雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 7月11日(日) 「雨宮日記のルーツ」は雨宮修平

2010年07月13日 05時58分27秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月11日(日) 「雨宮日記のルーツ」は雨宮修平

 「なんで、お父さんは、古代史なんかやってるの?」と娘に言われたので、書きます。

 元々、20代のころから古代史に興味はあったのですが、深める余裕がなく、「雨宮ブログ」の前身である「遠江と日本 古代史の森」というHPを2005年1月から書き始めました。
 このときの著者名は「天宮智彦」です。
 このHPは書き続けることができず、短期間で凍結し、いまも凍結状態です。

 この表紙にこう書きました。

 「日本とわが故郷・遠江(遠州・静岡県西部・浜松市の古代史)はおもしろいです。

 「三国志」の「倭人伝」、「日本書紀」「古事記」「風土記」をどう読み取るか。
 銅鐸・銅剣・銅矛・曲玉・古墳など物証をどう理解するか。
 卑弥呼・倭の五王・天皇家などの人物像をどう考えるか。

 そして遠州の古代史には銅鐸をはじめとして、いろんな謎があります。

 静岡県浜松市の1市民として、歴史の事実と真実を考えていきたいと思います。
 更新不定期です

 (天宮智彦)」

 「天宮」は、遠江・森町にある「天宮神社」からも来ていますが、むしろ天皇家の祖先である「天族」からも由来しています。
 そこで、「雨宮ブログ」を始めるときに、「天」+「宮」では、あまりに罰当たりかなと思って、「雨宮」にしました。
 この時には、一色まことさんのピアノマンガ『ピアノの森』を読み始めていて、2人の主人公、一ノ瀬海(かい)と雨宮修平を知っていましたので、ピアノの天才・海と違って、優等生で全力で努力して悩む主人公・雨宮修平に共感して、最終的に「雨宮智彦のブログ」として始めたように思います。
 
 週刊「モーニング」に隔週連載の「ピアノの森」ではワルシャワでのしょぱんコンクールの最終予選で、12人の最終枠に入れなかった雨宮修平が衝撃を受けた場面で、今週号が終わりました。
 うわあ、雨宮、がんばれ。死ぬなよ!
 
 

本と映像の森61 宮沢賢治さんの詩「春と修羅」

2010年07月13日 05時16分36秒 | 本と映像の森
本と映像の森61 宮沢賢治さんの詩「春と修羅」

 なんとなく気になっていたので、大好きな宮沢賢治さんの詩「春と修羅」全文を引用します。
 【 】は雨宮の注釈です。
 一部、空白を入れたりしています。

 「心象の はいいろ【灰色】はがね【鋼】から
 あけびのつるは くも【雲】にからまり
 のばらのやぶや 腐食の湿地
 いちめんの いちめんの テン【漢字なし】国模様
  (正午の管楽よりもしげく
   琥珀のかけらがそそぐとき)
 いかりのにがさ また青さ
 四月の気層のひかりの底を
 唾きし はぎしり ゆききする
 おれはひとりの修羅なのだ
  (風景はなみだにゆすれ)
 砕ける雲の眼路をかぎり
  れいろうの天の海には
   聖玻璃の風が行き交い
 ZYPRESSEN 春のいちれつ
  くろぐろと光素(えーてる)を吸い
   その暗い脚並からは
    天山の雪の稜さえひかるのに
     (かげろうの波と白い偏光)
    まことのことばはうしなわれ
   雲はちぎれて そらをとぶ
  ああ かがやきの四月の底を
 はぎしり燃えて ゆききする
 おれはひとりの修羅なのだ
  (玉随の雲がながれて
   どこで啼くその春の鳥)
 日輪青くかげろえば
  修羅は樹林に交響し
   陥りくらむ天の椀から
   黒い木の群落が延び
     その枝は かなしくしげり
    すべて二重の風景を
   喪神の森の梢から
  ひらめいてとびたつからす
   (気層いよいよすみわたり
    ひのきもしんと天に立つころ)
 草地の黄金をすぎてくるもの
 ことなくひとのかたちのもの
 けらをまといおれを見るその農夫
  ほんとうにおれが見えるのか
  まばゆい気圏の海の底に
    (かなしみは青々ふかく)
 ZYPRESSEN しずかにゆすれ
 鳥はまた青ぞらをきる
   (まことのことばは ここになく
    修羅のなみだは つちにふる)

 あたらしくそらに息つけば
 ほの白く肺はちぢまり
  (このからだそらのみじんにちらばれ)
 ZYPRESSEN いよいよ黒く
 雲の火ばなは降りそそぐ」

 この中で「まことのことばはうしなわれ 雲はちぎれて空をとぶ」
 「まことのことばはここになく 修羅の涙は土に降る」とあります。

 「ゲド戦記」では「まことのことば」は明確ですが、宮沢賢治さんの「うしなわれ」た「まことこのことば」とは何でしょうか?
 
 「いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を 唾し はぎしりゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ」
 この1920年代の「修羅」のイメージがわかりませんが、宮沢賢治さんが興福寺の「阿修羅像」をイメージしていたかどうか。
 ぼくにすれば、まさしく宮沢賢治さん=修羅は、萩尾望都さんのマンガ「百億の夜と千億の昼」の主人公=阿修羅のイメージですね。
 阿修羅は、世界の破滅を救うために、怒りをもって、どこまでも旅をするのですから。