今のニッポンが「厳罰主義」なのは、多くのニッポン人が、いかに心が貧しいのかを物語っている訳です。
ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.240の 第2パラグラフから。
私どもの生態によって、私どものまわりに見えるものの行動を私どもは真似したくなる、ということが分かります。私どもは、何を繰り返し、何を強化し、何を組み入れるのかを分かっています。私どもが何かをすればするほど、私どもの脳の中にある、その何かをするのに役立つシステムも強化されます。こうして脳が出来てくる、という事実が素晴らしいのは、私どもが毎日の繰り返しをよくよく考えることが、人を大事にすることにもなり、人を世話するとになる時ですが、こういった事実が恐ろしくなるのは、暴力のことを考える時ですし、私どもと私どもの子ども達のまわりの暴力を疑似体験することが増えていることを考える時でしょう。
今朝のブルース・ペリー教授の話は、昨夜のヴァン・デ・コーク教授の話とかぶっていますね。毎日子どもたちが周りに見ていることが、自分の頭で考えて、人を慈しみ、人を大事にし、晴れ晴れと力を合わせることならば、それは、その子どももその真似をするように脳が出来てきますから、人間の脳は素晴らしい、と思えます。しかし、子ども達が毎日周りで見ていることが、人の顔色を窺い、強いものにはオベンチャラ、弱い者には、イジメとゴマカシ、自分(達)の利益のためなら、お客に平気でウソを言い、人が苦しみ、悲しい思いをしていても、ヘッチャラだとしたら、その子ども達もその真似をするように脳を使っちゃう…。恐ろしいことですね。
今のニッポンは、まぎれもなく、ウソとゴマカシに塗れた脳を作るようにできてきます。