エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

改訂版   科学的方法論+体感的直感力

2016-07-04 07:46:01 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
酒鬼薔薇聖斗さんと、私どもの良心 「点検後は整備もお願い!」
ニルス・クリスティ―教授  デマゴキブリ  <私>が分裂する ⇔ わが子を拒みたい気持ちの残忍さ ⇔ ジェノサイドと戦争 &...>続きを読む......
 


 

 発達トラウマ障害(DTD)の子ども。演劇トラウマ治療で、トラウマを抱えた人が、逃げ出さないで、気持ちを言葉にすることによって、自分の気持ちが分かるようになります子どもの前では偉そうなことは言えても、実際は、態度では、子どもっぽい感じで逃げとゴマカシをやり続けたあの人たちも、演劇トラウマ療法をやればよかったのかもしれませんね。

 The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.347から。

 

 

 

 

 

 セラピーと演劇(シアター)

 

  私はティナ・パーカーが満場のトラウマ治療専門家たちに宣言したのを聴いたことがあります。それは、「セラピーと演劇(シアター)は直感が勝負です。それは、研究とは真逆です。そこでは、自分の私的な体験は、たとえ患者自身の経験であっても、その外側に出ようにして、仮説の客観的妥当性を試そうとしますでしょ。セラピーが効果的なのは、主観的な心か深く響き合うからですしあの深くて真実な態度と本当のことを言う態度が全身に漲っているからなんですね」という宣言です。私が今も望んでいることは、いつの日か、ティナの間違いを証明することですし、また、科学的な厳格な方法論と、体感した直感の力とを合体させることなんですね。

 

 

 

 

 

 この最後の、科学的方法論+体感的直感力を、アセスメントで結びつけたのが、石隈利紀先生のアメリカでの恩師、Kaufman, A.S.教授の、「賢いアセスメン(Intelligent Testing)」です。

 しかし、科学的方法論+体感的直感力をもっと広い臨床で実践したのが、エリクソン夫妻のライフサイクルの心理学だと、私は確信しています。それは、臨床でエリクソン夫妻が考えた8段階を活用していれば、「本当に上手く出来てる」と、どなたでも実感できるものだからです。

 発達トラウマ障害(DTD)治療でも、エリック・エリクソンとジョアン・エリクソンが臨床を通して考え出したライフサイクルの心理学が、科学的な厳格な方法論と、体感した直感の力とを合体させることなって、実に見事なほど役立ちます

 

 

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知的誠実さ と ビョーキの組織の闇

2016-07-04 02:15:27 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
脳まで悪影響があることは、エディプス・コンプレックスでは説明できませ~ん
  次世代の人たちを育てることが、人間らしい業と言えますよね。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p52の第4パラグラフか......
 

 

  「発達トラウマ障害愛着障害」という診断名は、発達トラウマ障害(DTD)の子どもの幸せを実現するためにこそあることが分かりました。

 今朝も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : developmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の79日目。

  今朝は、限界 のはじめ。

 

 

 

 

 

                限界

 

 私どもは、発達トラウマ障害(DTD)を支持するデータは説得力があると信じて居間けれども、様々な分野で限界があるのも事実です。提示したデータが引用された様々な研究は、特定の診断をする文脈で工夫されたわけではない、ということがあります。その多くの研究は、内心では発達トラウマ障害(DTD)のような診断を想定したものでしたが、厳密な診断基準ができるまでには、コンセンサスと時間が必要です。このように、発達トラウマ障害(DTD)を支持するデータは、あらゆる問いに答えるには、十分ではありません。

 

 

 

 

 

 限界の1つを今宵は翻訳したにすぎません。でも、キチンと自分の仕事の限界を明確にするところが、知的誠実ですね。

 さいきん、大の大人が、子どもっぽい、逃げとゴマカシを、繰り返し演じている(ビョーキの組織の闇)のを見せられて、「これだから、子どもがますます重荷を負わされているんだなぁ」と感じることがあったので、ヴァン・デ・コーク教授の知的誠実さが、際立つように感じてしまいましたね。

 

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学校や児童施設や病院が税金を使って子どもを虐待している不幸

2016-07-04 01:51:12 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
酒鬼薔薇聖斗さんと、私どもの良心 「点検後は整備もお願い!」
ニルス・クリスティ―教授  デマゴキブリ  <私>が分裂する ⇔ わが子を拒みたい気持ちの残忍さ ⇔ ジェノサイドと戦争 &...>続きを読む......
 

 

 発達トラウマ障害DTD愛着障害の子ども、極々一部に過ぎない子どものことだと思うでしょ? でも、それがとんでもない誤解なんですよ。アメリカでは、子どもの4分の1が発達トラウマ障害(DTD)と言われます。日本は、そのような統計はないのですが、カローシ(過労死)、ブラックバイトなどと言う言葉があるくらい、日本の労働市場の奴隷化が進んでいる状況と、実際に多くの子どもを観察する臨床的な印象では、日本の子どもの2分の1が、発達トラウマ障害(DTD)と言っても、全く過言ではありません。

 忙しくてあまりカマッテやれなかったり、世話が、情愛のある関わりというよりも、機械相手の作業のようになったりするネグレクトがあったりすれば、その子どもの脳までが、真面の発達しないんですね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第6章、本のタイトルにもなっている「犬として育てられた少年」のp.136の第2パラグラフから

 

 

 

 

 

 私は詳細な生育歴を手にして、コナーの母親のジェーンに、コナー君の子どもの頃のことと、ジェーンママの子どもの頃のことについて伺いました。ジェーンママは明るい人でしたが、心配性で、堪忍袋の緒が切れる寸前でした。ジェーンママは子どもの頃は、トラブルがありませんでした。ジェーンママは一人っ子でしたし、やさしい良心の下で育てられました。コナーにとっても不幸なことですが、ジェーンママは、親戚が近くにいませんでしたし、10代の頃はほとんどの時間をベビーシッターと過ごしたんです。その結果、ジェーンママは自分の子どもができるまで、赤ちゃんやよちよち歩きの幼子とかかわったことがほとんどありませんでした。子どもが少なかったり、家族から離れて暮らしたり、同年以外の人からは、ますますきり離されたりするのは、現代のクルマ社会ではよくあることです。ですから、私どもだけでは、子ども達がそれぞれの発達段階にどのように振る舞うのが良いかを学習するのに、十分ではありません。さらに言えば、わが国の公教育には、子どもの発達の関する内容も訓練もありませんし、子育てや脳の発達に関する内容も訓練も全くないのです。その結果が、「子どもに関する基礎知識」でして、それは、不幸なことですが、コナー君にとって厄介をもたらす上で大きな役割を演じることになったんです。それは、露音訓にしたことと同じです。

 

 

 

 

 

 子どもの発達について、最近の知見の爆発的な進歩が、家庭にも学校にも全くもたらされていませんね。その事情はアメリカもそんなに良くないようですが、日本では、もう「無知蒙昧」と言ったら、強い言葉すぎるかもしれませんが、現実には、それほど言い過ぎでもないのです。というのも、発達トラウマ障害(DTD)は、日本では、ごく当たり前と思われている家庭で爆発的に増えているからです。換言すれば、発達トラウマ障害(DTD)の問題は、1人親や、暴力的な虐待がある家庭だけの問題じゃぁないからです。

 いつそう不幸だと思うのは、日課や課題を強制することが、発達トラウマ障害(DTD)の子ども達には禁忌であることも知らされていませんから、学校や児童施設や病院などで、税金でやってる「サービス」が、現実には、子どもの傷に塩を塗る虐待になっている、ということなんですね。

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インターメッツォ : 親が怖い子ども達 そして、「あの光」

2016-07-04 00:32:01 | 聖書の言葉から

 

 

 
じゃぁ、どうすりゃいいの?
  人間が破壊的武器を手にしたロボットになるのは、確信がないとき、根源的信頼感が脆い時です。アベシンちゃんは、その意味では、不信の塊です。 Young Man Luth......
 

 

 

 せっかくなので、今朝の「こころの時代」安積力也さんの言葉から。1つの問いです。基督教独立学園の保護者会で、安積力也さんが保護者の皆さんに対して発した問いです。その問いに対する応答も一部載せますね。

 

 

 

 

 

 

 

 「もしかしたら、親や教師や、あるいは、為政者たちが、本来ならば、自分自身が引き受けなければいけない、自分自身の恐れや不安を、わが子や弱い立場の者に、引き負わせていませんか?」

 

 この問いに対する応答からいくつか。

ある父親からの応答です。

「私のキリスト教信仰は、鎧だった。わが子をどれほど傷つけてしまっていたことか。…子どもがホッとしないことはウソなんだぁ

ある母親からの応答です。

実は私自身、親が怖くて仕方ありませんでした。未だ解決していません

 

 

 

 

 

 正直ですね。誠実な対話が成り立っていることが分かります。私が心理面接している高校生は、全員同じ課題に苦しんでいますね。親が自分で引き受けなくてはならない不安や怖れを、子どもに投影して、ぶつけて、子どもをコントロールすることで、解消できないのに、解消しようとしているのです。それを「なんで、親は○○なんだろう」と高校生になれば率直に言いますね。親の縛りが苦しくて、必死にそれから自由になろうとして、どうしたら自由になれるのかが分からずに、私のところにやってくるのですね。

 でも、ハッキリ言葉にできた子は今までいませんが、箱庭やコラージュや遊びの中でハッキリと表現する時、小学生でも、同じ課題に苦しんでいることが、ハッキリと分かりますよ。いいえ、子ども達は、苦しめられているのですね。

 自分自身の不安や怖れから逃げないで、それを自ら引き受けること。不安や怖れのどん底で体験した、「あの光」を味わっている大人が、子どもが抱えている不安や怖れを「共に見る」ことそこから、その子ども自身も、たとえ小学生であっても、「あの光」を体験することができるものです。たとえ時間はかかっても、その不安や怖れの中に「あの光」を体験した子どもは、同じ子どもなのか?と思うほどの変容を体験して、おおらかに、悦んで、毎日を過ごすことが出来るようになります不思議ですね。

 


 

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