エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

根拠のない自信 と 人生のより頼み

2016-07-16 08:22:46 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
発達は、「私」次第。
  発達というのは、自分が生きること、自分を生かすこと、自分自身になることです。 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p59......
 

 根拠がないことって、「いい加減」と同じと思っている人が少なくないでしょうね。「いい加減」がもともと「良い加減」であり、肯定的な意味があったみたいに、根拠にないことにも、肯定的な意味があんですね。

 その代表選手が、エリクソンの言う根源的信頼感です。これは原理的に、赤ちゃんの時に母親がよくしてくれた経験という過去に遡るものですから、「いまここ」においては、根源的信頼感は、目に見える形での根拠は、1つもありません。逆に言うと、「いまここ」の状況が、良い場合でも、芳しくない場合でも、根源的信頼感にとっては、原理的に、影響されるはずがありませんでしょ。根源的信頼感の根拠は「いまここ」にないわけですからね。人目には、「根拠がない」と見えるのも、ある意味当然です。

 でも、エリクソンがいつも教えて下さるように、3歳でも、23歳でも、53歳でも、83歳でも、いつでも、心の底の底で支えてくださるのが、根源的信頼感なんですね

 全く不思議です。本当にありがたいことです。とっても嬉しいことですよね。

 

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発達トラウマ障害(DTD)のセラピーの要諦 : ビスティス

2016-07-16 07:47:20 | トラウマを負う≪本当の自分≫を取り戻す

 

 

 
子どもの「私」は、「割れ物注意!」
   「本物」とは?  「本物」と言って思い出すのは、信仰の恩師、西村秀夫です。西村先生の口癖の一つは、間違いなく「本物」でした。 その中でも、忘れなら......
 


 

 2年前(2014年)、心理臨床学会の招聘講演で、発達トラウマ障害(DTD)について講演した、Ruth Lanius ルース・ラニウスさんらが昨年出した本、Paul Frewen , Ruth Lanius (2015) , Healing the Traumatized Self   consciousness, neuroscience, treatmet 『トラウマを負わされた自分に対する囚われから自由になること  意識、神経科学、治療』の翻訳。 最終章の第7章、p.275の下から7行目途中から。

 

 

 

 

 

トラウマを乗り越えた人々は、ある種、より善いもの、思いやりのある社会の一部にもなります。 トラウマを乗り越えた人の意識は、束縛を解かれていますから、それまで出来ずにいた禁止事項を、男でも女でも、自由に打ち破ることができます。新しく未知なる経験が、トラウマを乗り越えた人に、男女の区別なく、開かれて、トラウマを乗り越えた人は、牢獄から出ることができます。それは、かつてトラウマに囚われていた人には、手が届かくとも思えなかったやも知れない世界なんですよね。

 

 

 

 

 トラウマに囚われている、ということは、今を生きることも、未来に開かれることもできません。なぜなら、トラウマに囚われていたら、何時でも不意に、トラウマを負わされた過去に引き戻されてしまうからです。

 そのトラウマを乗り越えるためには、何よりも大事なのは、〇〇セラピー、などではありませんよ。発達トラウマ障害(DTD)の治療で何にも増して大事なのは、ヴィジョンであり、そのヴィジョンに対して忠実であり、誠実であることです。要するに、ピスティス πίστιςです

 

 

 

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健全な発達の要諦 : 遊び

2016-07-16 01:51:54 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 

 

 

 

 
ルターが、苦しみの中に見つけた勝利
  「神の判断」は、自分の心の声を聴いて忠実に従うこと、それは同時に、理性的に、誠実に、真実に判断することなんですね。 Young Man Luther 『青年ルター』......
 

 

  発達トラウマ障害DTD愛着障害の子ども、大人、お年寄り。その人は、魂はいつでも0歳。怖いでしょ。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.138の下から4行目途中から。

 

 

 

 

 

その養母さんが7歳の子どもを優しく抱きながらロッキング・チェアーに座っている時、彼女は赤ちゃんの時にその男の子が手に入れることが出来なかったタッチやリズムを差し上げていました。脳の発達の原理は、神経組織が繋がって、繋がりの中で働く、ということです。さらには、脳の未熟な部位の繋がりを付けるのは、もっと低次だけれども成熟した部位からの刺激が入るか否かにかかっています。1つのシステムが、必要な時に必要なものが手に入れることが出来なかったりすれば、その必要に依存している脳の部位は、上手く働くことができませんし、発達に遅れのあるシステムが必要な刺激が遅ればせでも提供されても、ダメなんですね。健全な発達の要諦は、正しい経験を、たっぷりと、正しい時期に手に入れることです。

 

 

 

 

 

 忙しくしていると、忙しいことに心奪われた感じになりますね。子どもにとって大事なのは、命を分け与えることですが、それはすなわち、時間をプレゼントすることなんですね。しかし、忙しくしていると、プレゼントする時間もないし、プレゼントしたいと思う心もなくしがちになっちゃいますでしょ。

 ですから、いつでも必要なのが、遊び です。

 

 

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退化の印

2016-07-16 00:37:06 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
発達は、「私」次第。
  発達というのは、自分が生きること、自分を生かすこと、自分自身になることです。 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p59......
 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子ども。最大の改善策は、法定労働時間の順守と、最低賃金の大幅改定です。すなわち、7時間か8時間、働けば、残業せずとも、人間らしい暮らしが全うできるような社会に改良していくことです。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.350の3行目から。

 

 

 

 

 

しかし、ボストンのブルーヒル通りで起きた車からの銃乱射で殺された10代の青年のお通夜に参列した後、あるいは、人口が減っている市町村で最近、学校予算が削減された記事を読んだ後で、私は絶望しそうになります。多くの点で、私どもは退化しつつあるように思います。退化しつつある印のいろいろ。両親が失業したり、収監されたりしている子ども達に食糧切符を冷たい議会が出し渋ること、一部では、一般の健康増進策に、冷たい議会が頑固反対する、心の病で苦しんでいることと、社会的な状況とを関連付けることを、トンチンカンな精神科医たちは反対する、人間を大量殺戮することにしかならない武器を商売にしたり保持したりすることを禁止することに反対する、資源だけではなくて、人生も台無しにしている・・・。

 

 

 

 

 

 私どもが退化しつつある証拠は、いろいろあるみたいですね。

 ニッポンにあっては、現行憲法をますます生かせなくなっている点も、退化しつつある兆候だ、と私は考えます。

 

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