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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

改訂版 インターメッツォ : 恐れるなぁ! ≪本当の自分≫を生きることを

2016-07-03 08:57:36 | 聖書の言葉から

 

 

 
光を求める心
   ≪真の関係≫は、心の向き(オリエンテーション)、心の態度  今日から、第三節「≪真の関係≫で大事にする、いろんなこと」に入ります。p43最初から。......
 

 

 先ほどの「こころの時代」で、基督教独立学園高校の前校長、安積力也さんがインタヴュウに答えて、お話しくださいました。前回の「こころの時代」のお話し「待てない時代に、どう育てるか」も良かったのですが、今回も良かったですね。

 安積力也さん、高校生と真実に関わる時に、親を恐れることが、世の中を怖れる背景にあり、その克服に高校生たちが迷い、絶望と諦めに陥っていることが話されていましたね。私が最近高校生たちのサイコセラピーをしていて、面接したすべての高校生が、安積力也さんの話と共通のことで悩み、絶望や諦めに陥っていますから、これは、今の日本の普遍的な現象だと感じましたね。

 安積力也さんがおっしゃるのは、聖書のメッセージ「恐れるなぁ」です。それが≪本当の自分≫を生きる為に必要だというのです。これは至極まっとうなことだと、サイコセラピーをしていて、確信します。

 それはこういうことです。人は恐れがあると、心乱れてしまいがちではないですか?それを「思い煩い」≒「重い患い」と言いますでしょ。この「思い煩い」はギリシア語でμέριμνα  μερίζω 「分ける」、「バラバラにする」から派生した言葉です。恐れがあると、≪本当の自分≫がバラバラになって、生きられない、という訳です。ですから、≪本当の自分≫を生きる為には、恐れずに、思い煩うことなく、≪本当の自分≫1つに賭けて生きることになります。

 大人が≪本当の自分≫と真実な関わり、関係性を生きている時、その真実な関係が子どもとの関係に反映されていることを、子どもが直感する時、その子ども自身が、恐れや思い煩いから解放されて、≪本当の自分≫という光を見つけ出すことが可能になります

 そのことを明確に、安積力也さんは今朝教えて下さいましたね。

 

 「恐れるなぁ!」

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その時 : 発達トラウマ障害(DTD)は一歳までの子育てに情愛がないから

2016-07-03 07:22:42 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 

 
次世代を育てることが人間的な業
  世代を繋ぐ親子の関係なども、本能的な力であるのに、今の日本では、それさえ危うい時代です。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成......
 

 

 発達トラウマ障害DTD愛着障害の子どもコナーくんも、本来飲まなくていい無駄な薬を飲まされていたのです。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.135の第3パラグラフから

 

 

 

 

 

 コナー特有の症状と、自閉症や統合失調症の典型例と一致しないことを考えていたら、赤ちゃんの頃の虐待されたり、ネグレクトされたりした子ども達を思い出したんですね。ジャスティンみたいでしょ。特に、私は詮索好きの横眼から、悪いことは全て、赤ちゃんの頃に始まるものだと疑ってたんですよね。というのも、上手に歩くためには、中脳と脳幹が上手に調整されていなくてはなりませんからね。この部分は、ストレス反応を調整するのに欠かせない部位なんですよ。脳幹と中脳は、発達の極初期に発達する部位にありますから、この部位に悪影響がありますと、それは一歳までの間に悪いことがあったことになりますもんね。

 

 

 

 

 

 一歳になるまで赤ちゃんに対して、虐待があったり、忙しくてあまりカマッテやれなかったり、世話が、情愛のある関わりというよりも、機械相手の作業のようになったりするネグレクトがあったりすれば、脳が通常の発達ができません。恐ろしいでしょ。赤ちゃんとの関わりがあると、脳が真面に育たない、ということは、学校教育の中でも教えられませんから、多くの母親は、虐待やネグレクトに手を染めているのが、今のニッポンの、背筋も凍る現実です。

 

 

 

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発達トラウマ障害(DTD)≒愛着障害は、DSMに入れても大丈夫

2016-07-03 04:42:32 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
光を求める心
   ≪真の関係≫は、心の向き(オリエンテーション)、心の態度  今日から、第三節「≪真の関係≫で大事にする、いろんなこと」に入ります。p43最初から。......
 

 

  「発達トラウマ障害愛着障害」という診断名は、発達トラウマ障害(DTD)の子どもの幸せを実現するためにこそあることが分かりました。

 今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : developmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の78日目。

  今朝は、妥当性と信頼性の章の49日目。

 

 

 

 

 

10)発達トラウマ障害(DTD)という診断が、DSMに入れるほどの正当な根拠を示すデータが、すでに出版されているか?

 何百という研究(ヴァン・デ・コーク等、2009が要約しています)が示すデータが示していることは、発達トラウマ障害(DTD)に見える症状は、何処にでもあるものですし、発達トラウマ障害(DTD)の最初の診断基準として特定可能な、発達上の不幸な対人間の色々なトラウマと結びついているものだ、ということです。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)という診断は、DSMに入れても良かったんです。その法が善かった。でも、全米の50の州とグアムなどの準州(領土)にも、トラウマ・センターが出来ていて、基本的にヴァン・デ・コーク教授の提唱する発達トラウマ障害(DTD)の治療教育に当たっています

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人格障害Mの日常News

2016-07-03 03:46:49 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
「悪い良心」→「良い良心」への曲がり角
  人と関わるヒューマン・サービスで最も大事なのは、「良い良心」です。 Young Man Luther 『青年ルター』p209の第2パラグラフの下から7行目途中から。......
 

 

 人格障害と言っても、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達のことではありません。

 サイコセラピストとして守秘義務がありますから、デフォルメして記すこととしますね。無知無恥なので、MUCHIのイニシャルを取って、Mと呼ぶことにしましょう。

 Mが一番喜ぶこと、それはペコペコされることです。すすんで挨拶されることをことのほか喜びます。いわば、神のごとく賛美されたいのです。

 Mが一番嫌うこと、それは、対等な人間として扱われること。「人間を上下2つにわれるウソ」に徹底的にやられているので、「自分が上」ということを認めない相手は許せないのです。自分を特別な存在だと錯覚している訳ですね。特権意識の塊です。

 Mが得意なこと、それは、ウソをつくことです。「自分が上」を実感するために、人をコントロールし、支配しようとするわけですね。根源的信頼が非常に弱いために、人と対話することができません。ですから、あらゆる対人関係は、「上」になるか「下」になるかです。「上」になるためには、どんなウソでも言う訳です。どんな手を使っても、どんなウソを言っても、人を従わせようとするわけです。人は自分に従うものだと自己中に思っている訳です。薬物依存症の人が、薬物を買う金を手に入れるために、あらゆるウソを言い、人が自分に金を出すのは当たり前だと思っているのと同じてす。

 ですから、「自分が上」になるためには、弱い立場の人の人権も人命も蔑ろにしても、平気の平左。弱い立場の人を利用し、搾取しても平気の平左です。ですから、Mが一番苦手なこと、それは、人の立場に立って、人を理解したり共感したりすることです。ですから、人のことを理解したり共感することができません

 Mは、幼いころから、親から蔑ろにされてきましたから、どうすれば、人を蔑ろにできるのかをよく知っています。ですから、表情一つ変えずに、いわば、私は何にも悪いことは致しません」と言いながら、ナイフで他人の心臓を打っ刺すことができる人です。

 Mは、謙遜を装うことはできます。オベンチャラも言います。しかし、その態度は「エヘン、俺様は謙遜にもなれるほど、偉いんだぞぉ」と言いたげです。ですから、態度の一番の特徴、それは尊大、傲慢、それから、権力的な振る舞いになります。

 そんな人がそばにいたら…? 身の毛もよだつでしょ?

 でも、そんな人でも、サイコセラピストは、その人が、真面な人間になることを支援していくものなのです。キーは、その人が真面な人間になりたい、と願うことですね。そうでない場合は、神の鉄槌が下るという恵みを経て、初めて、再生することができるのです。

 鉄槌が下りるのは秒読みになりました。

 

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