中国でのいろいろ

中国での生活、出来事をぼちぼち綴っていければと思っています。

山西省 太原 太原南駅からG1954で蘇州へ

2024-06-13 00:06:13 | <山西省>

G1954は、山西省の運城北駅から、浙江省の嘉興南駅まで12時間半ほどで結ぶ高速鉄道列車です。

太原南駅から蘇州北駅までの乗車時間は8時間23分です。

 

 

G1954のルートはちょっと変わっていて、

始発の運城北駅は、黄河沿いの西安と洛陽の間にある三門峡に近く、

太原まで大きく北上して東に向きを変え、石家庄から南へ戻って鄭州や合肥、南京、蘇州、上海、

終点の浙江省嘉興へと向かいます。

 

出典:百度 G1954次列车运行图

 

前日、早朝から夜遅くまで歩いたのでこの日はもうどこにも出かける気も起きず、

ホテルで少し遅めの朝食をとってから、太原南駅へ向かうことに。

太原でまだ食べていなかった山西省の名物はホテルの朝食で頂きます。

 

 

太原といえば黒酢。豆腐脳(おぼろ豆腐)には黒酢をかけて。

それに刀削麺も。

でも、自分好みの味付けをするタイプは、調味料の名前や色だけでは判断が難しく味が決まりません。

 

 

太原南駅はまだ地下鉄が繋がっていないので公共バスで移動です。

太原駅と太原南駅は10kmほど離れています。バスでの移動時間は1時間ぐらいです。

 

 

太原南駅が開業したのは2014年ごろのようで、比較的新しい駅です。

駅の周辺は商業施設やマンションを建設中です。

 

 

広い駅構内の上の階には売店や飲食店などもそれなりに並んでいて、食事や食料の調達は問題さなそうです。

規模は違いますが上の階に店が並んでいるのは、上海虹橋駅や長春駅と同じような感じです。

 

 

G1954の太原南駅発車時刻は12時26分、蘇州北駅には20時49分着です。

長丁場に備えて、飲み物(もちろんビールも)、おつまみなどしっかり買い込んで乗車。

 

 

太原から河北省の石家庄までの間は、炭鉱と黄土高原の景色です。

線路沿いに大きな都市はないようです。

 

 

高速鉄道の窓ガラスは、普通列車に比べると少しはマシです。

天気も良かったので行きは楽しめなかった車窓の風景を楽しむことができました。

 

 

列車は石家庄で向きが変わります。なので石家庄の停車時間は25分と長めです。

座席は回転式ではなく、倒して簡単に向きが変えられるようになっているタイプです。

 

 

最初の方向だと席は東側で、日よけを降ろさずにゆっくり景色を楽しめると思っていたのに、

向きが変わったので、残念ながら西日に照らされることになりました。

黄河を渡ったのは15時を過ぎ、一瞬で通り過ぎてしまいますが水のある黄河を見るのも久ぶりです。

 

 

16時に河南省の省都、鄭州の鄭州東駅に到着。遠くに二七記念塔が見えています。

前に鄭州に行ったのが2019年なので、それからもう5年も経ちました。

 

 

蘇州までまだ残り半分、久しぶりに高鉄の弁当を食べてみました。

G1954は山西省の管轄なので、車内販売の弁当も山西省の会社が作っています。

パッケージには山西省ゆかりのものが描かれています。

 

 

販売員に聞くと、土豆紅焼肉弁当と宮爆牛肉弁当の2種類あって値段はどちらも45元。

車内の売店まで行けば、他の種類もあるかもしれません。

地域差はきっとあると思いますが、昔に比べるとずいぶん見た目も味も良くなった気がします。

何となく、日本にもありそうな中華幕の内弁当風でした。

ちなみに、地域差なく同じなのは触れないくらいに加熱されて席まで持ってきてくれることです。

 

 

弁当を食べ終わるころには日も暮れて、列車は安徽省内を走行中です。

ここまでくるともう普段見慣れた景色に近くなります。

 

 

今回の太原旅行は列車内1泊、現地1泊、半分は列車の中でした。

私は窓の外をボーっと眺めているのが好きなのですが、

中国では、ほとんどの人にとって列車は単なる移動手段のひとつに過ぎないので、

スマホやタブレットの画面を見やすくするためにすぐサンシェードを降ろされてしまいます。

日が当たる場合は、自発的に日が当たらないぐらいまでサンシェードを下げて、

外を見ていますアピールをして視界を確保しています。

 

 

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山西省 太原 鐘楼街と食品街と山西飯店

2024-06-06 00:06:06 | <山西省>

太原市内観光の締めは、太原の繁華街、鐘楼街と食品街に行ってみることに。

時刻はもう20時過ぎ、予定よりずいぶん遅くなってしまいました。

 

 

でもその前にホテルへ。

今回選択したのは、鐘楼街と食品街へ歩いて行ける距離にある山西飯店。

周囲には他にもたくさんホテルがありますが、ここ選んだ理由はザ・中国的なこのキラキラ感。

 

 

数多くの政府要人が訪れたことがある歴史のある場所で、1985年から山西飯店の名になったそうです。

清代建築風のきらびやかなホテルになったのは2013年からです。

接客は5つ星らしくとてもしっかりしています。

 

 

外国人がホテルに宿泊すると、管轄の公安に臨時宿泊登記されるのですが、

公安からホテルのフロントを通して「あなたはここ(太原)で暮らすつもりで来たのですか?」との質問が。

これは初めての経験でした。

 

 

山西飯店から、鐘楼街までは歩いて10分から15分ほどでしょうか。

散歩するなら少し遠回りですが、五一広場を通って行くのもよしです。

 

 

近道したいならちょっと暗いですが、文瀛公園に沿って歩けば10分ほどで、

太原で最も賑やかな300年以上の歴史がある繁華街の柳巷に出ます。

 

 

想像以上の人出にびっくり。柳巷を渡った先が鐘楼街です。

鐘楼街の入り口ではご当地キャラ「鐘宝児」がお出迎え。

 

 

幅の広い通りが歩行者専用になっています。

通りの長さは、柳巷から解放路までの約600mです。

 

 

2020年~2021年にかけて再開発され、その後も2023年まで二期工事が行われていたようです。

初めて来たので、以前がどのような通りだったのかは分かりません。

 

 

名前の由来になっている太原鐘楼は、明代に創建されたそうです。

元の鐘楼は時代の流れの中で跡形もなくなり、現在の鐘楼は観光用に新しく建てられたものです。

 

 

多くの若い人達で賑わっています。

本当に年寄りの姿はほとんど見かけなくて、自分が一番の年長者かもという感じです。

 

 

解放路の近くまで歩くと太原食品街があります。

食品街は、小さな飲食店や小吃の店がずらっと並ぶ通りで、こちらも観光客や地元の人で大賑わいです。

 

 

食品街も歴史のある場所で、宋代にはすでに商業街でした。

清代には院門前、近代には帽儿巷と呼ばれ、食品街という名前が付けられたのは1986年のことです。

 

 

帽儿巷(直訳すると帽子巷)という名は俗称で、大昔はここに帽子を作る工房が数多くあったそうです。

通りの店は時代にとともに変わり、食品街と名付けられた時に以前より道幅も拡張されました。

 

 

とにかく店も人もいっぱいです。店が多すぎて何を食べたらいいのか分からなくなります。

ちょっと美味しそうに見える店は行列になっています。

 

 

食品街の通りの長さは500m、店舗数は120以上あるらしいです。

鐘楼街に近いほど混んでいますが、府東街に近づくと徐々に人が減っていきます。

 

 

焼餅夹肉を買ってみました。

地方によって焼餅の呼び名や作り方に違いがあります。

太原の焼餅は、生地をひも状にしてから渦巻を作り、伸ばしてから焼くようです。

 

 

夹の意味は”挟む”です。焼餅夹肉なので焼餅に肉を挟んだもの、中華バーガーです。

油の少なそうな”純痩”を選んだら、具材は想像と違ってハムでした。

 

 

鐘楼の傍には上海飯店という老舗レストランがあるのですが、太原まで来て上海というのも、

なんて思いながらウロウロして、結局、人混みと歩き疲れて大したものも食べず。。

柳巷で少し麺でも食べて帰ろうとしたら、22時にはもう閉店する店が多いのですね。

この辺り全体が不夜城なのかと思って油断していました。

上海飯店に入っておけばよかったかなと、ちょっと後悔したのでした。

 

 

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山西省 太原 双塔公園(永祚寺双塔)

2024-05-30 00:05:30 | <山西省>

双塔寺(永祚寺)の双塔は太原のシンボル的な存在なのだそうです。

太原市に現存する古代建造物の中では最も高い建物になります。

 

 

双塔寺の周囲は大きな公園、双塔公園になっています。

太原駅に近い場所にあります。

 

 

双塔公園が有料なのか無料なのか、24時間開放されているのか17時ごろには閉まってしまうのか、

何も分からずに行ったので、最悪でも道から双塔が見えると思われる入り口に向かいました。

 

 

15時ごろにはここに着いて、ゆっくり塔を見学するつもりだったのですが、もう18時前。

お寺の門はまだ開いていましたが、帰る人のためだけで中には入れません。

 

 

翌日の午前中に出直すことも可能だったのですが、早起する自信がないので外から塔を眺めることに。

文峰塔、舎利塔のどちらもレンガに様々な彫刻が施されているようですが、残念ながら見ることはできず。

 

 

双塔公園は2021年7月に開園したようなので、比較的新しい公園です。

公園の入園は無料で、双塔寺(永祚寺)に入るのは有料です。

 

 

公園ができる前はこの広い場所にいったい何があったのでしょうか?

何もない荒れ地だったのでしょうか。。

 

 

双塔はお寺の端の方に建っているので外から(公園から)でもよく見えます。

どちらの塔も8角13層の造りになっています。

 

 

双塔が創建されたのは明代です。

先に建てられたのが文峰塔、舎利塔は後から建てられました。

 

 

レンガ造りの塔の高さはどちらも54.7mです。

双塔で高さが同じなのは珍しいのだそうです。

 

 

塔の中には階段があって上まで登れるようです。

きっと上からは太原市内がよく見えるのだと思います。

 

 

夕暮れの公園は、東屋でのんびりする人、散歩する人、子供からお年寄りまでたくさんの人がいました。

周りにはマンションが立ち並んでいるので、食後の散歩や運動に来る人も多いのでしょう。

 

 

さすがに公園を一周する気力はわかず、

日も暮れてお腹も減ってきたので西門から北門の周辺をウロウロして終了。

 

 

太原の街は、上海や蘇州の江南とは雰囲気が違います。

建物や通りは、やっぱり北の方を感じさせる造りで長春の雰囲気とも似ています。

 

 

この日は朝からよく歩きました。

でも、夜になったらまだ行きたい場所があるので、この後もまだまだ歩きます。

とりあえず予約したホテルへ向かうことに。移動はもちろんバスと徒歩で。

いかにも中国らしい賑やかそうなホテルを選んでみたので、これも楽しみです。

 

 

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山西省 太原 天龍山景区と天龍山石窟

2024-05-23 00:05:23 | <山西省>

天龍山景区は晋祠から西に約11km離れています。

天龍山には、小規模ながら結構有名な天龍山石窟があります。

 

 

晋祠博物館と天龍山景区がセットになったチケットを買いましたが、

天龍山へ行く専用バス(晋祠天龍山景交観光1号線)の料金は含まれていません。

バス亭は晋祠新鎮です。晋祠公園を晋文芸術博物館側から出ると近いです。

 

 

バス乗り場は大行列になっていましたが、割り込みもなくみなさん整然と並んでいます。

料金は片道4元で、山道を走るからでしょうか、座席に座れる人数しか乗せません。

でも行列が長くなるとバスが増発されるようで少し我慢すると一気に列が進みます。

 

 

天龍山の標高は1370m、かなりきつい上りになっているのでしょう、途中にループ橋があります。

このループ橋は太原の網紅打卡地(SNS映えスポット)にもなっています。

 

 

バスが停まるのは、龍門平台と終点の国宝館の2つだけです。

龍門平台で降りると、天龍山景区に入って、天龍山石窟などを通り、ずっと下って国宝館まで行けます。

終点の国宝館で降りると、逆に長い階段を上って龍門平台まで戻ることになります。

 

 

体力のない私は迷わず龍門平台から下る方を選びました。

残念ながらどんよりした天気で、山の上からの景色はいまひとつでした。

 

 

天龍山景区の入り口から少し下ると崖に張り付いて立っている漫山閣があります。

北漢代にはこの場所に弥勒大閣があり、後の明代に現在のような大きな建物になったとされています。

 

 

現在の漫山閣は1986年に再建されたもので、天龍山石窟の第9窟を覆っています。

上段の大仏の高さは8m、下段には十一面観音と獅子、像に乗った文殊菩薩、賢普賢菩薩が並んでいます。

第9窟の仏像は唐代のものとされています。

 

 

天龍山石窟は、漫山閣のある第9窟を含む西峯石窟と、東峯石窟に分かれています。

東峰に第1~第8窟、西峯には、第9窟~第22窟があります。

 

 

まずは西峯から。

南北朝、北斉代に第10、第16窟が彫られ、その後、隋代、唐代にかけて、

第11~第15、第18~第21、第17、第9窟と順に彫られたそうです。

 

 

第10~14窟、16~17窟は高い位置にあるのでカメラのズームを使わないと中はよく見えません。

(年を取ったせいもありますが。。)

 

 

第18~第21窟は低い位置にあるので中までよく見えます。

ほとんどの仏像に頭がありません。

 

 

東峰は、最も古い第2、第3窟が南北朝、東魏代のもの、第1窟が南北朝、北斉代のもの、

隋代に第8窟、唐代には第4~第7窟が彫られました。

 

 

第2~第5窟の上には、番号の付けられていない石窟が並んでいます。

残念ながら中に何があるのかよく見えないです。

また、岩肌にはたくさんの小さな石仏が彫られています。

 

 

東峰の番号が振られている石窟は、全て中も見やすい位置にあります。

こちらもほとんどの仏像の頭がありません。

 

 

中には全てが削り取られてしまったものもあります。

無くなってしまった石仏の頭がどこにあるかというと。。その多くは日本や欧米の美術館や個人が所有しています。

 

 

諸説あるかと思いますが、日本の建築史学者である関野貞さんが1918年に天龍山石窟を発見しました。

その後、1920年代に現地の人や日本の古美術商などによって盗掘が繰り返され、今は無残な姿になっています。

 

 

私は盗掘された頭の部分を見たことがありませんが、日本の美術館に行けば見ることができます。

頭のなくなった仏像や削り取られた後を見るとちょっと複雑な気分になってしまいます。

日本で頭だけを鑑賞した方は、是非ここにきて残された部分も見て頂ければと思います。

 

 

朝早くに太原駅を出発したのに晋祠公園と晋祠博物館、天龍山石窟を巡って、

全てをしっかり見たわけでもないのに気が付けばもう15時過ぎ。

 

 

14時ごろには晋祠を出て次の目的地に移動できると考えていましたが、ちょっと見通しが甘かったようです。

太原はとても大きな街なのに、地下鉄路線が1本しかないので公共交通を使った移動には時間がかかります。

天龍山では下調べ不足でミスをしました。。2021年に日本から戻ってきた、

(所有者から返却されたのではなく、競売にかけられていた仏頭を買い戻した)

第8窟北壁本尊仏頭が天龍山の博物館に展示されているのですが、これを見逃しました。残念。。

 

 

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山西省 太原 晋祠公園と晋祠博物館

2024-05-16 00:05:16 | <山西省>

太原市は山西省の省都で、2500年以上の歴史を持つ古都でもあります。

かつては晋陽という名で古くから交通の要衝として栄え、春秋時代には晋国の主要都市でした。

 

 

朝8時前ぐらいに太原駅を出て、最初に向かったのは晋祠公園と晋祠博物館。

晋祠は晋国の始祖とされる唐叔虞を祀る祠堂で、太原市内で最も有名な観光地です。(だと思います)

 

 

太原駅前から晋祠博物館へ向かう公共バスは何系統かあるようで、駅始発の804路のバスに乗りました。

1時間半ぐらい乗るので混んでいるバスは避けた方が賢明です。

晋祠公園下車で料金は2.5元です。Wechatの公共交通用ミニアプリなどでも支払いできます。

 

 

晋祠公園の入園は無料です。きっと地元の人は博物館には入らずに公園で遊ぶのでしょう。

公園の周りにはたくさんの屋台や飲食店が並んでいるので、お好きな方はここで腹ごしらえも可能です。

 

 

実際、晋祠公園自体とても広いので、歴史や古代建築に全く興味がない方なら、

冬以外ならここでのんびり過ごすのもありかもしれません。(冬は凍り付きます)

 

 

晋祠博物館のチケットは公園入り口近くの案内所と晋祠博物館の入り口で購入できます。

QRコードをスキャンして買えば列に並ぶ必要はありません。

晋祠博物館のみと、晋祠博物館+天龍山景区の2種類あり、天龍山景区では石窟を見ることができます。

 

 

晋祠博物館は晋祠公園の一番奥にあります。

”博物館”なので、中に入るまで建物の中に何かが陳列されているのだと思い込んでいました。

 

 

実際は、晋祠三宝と呼ばれる聖母殿、献殿、魚沼飛梁をはじめ、国宝に指定されている建造物や像などが並ぶ場所です。

晋祠そのものが博物館だったとは。。

 

 

同じように思っていた人も多いようで、晋祠博物館の中で案内図を見ていると、

数人に「晋祠博物館はどこにあるか分かりますか?」と聞かれました。

 

 

献殿は祭事の際に供え物を並べるための場所です。

1168年に建てられたということは金、南宋の時代でしょうか。

晋祠の献殿は、中国で現存する最古のものだそうです。

 

 

晋祠の正殿で唐叔虞の母を祀る聖母殿には最も人が集まります。

混んでいる時にはゆっくり見たり、写真を撮ったりするのはちょっと難しいかもです。

 

 

晋祠は北魏時代の創建とされていますが詳細は不明です。

 

 

建物などについての説明には日本語もあります。

ありがたいことに、それなりに正しい日本語で書かれているので分かりやすいです。

 

 

唐叔虞祠大殿は汾東殿とも呼ばれています。

もともと献殿や聖母殿を結ぶ晋祠の主動線上にあったのが、金代には既に今の場所に移されたそうです。

現存する建物は元代に再建されました。

 

 

聖母殿周辺以外は人がばらけるので、場所のよってはゆっくりと見学することができます。

宋代から清代の長い年月をかけて、建物や池などが増やされてきました。

 

 

聖母殿の左側(南側)にあるのが水母楼と難老泉です。

水母楼は明代の創建で清代に再建されており、楼内には「晋源水神」が祀られています。

 

 

周柏、難老泉、侍女像は晋祠三絶と呼ばれています。

晋祠には3つの泉があり、そのひとつが難老泉で水が枯れたことがないといわれています。

地下約5mの岩の間から湧き出した水の水温は年間を通じて17℃前後で、冬場には湯気が立つようです。

 

 

晋祠の南の端には奉聖寺と舎利生生塔があります。

舎利生生塔は八角七層で高さは約30メートル、隋代に創建され、宋代に修復、清代に再建されています。

 

 

他にもまだまだ古代建築物、碑刻、像、樹齢1000年以上の古木など見どころがたくさんあります。

古代建築や歴史が好きな方なら晋祠は結構楽しい場所かと思います。

もし、帰りも公共バスを利用するなら、晋祠公園で乗らずに始発の晋祠新鎮から乗ることをお勧めします。

どちらのバス停も晋祠公園を出て歩いて行ける距離です。

帰りのバスは、ほとんどの人が市街地まで下車しないので、座れないと満員バスで1時間以上立つかもです。

 

 

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