エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

子どもの成長と シェアする自由

2016-07-29 08:31:00 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
高齢者もイキイキ、ピチピチ
  私どもも、「死ぬのが愉しみ」と言える老賢者になりたいものですね。 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p63の第2パラグ......
 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子ども公衆衛生上でも、社会福祉の上でも、学校教育の上でも、最大の問題だ、と考えますが、ニッポンでは、まだ、発達トラウマ障害(DTD)の存在すら認識されていないのが、悲しき現状です。残念です。発達トラウマ障害(DTD)の子どものは、特に、継続的に、誰かが、僕を知っていて、大事に思ってくれて、大好きでいてくれる、という自信が、心の唯一のガソリンです。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.352の第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 でもね、私どもが、見捨てられた、価値がない、ホッタラカシと感じていたら、大事なものは1つもないも同然です。恐れがあれば、物事に対する好奇心も無くなりなりますし、陽気で楽しい感じになれるはずがありません。真っ当な世の中にするためには、私どもは、子どもが安心して遊んだり、学んだりできるように、子どもを育てなくてはなりません好奇心がなければ、子どもが成長するはずがありませんし、自分は何者で、自分にとって何が大切なことなのか、ということを、「あーでもない」「こーでもない」といろいろと試すことによって、詳しく調べることなしに、大人達に合わせることなどできるはずがありません

 

 

 

 

 

 

 子どもが自由に好奇心を働かせるためにも、子どもが自由に、自分は何者で、自分にとって何が大切なことなのか、ということを、「あーでもない」「こーでもない」といろいろと試す為にも、大人が子どもと、その自由をシェアすることが大事です。子どもにルールや日課ばかり押し付けているようでは、子どもは不自由を感じても、自由を満喫することなどできません。

 大人自身が自由でいることが出来て、すなわち、≪本当の自分≫を生きることができてはじめて、子どもに、その自由をシェアすることができます

 

 

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触られるのが嫌! になる訳

2016-07-29 07:12:10 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
取引はよくあることですが、所詮「一時避難所」です。
  悪い良心を、エリクソンは何度も取り上げますよね。それだけ、悪い良心に苦しんでいる人が多いし、エリクソンのところに治療に来る人も多かったんでしょう。 Young Ma......
 

 発達トラウマ障害DTD愛着障害の子ども。甘えが全く足りません。マッサージという簡単な方法が、その甘えを提供するうってつけの方法ですから、マッサージ・セラピーは、実際に母親が自分の子どもにすることができますから、良いですね

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.142の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 半年か8ケ月たって、コナーは徐々に我慢強くなり、他者に体が触れることを楽しめるようになりました。コナーは次の治療段階に移れるようになっていると私は申し上げました。それは、私のところにやってきて、握手するみたいに、手を伸ばすようになった時のことでした。コナーは私の手を叩かなくなりました。それは、おばあちゃんでしたら、幼子とやることみたいですが、コナーにとっては、ヘンテコな握手も進歩でした。以前でしたら、コナーは、自分からはもちろん、身体の接触を求めたりは決してしませんでした。実際、コナーは体が触れることを嫌がってたんです。

 

 

 

 

 

 触られるのが嫌な子ども。

 さっきのエリクソンの言葉でご紹介したみたいに、触れられることが、子どもが大事にされた気持ちに繋がっていれば、触れられることを嫌がるはずがありません

 触れられることが、打たれて、痛いことであったり、手を取られて、自分がコントロール出来ないようにされた不満なことであったりした場合、子どもは触れられることが嫌いになるんです。

 

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安心して失敗できるから、信頼できる

2016-07-29 04:43:04 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
高齢者もイキイキ、ピチピチ
  私どもも、「死ぬのが愉しみ」と言える老賢者になりたいものですね。 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p63の第2パラグ......
 

 

 2年前(2014年)、心理臨床学会の招聘講演で、発達トラウマ障害(DTD)について講演した、Ruth Lanius ルース・ラニウスさんらが昨年出した本、Paul Frewen , Ruth Lanius (2015) , Healing the Traumatized Self   consciousness, neuroscience, treatmet 『トラウマを負わされた自分に対する囚われから自由になること  意識、脳科学、治療』の翻訳。 発達トラウマ障害(DTD)のセラピーだけでなく、発達トラウマ障害(DTD)の元になってる、家庭、学校、職場などでの、ネグレクトや虐待を止めなくてはなりません。 

 最終章の第7章、p.279の、3行目途中から。

 

 

 

 

 

さらには、失敗するんじゃないかという恐れ、セラピーがうまくいったときに人生はどうなるんだろう(「このセラピストは、私を見捨てるのかしら?」「普通の暮らしができるのかしら?」)、ということに関する恐れによって、トラウマを負わされた人たちは、非常に怖れを覚えます。結果として、セラピストの関係が繰り返し試されて、その関係が何度も、躓きと修復を繰り返すことは、セラピストと共に治療していくことを信頼する上で、避けられませんこのような経験をすればこそ、クライアントは、関係がうまくいかなくても、安全に解決し、結局はうまくいくようになるということを学べるものだ、と言っていいのです

 

 

 

 

 

 安心して失敗できる関係が、信頼を育むのです。失敗しても責められず、また、修復可能だということを体験できるからです。セラピストとの関係も、そうありたいですね。

 

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精神障害大国 津久井やまゆり園の犯人も

2016-07-29 03:35:44 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
歴史の教訓の一例として 山崎豊子さんから
   なんで、今の日本には、こんなにウソとゴマカシが溢れているのか?  儀式化 ≠ 神経症(不安障害)!?2013-07-27 01:37:10 |&n......
 

 神学のお話は、さほど人気がありませんでしたね。でも、私自身が大切にしていると ころなので、また折を見て、神学の分野の言葉を取り上げたいと思います。4日ぶりに
、 Childhood and Society 『子どもの頃と社会』の至言に戻ることにしましょう。p.254から。

 

 

 

 

 

 

 自分が大事にされているという気持ちを失わずに、自分のことをコントロール出来ているという感じからは、善意と誇りという感じが、生涯残ります自分のことを自分ではコントロール出来ず、知らない内にコントロールされているという感じからは、人も自分も疑う気持ちと、自分はダメたぁと恥じる感じが、一生涯いつまでも付きまといます

 

 

 

 

 

 これは、エリクソンのライフサイクル論で、2番目の段階、幼児前期と言われる1才半くらいから3歳位までの子どもの気持ちを言ったところです。普通人の記憶に残らない体験と、その時の気持ちを明確にしてくれているところですね。

 そのような幼子に対して、「大事にしよう」と思って関わるのか? それとも「どうせ分からないだから」と軽く扱って関わるのか? 普通はあまり意識しないで、関わることの方が普通ですから、大人の自分の態度がどうなのか、考えずに過ぎてしまう時期かもしれませんね。

 ところが、赤ちゃんの時期の関わりが、生涯消えることのない感じを幼子に与えることになるとしたら…?

 いま、発達トラウマ障害(DTD)の子どもが日本中に溢れていて、その多くが、あらゆる形の依存症、うつ病、統合失調症、境界性人格障害はじめ、いろんな人格障害などになっちゃってます。それは、親、保育士、教員、医者、心理士、福祉施設職員らが、子ども達との関わりのおいて、子どもたちが、自分のことを自分ではコントロール出来ず、知らない内にコントロールされているという感じを押し付け続けているからです。かくして、ニッポンは立派な精神障害大国になっちまっています。津久井やまゆり園の「犯人」も、その手の、押しつけがましい大人たちの関わりの犠牲者の一人でしょう

 それは、大人たちが、赤ちゃんの時期や幼子の時期に、この子どもを、「どうせ分からないんだから」と、大人達に都合よく、コントロールしている賜物です。

 

 

 

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