雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

ことばと詩 23 平井和正『幻魔大戦 ⑳ 光芒の宇宙』角川文庫、1983年、p197~198 20191213

2019年12月13日 17時08分41秒 | ことばと詩

ことばと詩 23 平井和正『幻魔大戦 ⑳ 光芒の宇宙』角川文庫、1983年、p197~198 20191213

 故平井和正さんのSF小説『幻魔大戦』の第20巻「光芒の宇宙」。宗教小説とも言われる本書をふつうに読む人はそういないと思う。ボクは1980年代にふつうに読んだ。愛読書と言ってもいい。ふつうの文学のように読む価値があると思う。

 最初は本屋で雑誌『野生時代』を立ち読みした記憶がある。

 残念ながら小説は、ここで中断してしまう。著者には、これ以外のいくつかの「幻魔大戦」シリーズがある。


 「簡単に人間は己惚れの虜になってしまうのですね。他人の持たない優れた力を自分は持っている‥‥もうエリート意識が生じます。自分が特別な選ばれた存在だと思わない人間はまずいないのではないでしょうかしら?たとえ自分では意識しなくても、使命感とすりかわってしまいそうな気がします。自分では使命感に燃え、純粋な気持ちでやっていても、本当はそうではなくて、選民意識、エリート意識のもたらす己惚れだとしたら、これほど恐いことはありませんわね」
 「それは、恐ろしいです。鳥肌が立ちます。人間は知らない間に我と我が心を騙しているということですか?」
 田崎は逞しい顔に鳥肌を立てていった。
 「自分で自分を知らずに騙す‥‥自己欺瞞という問題は、どんな人間も避けて通れないのではないでしょうか?自分の動機というものを改めて洗い直す必要がありそうです。今度のことで、それがはっきりしたように思います。
 「会でも塾でも、もうとうの昔に起きていることかもしれません。まさか自分の動機がいつのまにかすりかわってしまうなど、考えも及ばないことですから‥‥」
 田崎は鳥肌の消えない顔を、巨きな両手でごしごしとこすった。いささか照れ隠しのようでもあった。
 「見て下さい。お姉さんの一言で鳥肌が立ったまま消えません。これほどショックを受けたのは初めてです」
 「あたくしだって同じですわ。全身に鳥肌が立っています。でも、今の邪鬼は本当に恐ろしいことを教えてくれたと思います。この問題は彼女だけではないのですね‥‥あたくしたち全員の重大な問題ですわ。誰だって最初の動機が純粋で清らかなものであれば、ずっとそれは変わらないと思い込んでしまいでしょうから‥‥」

 ≪ 平井和正『幻魔大戦 ⑳ 光芒の宇宙』<角川文庫>、1983年、p197~198 ≫


ことばと詩 21 一色登希彦:小松左京/原作『日本沈没 2 日本海溝』小学館、2006年

2019年11月24日 15時11分45秒 | ことばと詩


ことばと詩 21 一色登希彦:小松左京/原作『日本沈没 2 日本海溝』小学館、2006年

 ビッグコミックス、206ページ、定価本体505円。

 地球物理学者田所雄介はM大の幸長助教授とともに、海底開発KKの潜水パイロット小野寺俊夫の操縦で日本海溝の最深部へ潜る。

 そこで田所先生が小野寺俊夫に語ったことば。


「この極環境 ー
 昨晩、君が宣(のたも)うた主義主張にふさわしい、

 独自自閉(スタンドアローン)にて

 何にも拠らぬ1個の人間として、
 この先の現実と
 向き合ってくれたまえ。」(p118)


 「スタンドアローン」とはボクの感覚ではネットなどはシャットダウンして、かついかなる人間関係や組織にもたよらず、ただ1人で考えることです。

 ありえないかな?

 


ことばと詩 20 山口正之『現代社会と知識労働』よりp67 20191121

2019年11月21日 21時50分40秒 | ことばと詩


ことばと詩 20 山口正之『現代社会と知識労働』よりp67 20191121

 むかし1970年代に読んだ古い本が本棚の奧から出てきた。内容は全然古くないどころか、かなり今年にも当てはまる。むかし、かなり綿密に読もうとした。

 ただマルクスやレーニンの引用が多いので、読みにくかった記憶がある。

 山口正之『現代社会と知識労働』新日本新書、新日本出版社、1972年、207ページ、定価280円。

 今日は、あまり内容について書いている時間が無いので、一言だけ紹介する。

 「資本関係にたいする闘争を、たえず、個人的な支配の形態にたいする人格的な「直接行動」に還元しようとするならば、「資本の権力」に所在を見失うことになるか、「人」にたいする個人的攻撃や、「物」に直接的破壊を、「社会革命」と錯覚することになろう。」
 (p67)

 


ことばと詩 19 修羅(阿修羅)について 201911023

2019年10月23日 16時42分33秒 | ことばと詩


ことばと詩 19 修羅(阿修羅)について 201911023

 「宮沢賢治の「春と修羅」の修羅って何ですか」っていうので、「インドの悪神」と答えておきました。

 インド神話の主神帝釈天と戦って勝ったともいいます。

 宮沢賢治さんは詩「春と修羅」のなかで、5ページで3回も「修羅」を使っている。そして「おれはひとりの修羅なのだ」というリフレインが2回。

 賢治さんは修羅だったんですね。

 ボクは光瀬竜さんの傑作SF小説「百億の昼と千億の夜」に出てくる少年風または少女風阿修羅がすきですね。

 または光瀬竜さんの原作を萩尾元都さんがマンガ化した「百億の昼と千億の夜」もすごくいいですね。

 刈田アサノさんの阿修羅の詩もいいです(タイトル不明)。

 


ことばと詩 18 長野県歌「信濃の国」 20191022

2019年10月22日 22時22分28秒 | ことばと詩


ことばと詩 18 長野県歌「信濃の国」 20191022

 前回「ことばと詩 17」で島崎藤村「千曲川旅情の歌」をあげました。

 ボクが毎週NHKFM(日曜日午後2時から、再放送月曜日朝7時何分から))で聞いてるクラシック音楽番組「きらクラ」で10月12日に長野県歌「信濃の国」を流したそうです。ボクは聞き逃した。

 それで長野県つながりで、「信濃の国」を初めて読み、掲載する。

 いいですね。


 一.信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
    聳(そび)ゆる山はいや高く 流るる川はいや通し
    松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃(ひよく)の地
    海こそなけれ物さわに 万(よろ)ず足らわぬ事ぞなき

  二.四方(よも)に聳ゆる山々は 御嶽乗鞍駒ヶ岳(おんたけのりくらこまがたけ)
    浅間は殊(こと)に活火山 いずれも国の鎮めなり
    流れ淀まずゆく水は 北に犀川(さいがわ)千曲川(ちくまがわ)
    南に木曽川天竜川 これまた国の固めなり

  三.木曽の谷には真木茂り 諏訪の湖(うみ)には魚(うお)多し
    民のかせぎも豊かにて 五穀の実らぬ里やある
    しかのみならず桑とりて 蚕飼い(こがい)の業の打ちひらけ
    細きよすがも軽(かろ)からぬ 国の命を繋ぐなり

  四.尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚の床
    木曽の棧(かけはし)かけし世も 心してゆけ久米路橋(くめじばし)
    くる人多き筑摩(つかま)の湯 月の名にたつ姨捨山(おばすてやま)
    しるき名所と風雅士(みやびお)が 詩歌に詠てぞ伝えたる

  五.旭将軍義仲(よしなか)も 仁科の五郎信盛(のぶもり)も
    春台太宰(しゅんだいだざい)先生も 象山(ぞうざん)佐久間先生も
    皆此国の人にして 文武の誉(ほまれ)たぐいなく
    山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽(つき)ず

  六.吾妻はやとし日本武(やまとたけ) 嘆き給いし碓氷山(うすいやま)
    穿(うが)つ隧道(トンネル)二十六 夢にもこゆる汽車の道
    みち一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき
    古来山河の秀(ひい)でたる 国は偉人のある習い

 


ことばと詩 17 島崎藤村「千曲川旅情の歌」 20191014

2019年10月14日 19時52分47秒 | ことばと詩


ことばと詩 17 島崎藤村「千曲川旅情の歌」 20191014

 台風19号で長野県北部の千曲川堤防が決壊した。そこで島崎藤村「千曲川旅情の歌」を掲げてみた。

 もっとも詩の季節は春だが。

 

千曲川旅情の歌 島崎藤村

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾の岡邊
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香をりも知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飮みて
草枕しばし慰む



昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水卷き歸る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過いにし世を靜かに思へ
百年もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁ひを繋ぐ

 

 


ことばと詩 16 本について 内田樹『子どもは判ってくれない』より 20190828

2019年08月28日 15時36分21秒 | ことばと詩


ことばと詩 16 本について 内田樹『子どもは判ってくれない』より 20190828

 むかしから本は大好きです。

 内田樹さんの『子どもは判ってくれない』(文春文庫、2006年)の「本が読む」(p53~58)にこんなことを書いている。

 「だから「私が本を読む」というのはいささか自己中心的な表現だと思う。本が私を選び、本が私を呼び寄せ、本が私を読める主体へと構築する。私はそのように考えている。本に呼び寄せられること、本に選ばれること、本の「呼び声」を感知できること。それがたぶん本と読者のあいだに成立するいちばん幸福で豊かな関係ではないかと私は思う。」(p58)

 これに似たことを「雨宮智彦のブログ」で書いたような気もするが、いま検索がうまくいかない。気がついたら、補足します。

 


ことばと詩 15 闇と光 ⑦ 闇がなければ星は光ることができぬ 20190725

2019年07月25日 14時51分13秒 | ことばと詩

ことばと詩 15 闇と光 ⑦ 闇がなければ星は光ることができぬ 20190725

 平井和正さんの『幻魔大戦』の続編、『ハルマゲドンの少女 上』(徳間書店、1986年)の「第1部 ハルマゲドンの少女、パンドラ」の1シーン。

 ギリシアの下町、急な大雨で逃げ込んだ家屋のなかで、女性主人公2人はんその家の老婆に遭遇する・・・。

 老婆はなにか重要なことを主人公たちに語る。

 「闇がなければ星は光ることができぬもの。輝かしい太陽の光が世界に満ち満ちている時、人は闇の恐怖を忘れよう。光のありがたみも忘れ果てる。暗夜の恐ろしさなど考えることもせぬ。苦悩と絶望の中にこそまことの真実があるものよ。されど、太陽の光が満ち溢れる真昼に、真実を求め、探す者がおろうか・・・」」

 「それは、お前さまがこれから探し当てること‥じゃが、覚えておくとよい。新しい宇宙を生み育てるのはゼウスやアポロではないということをな。それは女であるお前さまのなすべき業じゃ。偉大なるものをいつも女なのじゃよ。
 ・・・・・・それはいつかわかる日がこようて。かまえて忘れなさるなよ、光を産むのも闇を産むのも女だということを‥ゼウスやアポロにもそれだけはなしえぬ。それは他ならぬお前さまの役目だということを‥‥」(p40)

 


ことばと詩 14 闇と光 ⑥ 「闇」と「暗」は音 20190701

2019年07月01日 16時20分55秒 | ことばと詩


ことばと詩 14 闇と光 ⑥ 「闇」と「暗」は音 20190701


 日本語で漢字の「闇」は「門」のなかに「音」がある。闇の中では音だけがあるということだろうか。

 「暗」も左側は「日」、右側は「音」だ。左側の「日」はなぜだかわからないが。

 闇と音の関係は興味深い。何かわかったら書いていく。


 < ことばと詩より 過去の「闇と光」 >

 ことばと詩  8 小林多喜二「闇があるから光がある」 20190519
 ことばと詩  9 闇と光 ② 聖書・創世記より
 ことばと詩 10 闇と光 ③ 聖書・福音書より 20190521
 ことばと詩 11 闇と光 ④ 「闇がなければ星も光らない」
 ことばと詩 12 闇と光 ⑤ 「光は闇と交わらない!」

 


ことばと詩 13 北森鴻「大黒闇」より

2019年06月06日 15時13分19秒 | ことばと詩


ことばと詩 13 北森鴻「大黒闇」より

北森鴻「大黒闇」より、『触身仏 ー連丈那智フィールドファイルⅡー』新潮文庫、新潮社、p114

 「ミクニ。こんな言葉がある。
  暴力は最後の理性。宗教は最後の処方箋」
 「最後の処方箋…ですか」
 「ことに精神方面の、ね」

 わが愛すべき女性主人公、民俗学者「蓮丈那智」のことばです。ボクはこの蓮丈那智フィールドファイルが大好きです。

 


ことばと詩 12 闇と光 ⑤ 「光は闇と交わらない!」

2019年05月23日 14時37分01秒 | ことばと詩


ことばと詩 12 闇と光 ⑤ 「光は闇と交わらない!」

 これは「本と映像の森」でやった方がいいという気もするが。
 
 永井豪とダイナミックプロ『デビルマンレディー 7』(モーニングKC、講談社、1999年)のp69~72。

 女性主人公ジュンの親友・外人女性アスカに謎の男性が呼び掛ける。

 「ヘビよ・・・・・・光より出でし蛇よ」

 「お前が
  妊娠など
  するはずが
  ないのだ
  なぜなら!
  光は闇と交わらない!」

 「その身を
  闇の中に
  置こうとも・・・・・・
  光は光だ!」

 その謎は最終巻で解けるのですが・・・。

 これって闇と光の話っていうよりSFのジャンルの話でしょうか。一般の人にはわからない?キリスト教徒でもわからない?

 


ことばと詩 11 闇と光 ④ 「闇がなければ星も光らない」

2019年05月22日 16時03分44秒 | ことばと詩


ことばと詩 11 闇と光 ④ 「闇がなければ星も光らない」

 小説家の故平井和正さんの決めぜりふですが、いま原書該当ページが不明。小説『幻魔大戦(角川文庫、全20巻)』の著者解説のどこかだったと思うのですが。現在未発見。発見次第補足します。

 闇と光が一筋縄ではいかないように、平井和正さんの「幻魔世界」も闇と光、星と暗黒があっというまに逆転する世界です。

 ボクにとって「闇がなければ星も光らない」ということばは、机の上に書いておいてもいいキーワードです。

 


ことばと詩 10 闇と光③ 聖書・福音書より 20190521

2019年05月21日 11時47分14秒 | ことばと詩

ことばと詩 10 闇と光③ 聖書・福音書より 20190521

 『新約聖書』の『ヨハネ福音書』の冒頭に闇と光が出てきます。

 「世の始めに、すでに言葉(ロゴス)はおられた。言葉は神とともにおられた。言葉は神であった。この方は世の始めに神とともにおられた。一切のものはこの方によって出来た。出来たものでこの方によらずに出来たものは、ただの一つもない。
 この方は命をもち、この命が人の光であった。この光はいつも暗闇の中に輝いている。しかし暗闇のこの世の人々は、これを理解しなかった。
 そこで一人の人がこの世にあらわれた。神から遣わされたのである。その人の名はヨハネ【『ヨハネ福音書』の「ヨハネ」とは別人。預言者ヨハネのこと】。この人は証(あか)しのため、すなわち光について証しをし、彼の証しによってすべての人を信仰にいれるために来たのであった。彼は光ではなかった。ただ光について証しをするために来たのである。」
 (塚本虎二訳、岩波文庫『新約聖書 福音書』p275)

 ここでは言葉(=ロゴス)がイエスと同一視され、光とされています。その解釈についてはキリスト教の解説書を参考にしてください。

 ここでは深入りしません。次へ行きます。

 ところで「ヨハネ」は英語では「ジョン」になります。おもしろいいですね(続く)

 

 


ことばと詩 9 闇と光② 聖書・創世記より

2019年05月20日 19時12分05秒 | ことばと詩

ことばと詩 9 闇と光② 聖書・創世記より

 「旧約聖書」の「創世記」冒頭の部分に「闇と光」が出てきます。

 「一 創造
 イ 祭司資料の創造紀
 第一章 始めに神が天地を創造された。地は混沌としていた。暗黒(やみ)が原始の海の表面にあり、神の霊風が大水の表面に吹きまくっていたが、神が「光あれよ」と言われると、光が出来た。
 神は光を見てよしとされた。神は光と暗黒の混合を分け、神は光を昼と呼び、暗黒を夜と呼ばれた。こうして夕あり、また朝があった。以上が最初の一日である。」
 (関根正雄訳、岩波文庫『創世記』p9)

 読まれたように、暗黒=夜は天地創造に付随したもので、光はその後で神が創った。つまり光と闇は同時にできたのではなく、最初から別物ということになる。

 これは意想外のことです。( 「闇と光③」へ続く)

 


ことばと詩 8 小林多喜二「闇があるから光がある」 20190519

2019年05月19日 15時00分26秒 | ことばと詩


ことばと詩 8 小林多喜二「闇があるから光がある」 20190519

 友人から有料で譲ってもらった『小林多喜二全集(全7巻)』の「第7巻」p335に
恋人田口瀧子さん宛ての手紙がある。

 1925年3月2日付けの冒頭で小林多喜二さんは、こう語りかける。

 「「闇があるから光がある」
 そして闇から出てきた人こそ、一番ほんとうに光の有難さが分るんだ。世の中は幸福ばかりで満ちているものではないんだ。不幸というのが片方にあるから、幸福ってものがある。そこを忘れないでくれ。
 だから、俺たちが本当にいい生活をしようと思うなら、うんと苦89しいことを味ってみなければならない。」(p334)

 「闇があるから光がある」と「」で引用しているので、何かの引用文だとは思うが、全集の編集者は非常に寡黙な方なので、何も書いていない。

 小林多喜二さんは、当時22才で小樽在住、『クラルテ』という同人雑紙を出している。「クラルテ」はフランス語で「光 ひかり」という意味でアンリ・バルビュスの小説『クラルテ』は有名なので、その引用の可能性もありそうだ。

 何か確かなことが判ったら書きます。

 もちろん闇と光は物理学的な光と闇、昼と夜のことではありません。「世の中」の闇と光、心の闇と光のことです。

 闇と光について、いくつか書けることを書こうと思います。