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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

自分の仕事を相対化する知的誠実さ

2016-07-05 07:56:15 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
本田哲郎神父と福音
本田哲郎神父  ≪真の関係≫は心向き  佐々木正美先生のコラム「響きあう心94」を拝見していたら、フロムが言っていることと、同じことを、佐々木正美先生な......
 


 

  「発達トラウマ障害愛着障害」という診断名は、発達トラウマ障害(DTD)の子どもの幸せを実現するためにこそあることが分かりました。

 今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : developmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の80日目。

  今朝は、限界 の続き。

 

 

 

 

 

 次に、ここに載せたデータはどれも似たようなものですが、このデータと矛盾するデータもあります。他の子どもに比べて、不幸な生い立ちの子どもに多いとは言えない症状があると分かった研究もあるくらいです。でもね、私どもが文献をよく調べてみたら、そのような研究はほとんどありませんでした。妥当性のあるメタ分析の(研究しいることを研究する)研究は、発達トラウマ障害(DTD)とは矛盾するデータを報告している研究がほとんどないことが、ファイルをしまった引き出しの問題なのかどうかを確かめるために、研究されなくてはなりません。

 

 

 

 

 自分らの研究を、一歩下がった態度で、客観的に研究対象にするメタ研究。自分の仕事を相対化するのも、知的誠実さの証明ですね。

 あの、闇の集団と化した、実に幼稚な人達。自分の仕事を相対化できないので、神の仕業であるかのごとく絶対視していることにも気付かない、その鈍さ、愚かしさ、何よりも、幼稚さ。せめて、ヴァン・デ・コーク教授の爪の垢を煎じて飲んで貰いたいですね。

 

 

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悲しみの波 と 意識的な試み

2016-07-05 06:41:03 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
ルターの戦いは私どもの戦いでもある : 勇気と真実
  形ばかりをやりやすいところで、どうしたら本気を取り戻したらいいのか? それかいつでも課題です。 Young Man Luther 『青年ルター』p210の最初の行の......
 

 発達トラウマ障害(DTD)の子ども。そのセラピーも、セラピーが効果的になるのは、主観的な心か深く響き合うからですしあの深くて真実な態度と本当のことを言う態度が全身に漲っているからなんですね。ビョーキの人やビョーキの人のビョーキが瀰漫した腐った組織の人のウソとゴマカシの逃げ腰とは真逆でしょ。そんなに逃げ腰の大人に係ったら、発達トラウマ障害(DTD)の子ども達は、ますますその傷に塩を塗られる日々を過ごすことになります

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.347の第2バラクラフから。

 

 

 

 

 

 エドワードは、「シェークスピアと仲間達」の教師の1人ですが、私に教えてくれましたよ。それは、エドワードが「パッカーの上級者向けトレーニングのワークショップで、1人の役者として体験したことでした。そのグループは、朝、練習をして過ごしたのですが、それは胴体にあるいろんな筋肉を開放させる練習でしたから、呼吸は深く自然なもの、お腹いっぱいのものになります。エドワードが気付いたのは、自分のあばらに息を通すたびに、悲しみが波みたいにやって来る、ということでした。その教師はエドワードに、「怪我でもしましたか?」と訊きましたが、エドワードは、「いやぁ」とだけ言いました。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子どもも大人も、ここにあるような深い悲しみを、数え切れないほど抱えて生きているのです。それは深く呼吸をするほどに、再体験することになります。

 大事なのは、それを意識的にやる、逃げないでやる、ということです

   

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ネグレクト?

2016-07-05 00:58:49 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
ルターの戦いは私どもの戦いでもある : 勇気と真実
  形ばかりをやりやすいところで、どうしたら本気を取り戻したらいいのか? それかいつでも課題です。 Young Man Luther 『青年ルター』p210の最初の行の......
 


 

 発達トラウマ障害DTD愛着障害の子ども、繰り返しで恐縮ですが、極々一部に過ぎない子どものことだと思うでしょ? でも、それがとんでもない誤解なんですよ。アメリカでは、子どもの4分の1が発達トラウマ障害(DTD)と言われます。日本は、そのような統計はないのですが、カローシ(過労死)、ブラックバイトなどと言う言葉があるくらい、日本の労働市場の奴隷化が進んでいる状況と、実際に多くの子どもを観察する臨床的な印象では、日本の子どもの2分の1が、発達トラウマ障害(DTD)と言っても、全く過言ではありません。

 学校や児童施設や病院などで、税金でやってる「サービス」が、現実には、子どもの傷に塩を塗る虐待になっている、ということなんですね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.136の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 ジェーン達に子どもが生まれる2~3年前、ジェーンと旦那のマークは、ニュージャージー州からニューメキシコ州に引っ越して、新たなビジネスを始めました。この新しいビジネスは当時はやっていたんですね。2人は経済的に自立したので、子どもを作ろうと思ったら、間もなくして、ジェーンは妊娠したのでした。ジェーンは、とてもいい産前ケアを受けまして、通常分娩で、生まれた子どもは、元気で健康でした。しかし、家族のビジネスは、とてもきつくて、ジェーンは産後2週間ばかりで、仕事に戻ることになりました。ジェーンは、保育所については、ひどい話を聞いていましたから、ジェーンもマークも、住み込みの乳母を雇いました。偶然、ジェーンのいとこが、近所に引っ越してきて、仕事を探していたんですね。それで、そのいとこを雇われ乳母に雇うことが、双方の問題を両方とも解決する、理想的な解決法に見えたのでした。

 

 

 

 この雇われ乳母さんが、良い人ならば…。そういう話になりそうですね。

 

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インターメッツォ : 立場を鮮明にすること および 気になる気

2016-07-05 00:40:52 | 聖書の言葉から

 

 

 
本田哲郎神父と福音
本田哲郎神父  ≪真の関係≫は心向き  佐々木正美先生のコラム「響きあう心94」を拝見していたら、フロムが言っていることと、同じことを、佐々木正美先生な......
 


 今宵は、本田哲郎神父様の言葉に、また戻りたいと思います。その言葉は昔、西村先生が、クリスチャンの心得として語った、矢内原忠雄先生の言葉と、奇しくも同じです。『釜ヶ崎と福音 神は貧しく小さくされた者と共に 』から。

 

 

 

 

 

 じっさいイエスは、立場を鮮明にすることによって、「包丁を入れる」こと(バッレイン マカイラン βαλλειν μαχαιραν)を実行しました。

 宗教上の指導者であり社会的エリートであったファリサイ派の人々と、彼らが「罪人」と見下げる宗教上の掟を守れない貧しい人々との対立において、イエスははっきりと貧しい「罪人」の側に立ちました

 …イエスは見せかけだけの平和、弱い立場の者に犠牲を強いるだけの和解、うわべだけの一致には、我慢ならない人でした。

 

 

 

 

 

 昔、「聖書を学ぶ会」の集会で、西村秀夫先生がクリスチャンの生き方の基本として、矢内原忠雄先生の行動指針を、ことある度に話してくれました。その基本中の基本は「旗印を明確にすること、それが、その後の戦いを容易にする」ということでした。本田哲郎神父様の今宵の話と共通しますでしょ。矢内原忠雄先生の行動指針が、イエスをモデルにしていることには、集会にいた時には、ついぞ気付くことはありませんでしたが、こうして教えられると、鮮やかに行動指針の基本のキが分かったような気がします。

 昨晩の高校教師、安積力也さんの言葉を借りれば「自分自身の不安や怖れを引き受けない」大人は、実に子どもっぽい。はっきり言って、幼稚です。そういう人に限って、言葉だけは、偉そうなことを言う訳です。ですから、言ってる言葉と、言葉の響きが解離してしまう…。ウソとゴマカシの逃げです。そうやってたんでは、≪本当の自分≫が死んでしまうのに…。せっかく生かされているのに、腹の底からの悦びを知らずに死んじゃうつもりなんでしょう。水の中でおぼれているのに、ご本人たちは、王座にでもついているような幻想を抱いているはずです。実に幼稚でしょ。

 子どもは、知的な遅れや偏りのある子どもでも、そんな大人のウソとゴマカシの逃げ腰はすぐに見抜くのにね。見抜かれているのがなんとなく分かるから、余計に、偉そうな素振をするわけですねビョーキの組織の闇そのものです。

 子ども、弱い立場の人が一番望んていること、それは、その子どもの不安や怖れから逃げ出さないで、「共に見る」ひとりの大人です。それは、その大人がまず自分自身の不安や怖れから逃げずに、向き合う日々を過ごす中で「あの光」を体験して、初めてできることなんです。

 それは、何も話し言葉で説明する必要などないものなんですね。子どもは、赤子でも、直ぐに気付いてくれますからね。大江健三郎さんの言葉に擬えて言えば、生き方の習慣、日常語で言えば、雰囲気、あるいは、単に「気」ですね。気を読む、気を発する、という時の「気」です。子どもは、言葉がまだ言えない赤子でも、その「気」にずくに気付くのですね。そして、その「気」に触れ続ける時、人が違って見えるほど「元気」になるのですね。

 

 

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