エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

発達トラウマ障害(DTD)の子どもと 人でなし

2016-07-06 08:39:29 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
カウンセラーのお仕事 十分ではないけれども・・・
    大学院の心理学じゃぁない、日常生活の心理学  世界に対する見方を構成する3つのアスペクト   人間を上下に分けるウソは、人間の...>続きを......
 

 

  「発達トラウマ障害愛着障害」という診断名は、発達トラウマ障害(DTD)の子どもの幸せを実現するためにこそあることが分かりました。

 今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : developmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の81日目。

  今朝は、限界 の最期。

 

 

 

 

 

最後に、ここに掲げましたデータは、発達トラウマ障害(DTD)の子ども達を、発達トラウマ障害(DTD)のない精神病のコントロール群と比較してはいません。そんな比較ができれば、発達トラウマ障害(DTD)の症状を、一般的な精神病と、もっときっぱりと鑑別するのに役立つはずです。

 

 

 

 

 

 こうしてヴァン・デ・コーク教授の考察を追ってきますと、知的誠実さが大事なのは、発達トラウマ障害(DTD)の子ども達に、役立つセラピーや支援をして、発達トラウマ障害(DTD)の子どもも人間らしい、幸せな人生を歩んでもらうためなんですね。

 ビョーキの、「人でなし」(本田哲郎神父が、鮮やかなほど、的確に表現したもの)がいくら頑張っても(我を張ったって)、発達トラウマ障害(DTD)の子どもは不幸になるばかりです。

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不幸と悪意

2016-07-06 07:54:52 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 

 

 
本音を知らない私たち
  ルターの戦いは、私の言葉で申し上げれば、≪話し言葉≫が≪出来事≫と一致するようにする闘いです。それは今の日本ほど、難しい時代は、歴史上、そうそうないですね。その戦いの敵......
 

 

 発達トラウマ障害DTD愛着障害の子ども、コナー君の乳母がどんな人か気になりますね。

 学校や児童施設や病院などで、税金でやってる「サービス」が、現実には、子どもの傷に塩を塗る虐待になっている、ということなんですね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.136の最後のパラグラフから。

 

 

 

 

 

 不幸なことに、ジェーンもマークも知らないところで、このいとこは他の仕事を見つけてたんですね、それも、住み込みの乳母をします、といった後でしたからね。もっとお金が欲しいから、そのいとこは、コナー赤ちゃんをホッタラカシにして、別の仕事をに出かけちゃう、とは、ジェーンにもマークにも一言も言いませんでした。この人は、自分の赤ちゃんに朝オッパイを上げて、仕事に出かけると、コナー君に昼ご飯を上げて、着替えを済ますと、ジェーンもマークも仕事から帰らない内に、サッサと家に帰ってしまいました。この人は、赤ちゃんが一人でいる時に、自分の赤ちゃんに汗疹ができたりはしないかしら、火事になったりしないかしら、などと言う心配していたんですが、自分のしていることが、いかに子どもを傷つけることなのか、心配一つしていなかったのでした。このいとこは、子どもの発達を、ジェーン以上に、無視していたんです。このいとこは、食べ物や水分、さっぱりした服や見守りと同じくらい、、赤ちゃんには温もりと眼差しが必要てことが全く分かっていなかったのでした。

 

 

 

 

 

  

  発達トラウマ障害(DTD)のまわりにいる子どもの近くに、発達トラウマ障害(DTD)のことをよく分かっている人がいない。不幸なことですが。特に日本では、発達トラウマ障害(DTD)の子どものまわりに、発達トラウマ障害(DTD)のことを分かっている人がいないことの方が、普通でしょう。児童精神科医でさえ、発達トラウマ障害(DTD)のことをよく知らない人が多いのですから。

 質が悪いのは、心を深く病んだ人が、悪意に満ちて、発達トラウマ障害(DTD)の子どもから、発達トラウマ障害(DTD)の専門家を引き離してしまうことですね。そんな信じられないことが、税金を使って、日本で行われているんですからね。

 ビョーキって、本当に恐ろしいし、おぞましいものでしょ。

 

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あばら骨と早産

2016-07-06 03:05:17 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
次の世代を大事にする力が広がっていく
  いまも昔も、心理・性的な生態が変わることには、大きな危険が伴います。性には、大きな生産性があると同時に、大きな破壊性も伴うからですね。 The life cycle......
 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子ども。そのセラピーも、セラピーが効果的になるのは、主観的な心か深く響き合うからですしあの深くて真実な態度と本当のことを言う態度が全身に漲っているからなんですね

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.347の第3バラクラフから。

 

 

 

 

 

 パーカーの午後のクラスのために、パーカーはリチャード2世のセリフを準備します。そこでは、リチャード2世が王位を奪う領主に王冠を渡すように命じられたのです。その後の議論の後で、パーカーが思い出したのは、母親があばら骨を折ったのは、母親が自分を身籠ったときだったこと、それに、自分は母親があばら骨を折ったことを自分が未熟児で生まれたことといつも結び付けて来たことでした。

 

 

 

 

 

 この後の展開が楽しみですね。

 本当に楽しみですよね。

 

 

 

 

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インターメッツォ : 洗礼を受けること

2016-07-06 01:33:10 | 聖書の言葉から

 

 

 
カウンセラーのお仕事 十分ではないけれども・・・
    大学院の心理学じゃぁない、日常生活の心理学  世界に対する見方を構成する3つのアスペクト   人間を上下に分けるウソは、人間の...>続きを......
 

 

 今宵も本田哲郎神父様の言葉に学びたいと思います。洗礼についてです。

 洗礼と言ったら、全身を水に中に浸す浸水と、額に水を垂らす灌水礼などのやり方がありますが、基本は全身を水に浸す浸水だそうですね。洗礼はカトリックにも、多くのプロテスタント諸教会でもありますが、サクラメント、固定的儀式を認めない私ども無教会やクエーカー(フレンズ)には、ありません。

 しかし、本田哲郎神父様によれば、洗礼の本来の意味は、水に自らを浸すことではないらしい。私ども無教会でも、「それならば」という感じに感じましたね。『釜ヶ崎と福音 神は貧しく小さくされた者と共に 』から。

 

 

 

 

 

 キリスト者としての根幹、すなわちキリスト者としての生活姿勢は、入信の儀式として行われる「鎮めの式」(バブティスマ βαπτισμα=洗礼式)において象徴的に示されています。聖書では「メタノイアの沈めの式」(バブティスマ・メタノイアス βαπτισμα μετανοιας)と呼んでいるとおり、これは「洗い清め」の儀式ではなく、
「低みに身を沈める」儀式でした。メタノイアが「(人の痛みの解るところに)視座を移す」という意味であることからもわかるように、「沈めの式」(洗礼式)を受けるということは、苦しむ人の痛みを共感するところからすべてを見直し、それに基づいて判断し、行動します」という決意表明(信仰宣言)にほかなりません

 

 

 

 

 

 洗礼式は、まるでお風呂に入るみたいに、「汚れを洗い流すもの」だと勘違いしている場合が多いのじゃぁないですか? 本田哲郎神父様のよれは、その勘違いが、大間違いであることがハッキリ分かります。

 貧しく、弱くされている人たちの、鋭い感性に学びながら、行動を起こすことが、大事になります。それは多くの場合、人でなし、ビョーキの人、ビョーキの組織と闘うことが基本になります。弱い立場の命を傷つけている、ウソと逃げ腰を暴き、弱い立場の人が喜べるように変えていくことが何よりも大事になりますね

 

 

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