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ナゾナゾ遊び、一席
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子どもは、次第に経験する時空も広げていきます。大事な大事な始まりです。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p...
演劇トラウマ療法は、かなり有効なトラウマ治療法ですね。
The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.337の、第4パラグラフから。
これまで私どもが見てきたように、トラウマの本質とは、一人ぼっち、ということです。他の人すべてから見捨てられた感じです。演劇には、人間の条件に集団で向き合うことがあります。ポール・グリフィンが、アメリカの養子制度で養子になっている子どもたち向けにポールが作った演劇プログラムについて議論している時に私に言ったことは、「劇場での悲劇の素材は、裏切られたこと、レイプされたこと、破滅させられたことに折り合いをつけるのに役立ちます。こういった(犯罪歴のある)子ども達は、『リア王』、『オセロ』、『マクベス』、『ハムレット』が言わんとすることを、難なく分かるものですね」ということです。ティナ・パーカーも、「すべては、身体全体を使い、皆さんのいろんな感じ、いろんな気持ち、いろんな考えに、他の人の身体を響かせていくわけです」と言っていますね。つまり、演劇というものは、トラウマを負わされてる人たちが、普遍的な人間性の深みを体験することで、人と人との繋がりを取り戻すチャンスになる訳ですよね。
トラウマの本質とは、「見捨てられ」ですし、その結果の「一人ぼっち」という感じです。ですから、虐待の本質は、ネグレクト(見捨てられ)なんですね。これは、発達トラウマ障害の子どものセラピーをしていれば、必ずと言っていいほど、出てきますね。私は、プレイセラピー、箱庭療法、コラージュ療法、絵画療法が得意ですが、そこに繰り返し現れるのが、「見捨てられ」のテーマであり、「一人ぼっち」のテーマですからね。
ですから、発達トラウマ障害の子どものセラピーは、人と人の繋がりを実感することが大事です。人と人を繋げるものは信頼でしょ。それも、最深欲求と結びついた根源的信頼感です。発達トラウマ障害の子どものセラピーの着観点は、セラピストの根源的信頼感ですね。常に問われるのは、子どもの方ではなくて、セラピストの態度です。カール・ロジャースと同じです。
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