中国でのいろいろ

中国での生活、出来事をぼちぼち綴っていければと思っています。

2023年国慶節の一時帰国

2023-10-26 00:10:26 | <日本>

もともと、このタイミングでの一時帰国は考えていませんでしたが、

国慶節の連休明けに日本での仕事もあるので連休後半から戻ることにしました。

 

 

中国の大型連休中は航空券の値段も跳ね上がるのですが、

処理水がらみで中国政府が大騒ぎしてくれたおかげで、

往復1600元ほどで入手できました。

 

 

中国国内の観光地は大賑わいで、高速鉄道の切符は近距離でも入手が難しい状態。

上海駅から地下鉄に乗るにも荷物検査で長蛇の列になっていました。

 

 

浦東空港の国際線ターミナルは空いています。

連休の後半ということもあるのでしょうが、日本人の姿はほとんどありませんでした。

 

 

せっかく久しぶりに日本に帰ったので、

まずはきれいな景色と温泉を求めて日本海側へ出かけてきました。

 

 

天橋立に来たのはたぶん20年ぶりぐらい。

以前、モノレールやリフトに乗った記憶はありません。

 

 

昔は全景を見るために車で山の上まで登ったと思うのですが。。

新しいお店もできていて、雰囲気も少し変わった気もします。

中国の景色も好きですが、日本の景色を見るとやっぱりほっとした気分になります。

 

 

この日は、いつも通り過ぎるだけで利用したことがなかった湯村温泉へ。

若干車にトラブルが出て、余計な時間を使ったせいもあって、

到着したときにはもう日が暮れていました。

 

 

それでも温泉には2回ゆっくり浸かって、日頃の疲れを癒して、

晩ごはんも朝ごはんもしっかり(食べすぎぐらい)頂きました。

 

 

せっかく初めてきたので、翌朝は温泉街をお散歩。

まずは、コンビニで温泉卵用の生卵を買って荒湯へ向かいます。

 

 

コンビニでは、温泉卵用の網袋に入れた卵(塩付き)を販売しています。

温泉卵を作るのに適した場所(番号)や茹で時間もアドバイスしてくれます。

 

 

プチ旅行の最後は鳥取砂丘へ。

頑張って?ちゃんと馬の背まで登ってきました。

 

 

靴の中が砂だらけになるので裸足で。

裸足で砂の上を歩くのも久しぶり。気持ちいいです。

 

 

風が結構強くて海も荒れているようだったので、

少し遠回りして浦富海岸にも行ってみました。

 

 

荒ぶる日本海を見るのも久しぶり。

浦富は観光客も少ないので景色を独り占めできます。

外国人観光客もさすがにここまでは来ないようです。

 

 

今は本当に外国人観光客の姿をどこに行っても見られるようになったのですね。

中国人旅行客は全体の割合としては減っているのでしょうが、

どこに行っても中国語は聞こえます。

 

 

団体旅行でしか来ることができない(ビザが取れない)人は減っていますが、

個人でビザを取得できる人達は、私と同じように飛行機が安くなった今がチャンスと見て、

訪日する人も増えているのかもしれません。

 

 

日本(大阪)に戻って変化を感じたことといえば、

コンビニの店員さんが、中国人から東南アジア系の人達に変わったこと。

他には確かに物価は上がっていますね。。ガソリン代も。

ですが円安なのでドルや人民元ベースで考えると、品物によっては格安です。

ただし、中国と比べて、宿泊費は2倍、交通費は中国の10倍ぐらい高いです。

 

 

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蘇州 木涜古鎮の榜眼府第

2023-10-19 00:22:22 | <蘇州>観光

木涜古鎮にある榜眼府第は清代の思想家、馮桂芬(1809-1874)の個人邸宅です。

蘇州呉県出身の馮桂芬は、ここで晩年を過ごしました。

 

 

科挙の最終試験、殿試の合格者上位3名を上から順に、状元、榜眼、探花と称され、

馮桂芬は1840年の科挙試験に次席で合格したことから、

地元の人たちはこの邸宅を榜眼府第と呼んだそうです。

 

 

蘇州は科挙試験の首席合格者が多いことでも知られています。

ネットで調べてみると、試験が行われた1300年間の首席合格者596名のうち31名が蘇州人で、

清代の状元114人の中には、小さな田舎町だった蘇州出身者が26人もいるそうです。

 

 

頭脳明晰な馮桂芬にちなんでということなのでしょうか、

ここは、呉中区明徳教育館という教育施設にもなっています。

 

 

具体的にここで誰が何の勉強をする場所なのかは、

私の中国語レベルでは説明を読んでもよく分かりませんでした。

呉中区明徳教育館が開館したは2021年なので、結構最近のことです。

 

 

1990年代の榜眼府第は、かなり荒れ果てていたようです。

1998年から修復作業が始まり、2019年には江蘇省文物保護単位に指定されました。

 

 

邸宅の造りは近くにある古松園と同じで、清代に流行った前宅後園と呼ばれる様式になっています。

 

 

建物と建物の間にはこぢんまりした雰囲気の良い中庭があり、

 

 

レンガ彫りや木彫りの彫刻もあちこちに見ることができます。

 

 

でも、なんとなくなのですが、なぜだかあまりのんびりするような気分にならない感じがします。

人もそんなに多くないのにどうしてでしょう、学校にもなっているから?

 

 

池や築山のある最も大きな庭は敷地の最も奥側にあります。

さすがに奥の庭まで行くとか木陰に腰かけてくつろげそうです。

 

 

庭自体はそんなに手の込んだものではありませんが、

池には蓮がたくさんあったので、夏になると蓮の花が楽しめるのだと思います。

 

 

榜眼府第のある場所は、人通りの多い山塘街から少しだけ外れています。

案内板を見ないと見つけにくいかもしれません。

 

 

住宅や商店が並ぶ通りを過ぎて西安橋を渡ると静かな住宅街に入ります。

西安橋を渡る場合は、最後に細い路地を抜けた先にあります。

 

 

蘇州にある一般公開されている園林や旧居は、ほぼ全て行ったつもりになっていましたが、

ここのことを知ったのは最近のことですし、きっとまだまだ他にもあるのでしょう。

 

 

先日もバスの中のテレビで、最近どこかの旧居が一般公開されたようなニュースが流れていました。

世界遺産の園林も何度行っても飽きないですが、

榜眼府第のような小さな(といっても立派なお屋敷ですが)旧居や庭園も巡ってみたいと思っています。

 

 

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蘇州 木涜古鎮の古松園

2023-10-12 00:10:12 | <蘇州>観光

木涜古鎮には、清代に建てられた大金持ちの邸宅がいくつか残っています。

観光客で賑わう川沿いの山塘街にある古松園もそのひとつです。

 

 

古松園のある場所は、山塘街の東の端の方です。

地下鉄5号線の霊岩山駅から歩く場合は、厳家花園、虹飲山房、西施橋などを通り過ぎた先になります。

 

 

ちょうど山塘街が路地のように狭くなったあたりなので、

うっかりすると通り過ぎてしまいそうになります。

 

 

古松園は木涜の四大富豪のひとり、蔡少漁が建てた個人邸宅です。

そのため、蔡少漁旧居とも呼ばれています。

 

 

入り口に近い部分に住居などの建物が並んでおり、

間口は狭いように感じるのですが、奥には立派な庭園があります。

 

 

このような建物の配置は、前宅後園と呼ばれる典型的な清代の園林なのだそうです。

案内図を見ると、7の字のような敷地になっています。

 

 

邸宅内にある彫刻は太湖東山の彫花楼と同じ職人が手掛けたものです。

過去記事

蘇州 太湖東山 彫花楼

 

 

名前の通り、庭園には大きな松の古木があります。

樹齢は500年を越えているらしいです。

 

 

松の木の周りには、1階にも2階にも回廊があります。

このような造りは、蘇州にある世界遺産の古典園林にはありません。

 

 

2階の長い回廊からは、庭園全体を見渡すこともできます。

 

 

池の向こうに見える大きな建物は、姚建萍刺繍芸術館。

姚建萍さんは、国家級非物質文化遺産伝承人の肩書を持つ著名な蘇州の刺繍芸術家です。

彼女の作品が数多く展示されています。

 

 

そのような関係があるからか、古松園の中には刺繍教室の建屋もありました。

 

 

数々の彫刻が施されている鳳凰楼は、王立鵬美術館になっています。

 

 

王立鵬さんは、黒竜江省出身の画家、書道家で、

木涜鎮政府の文化芸術顧問なのだそうです。

 

 

木涜の庭園はそんなに観光客で混雑することはありません。

なので立派な古松園でも、のんびり散策することができます。

 

 

世界遺産の古典園林や同じ清代の怡園とは違う雰囲気が楽しめて、

庭園や建物と彫刻以外に美術館も見学できる古松園。

決して大きな庭園ではありませんが、結構お勧めできる場所だと思います。

 

 

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蘇州 石湖 新郭老街

2023-10-05 00:10:05 | <蘇州>生活

石湖の行春橋と越城橋渡った先にある新郭老街。

ずっと閉まったままだったのが、中秋節、国慶節の連休中にオープンしたようです。

 

 

9月29日~10月3日の間は、手作芸術祭も開催されていて多くの人で賑わっていました。

昼間だけでなく夜もやっているようで、きっと中秋節の夜はもっと混んでいたのではと思います。

 

 

建物の中には芸術家さん達の作品の展示や販売、手作り工房体験があったり、

通りにぎっしり並んだ小さな露店にもたくさんの作品が並んでいます。

 

 

団体旅行客は来ていないようで、ほとんどが蘇州や近隣に住んでいる人のようでした。

連休中には観光客で身動きの取れない山塘街に行くよりこちらがお勧めかもです。

買い物しなくても通りのお店や展示を見て回るだけで結構楽しめます。

 

 

食べ物や飲み物を扱う露店もたくさんありますが、どの店もちょっとお洒落?な感じで、

中国で観光地でお馴染みの臭豆腐や串焼き屋台はありません。

 

 

中国国内では原発処理水うんぬんと騒がれています(最近はちょっと下火)が、

露店を覗くと、日式(日本風)の文字が書かれていたりします。

 

 

日本酒を売る店だってありました。

中国では昼酒を飲む人は少ないので、残念ながらあまり人気はなさそうでしたが、

国慶節のイベントで日本酒を売ってもお咎めなしということです。

 

 

作品を売る店も食品を売る店も店主はみんな若い人で、

何というか、うさん臭さみたいなものをあまり感じさせません。

 

 

中国らしい感じといえば、みなさんあまり商売っ気がないというか、積極的でないというか。

特に睡魔が襲う午後はどこに行っても大体同じです。

 

 

2012年には、まだここに歴史のある古い村があって人々が普通に暮らしていました。

その頃はこの村がなくなるとは想像もしていませんでした。

おそらくその後すぐに取り壊しと移住が始まったのだと思います。

 

 

2014年には、もう村は跡形もなくなって、このような更地になっていました。

2014年の過去記事

蘇州 石湖

 

 

取り壊されて更地になった時点で、すでに越城橋の近くには観光用の新しい街を作る計画があり、

その後いくつかの建物はできたのですが、いつ行っても閉まっていてずっと中に入られませんでした。

こちらの写真は2021年に撮ったものです。

 

 

結局、村が取り壊された後、10年経ってようやく中に入ることができました。

もしかして、毎年、中秋節に行われる石湖串月の時だけはオープンしていたのでしょうか。

 

 

”老街”と名付けられていますが、蘇州の人達は古いものは何も残っていないことを知っています。

でも、新しい建物ができてからすでに10年経過しているので、ある意味”老街”とも言えるかもです。

 

 

大きな池や庭と昔風の建物が並ぶ長い通りも新郭老街につながっていて、

以前見たことのある開発計画図よりもっと大規模になりました。

 

 

石湖の漁庄の後ろ側(上方山の対面側)が全て新しい観光施設になった感じです。

ただし、まだ箱ができただけでテナントは入っていません。

 

 

入園料を取るわけでもないのですが、元々湖岸にある遊歩道からは自由に行き来できません。

出入りできるようになっている門が途中にありますが、全て閉まっていました。

 

 

石湖は、動物園が引っ越してきたり、湖岸の遊歩道がきれいになったり、

公園ができたりと、この10年でずいぶん変わりました。

 

 

新郭老街の最初の掴みはまずまずの出来だったようです。

国慶節の連休が終わってからも引き続き人気の場所になるのか、

それとも誰も来ないゴーストタウンになるのか、

今までどちらのパターンも見てきたのでどうなることか楽しみにしたいと思います。

 

 

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