雨宮日記 7月11日(日) 「雨宮日記のルーツ」は雨宮修平
「なんで、お父さんは、古代史なんかやってるの?」と娘に言われたので、書きます。
元々、20代のころから古代史に興味はあったのですが、深める余裕がなく、「雨宮ブログ」の前身である「遠江と日本 古代史の森」というHPを2005年1月から書き始めました。
このときの著者名は「天宮智彦」です。
このHPは書き続けることができず、短期間で凍結し、いまも凍結状態です。
この表紙にこう書きました。
「日本とわが故郷・遠江(遠州・静岡県西部・浜松市の古代史)はおもしろいです。
「三国志」の「倭人伝」、「日本書紀」「古事記」「風土記」をどう読み取るか。
銅鐸・銅剣・銅矛・曲玉・古墳など物証をどう理解するか。
卑弥呼・倭の五王・天皇家などの人物像をどう考えるか。
そして遠州の古代史には銅鐸をはじめとして、いろんな謎があります。
静岡県浜松市の1市民として、歴史の事実と真実を考えていきたいと思います。
更新不定期です
(天宮智彦)」
「天宮」は、遠江・森町にある「天宮神社」からも来ていますが、むしろ天皇家の祖先である「天族」からも由来しています。
そこで、「雨宮ブログ」を始めるときに、「天」+「宮」では、あまりに罰当たりかなと思って、「雨宮」にしました。
この時には、一色まことさんのピアノマンガ『ピアノの森』を読み始めていて、2人の主人公、一ノ瀬海(かい)と雨宮修平を知っていましたので、ピアノの天才・海と違って、優等生で全力で努力して悩む主人公・雨宮修平に共感して、最終的に「雨宮智彦のブログ」として始めたように思います。
週刊「モーニング」に隔週連載の「ピアノの森」ではワルシャワでのしょぱんコンクールの最終予選で、12人の最終枠に入れなかった雨宮修平が衝撃を受けた場面で、今週号が終わりました。
うわあ、雨宮、がんばれ。死ぬなよ!
「なんで、お父さんは、古代史なんかやってるの?」と娘に言われたので、書きます。
元々、20代のころから古代史に興味はあったのですが、深める余裕がなく、「雨宮ブログ」の前身である「遠江と日本 古代史の森」というHPを2005年1月から書き始めました。
このときの著者名は「天宮智彦」です。
このHPは書き続けることができず、短期間で凍結し、いまも凍結状態です。
この表紙にこう書きました。
「日本とわが故郷・遠江(遠州・静岡県西部・浜松市の古代史)はおもしろいです。
「三国志」の「倭人伝」、「日本書紀」「古事記」「風土記」をどう読み取るか。
銅鐸・銅剣・銅矛・曲玉・古墳など物証をどう理解するか。
卑弥呼・倭の五王・天皇家などの人物像をどう考えるか。
そして遠州の古代史には銅鐸をはじめとして、いろんな謎があります。
静岡県浜松市の1市民として、歴史の事実と真実を考えていきたいと思います。
更新不定期です
(天宮智彦)」
「天宮」は、遠江・森町にある「天宮神社」からも来ていますが、むしろ天皇家の祖先である「天族」からも由来しています。
そこで、「雨宮ブログ」を始めるときに、「天」+「宮」では、あまりに罰当たりかなと思って、「雨宮」にしました。
この時には、一色まことさんのピアノマンガ『ピアノの森』を読み始めていて、2人の主人公、一ノ瀬海(かい)と雨宮修平を知っていましたので、ピアノの天才・海と違って、優等生で全力で努力して悩む主人公・雨宮修平に共感して、最終的に「雨宮智彦のブログ」として始めたように思います。
週刊「モーニング」に隔週連載の「ピアノの森」ではワルシャワでのしょぱんコンクールの最終予選で、12人の最終枠に入れなかった雨宮修平が衝撃を受けた場面で、今週号が終わりました。
うわあ、雨宮、がんばれ。死ぬなよ!