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歴史の教訓の一例として 山崎豊子さんから
シャオリーベングイズ。こう言われても、何のことかしら? と思う人が大半でしょう。これは「小日本鬼子」の中国語の音写です。かくいう私も、山崎豊子さんのことを、亡くなってから「クローズアップ現代」(2013,11,19)が取り上げる番組を見るまで、このシャオリーベングイズの存在も、その意味も知りませんでした。
今宵も、Childhood and Society 『子どもの頃と社会』の至言は、もう一回お休みして、リチャード・コート著 木鎌安雄訳の『笑いの神学』(聖母文庫)、Cote, Richard G. Holy Mirth: A Theoty of Laughter, The Alpine Press, 1986から。P.41の至言から。神学には不慣れな方にも、笑いの話であれば、読みやすいところではないですか?
ヘブライの思想では、人が作ったイメージ(絵に描いた餅)と言葉のイメージの間には無限の差があります。人が作ったイメージ(絵に描いた餅)が禁じられているのは、絵に描いたイメージ(絵に描いた餅)は命がないイメージだからです。言葉のイメージが価値があるのは、言葉のイメージがイキイキしたイメージだからです。…イスラエルの生きておられる神には、手もあり、口も、眼も耳もあり、それは人の手で作ったイメージと同様ですけれども、イスラエルの生きておられる神は、人が手で作ったイメージとは異なり、御手をもって働き、その口でお話になり、その眼でご覧になり、その耳を傾けてくださいます。
神は五感を働かせておられることが分かりますでしょ。ですから、私どもも、五感を鋭く働かせることが大事になるのですね。五感を鋭く働かせて得たものこそが、神の叡智に繋がる、真の叡智になる、からです。
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