、佐渡裕さんは常連でしたしね。

 

 

 

 

 

 「『音楽をするということは、様々に生きている人が、この時間を一緒に生きていることを確認すること』、あるいは、『一緒に生きることは悦びなんだ』と音楽の神様が、音を通して教えてくれている…」

 「人にとって、歌というものは、すごく、人の心を優しくするものであったり、一緒に涙を流せるものであったり…音楽がこんなに身近に人を励ますことができるだということを僕は学んだ気がするんですね

 

 

 

 

 

 

 これは、震災で亡くなったり、傷ついたり、家を失ったりしてご苦労された人の悲しみを見て、もらい泣きしたことに基づいている、と思って間違いありませんね。それは、先日引用した、浜矩子さんの言葉と一緒です(涙する目と懲戒免職)。

 そんな 浜矩子さんや佐渡裕さんの真逆を行く、心の復興のためのお金や制度を自分の嫁さんや子分たちのためにゴマカシ、横流しするようでは、無知無恥夫婦の懲戒免職は免れないでしょう。

 

 

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人生が始まる時

2016-05-17 03:06:58 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
心、ないしは、魂が生まれるところ
  朝三本足、昼間二本足、夕方三本足、さて、なあに? The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p40の第3パラグラフから。&nb...
 

 

 私どもも、舞台を見て感動するのは、人間性の深み、最深欲求の行方を目の当たりにして、人と自分の繋がり、エリクソンの言い方で言えば、Iがweになると感じることができるからなんでしょう。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.337の、第5パラグラフから。

 

 

 

 

 

 トラウマを負わされた人々は、ぶつかり合いを怖がります。自分をコントロール出来なくなり、また、負け犬で終わるのが怖いんですね。ぶつかり合いは、演劇の要です。気持ちのぶつかり合い、人とのぶつかり合い、家族のぶつかり合い、社会的対立、それぞれの結末。トラウマは、自分が怯えていて、激しい怒りに打ち震え、無力であることを、忘れよう、隠そう、というものです。演劇は、真実を語り、深い真実を聴衆に伝える方法を見つけ出すものです。そのためには、皆さんの真実な姿を見つけ出すために、心にかぶせてある、いろんな鎧を打ち壊し、皆さんが心の中で体験してきたことを詳しく調べ、分析しなくっちゃね。それは、自分の真実な姿が、舞台で皆さんの声と身体に現れるようにするためなんですね。

 

 

 

 

 

 演劇トラウマ療法に限らず、セラピーの内的プロセスを示したものですね。

 普通は、というか、あまり意識せずに、自動運転で生きてますとね、自分は何となく、「世間様に指さしされないように、立派に見せよう」、「賢く見せよう」、などとしますでしょ。そんな繰り返しの自動運転の生活をしてますと、自分の真実の姿が、自分が怯えていて、激しい怒りに打ち震え、無力であることとは想像もできなくなってしまいます。

 こう考えてきますとね、実に多くの人が、実は発達トラウマ障害だということが分かりますね。真実の自分の姿ではないものを自分に仕立て上げようとする、的外れですね。

 渡辺久子さんみたいに、自分は、ふがいない自分自分が怯えていて、激しい怒りに打ち震え、無力であることを認めていくことが、すべての始まりです。

 そこに来てない人は、50歳になっても、何歳になっても、まだ人生が始まってもいないのですよ。

 

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集めちゃダメだ!

2016-05-17 00:33:17 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
安倍晋三首相のマゾとサド 対話ができないマザコン宰相 お病気が重たいようですね
   今の日本人は、たいていマゾかサド!  馴れ合いの受身形は、奴隷の始まりでしたね。それじゃあ、その能動形は?...
 

 

 発達トラウマ障害=愛着障害の子どもとの関わりは、関わる大人の根源的信頼感が問われます

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.245の、第4パラグラフから。今晩の部分も再録ですが、改めて訳しています。

 

 

 

 

 

 私どもがお互いに合わせ鏡になる生態の、もう1つ別の意味は、攻撃性があったり、衝動性があったりする子ども達を集めることは、よろしくない、ということです。というのも、子ども達は、攻撃性や衝動性を照らし返して、強化してしまって、お互いに穏やかになることは、できません。このように問題児だけ集める方法は、芳しくない結果を示す研究がいろいろありますけれども、残念なことに、いろんなセラピーグルーブや市民サービスを、課題のある子どもを集める、というやり方で、組織化する癖がありますしね。私どもはレオンのケースで見たように、問題児を集めると、課題が一層悪くなるのが、現実です。

 

 

 

 

  集めちゃダメだ

  実際に、1つのクラスに、脱抑制タイプの愛着障害≒発達トラウマ障害の子どもを集めちゃったクラスがありましたが、「見事なくらい」授業が成立していませんでしたね。クラス担任も、文字通り涙を流してましたよ。あっちを注意している間に、そっちでは、立ち歩きが始まり、こっちでは、おしゃべりが始まる…、クラスが蜂の巣をつついたような状態…。

 集めちゃダメだ!

 

 

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