雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 11月1日(日) 日本平和大会第2日(御殿場)

2015年11月05日 19時38分31秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月1日(日) 日本平和大会第2日(御殿場)

 朝7時44分沼津駅発の御殿場線で御殿場へ。8時20分に御殿場駅へ着いて、5人でタクシー2台に分譲して市民会館へ。タクシー代は770円で安かったです。

 市民会館へ着いたら市民会館の前はなにか「まつり」でテントが立ち並んでいて、びっくりしました。市民会館の中では「日本平和大会の分科会」なのです。オイオイ、という感じ。

 ぼくは市民会館の中の「104移転砲撃演習反対闘争交流分科会」を3時間、ノンストップで撮影する「任務」です。といっても、ぼくのカメラは本来写真撮影用で、ビデオ機能はつけたしなので、15分くらいでビデオは自動的に中断してしまうの、注意していてすぐに再始動することが必要です。

 「静岡県平和委員会」の青い腕章をつけて、いかにも「公式カメラマン」です、という態度で、でかい三脚も据えて、堂々と撮影しました。もちろん、自主的ビデオで非公式ビデオなのですが。

 まあ、無料ボランテイアなので、撮影・編集費用はいっさい出ません。出してもらっても、責任が生じるので困るけど。参加費・交通費・宿泊費は半分くらい浜松市平和委員会から出しました。

 今日は午前中は分科会、そして閉会総会、御殿場駅までのパレードでした。汗にまみれて、参加者の数倍くらい走り回って、撮影を終えました。

 心地よい疲れでした。

 共夫妻の車で浜松へ帰りました。

 浜松ではビデオ編集作業が待っています。頭のなかで、シナリオ・絵コンテをつくりながら、同乗していました。

 

雨宮日記 10月31日(土)の2 夕食のラーメンイン沼津

2015年11月05日 19時29分02秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月31日(土)の2 夕食のラーメンイン沼津

 「平和活動家たち」のボクたち(則子さんなどを含む)としては、日常的な食べること、生きること、見ること、聞くこと、歌うこと、楽しむことがとても大事だと思っています。

 よって「夕食メニュー」シリーズをアップしています。

 沼津のラーメンチェーン店。おつゆを全部飲むと「はい、まくりーーー」と次回のサービス券をくれます。

 SHさんが全部飲んだのですが「わたし浜松の人間で、沼津にまた来るか分かんないから」と言ったら「浜松に近々お店ができます」とサービス券を渡されました。

 板海苔をたくさん使うラーメン店でした。

雨宮日記 10月31日(土) 朝から日本平和大会イン富士山(御殿場市)に参加

2015年11月05日 18時57分15秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月31日(土) 朝から日本平和大会イン富士山(御殿場市)に参加

 則子さんにお願いして、日本平和大会参加と2日間家を空ける口頭許可をもらい、久し振りの撮影旅行。

 則子さんに昼食のおにぎりを3個つくってもらい、共(ペンネームです)夫妻の車で朝8時半に家に来てもらい車で東名高速を通って、御殿場へ。ビデオ撮影チーム3人と市職のKさんも同乗。

 富士山は10月末の新雪も溶けてしまっていましたが、西からは雲もなく見えていました。ところが御殿場へ着く頃には雲が湧いて、見えなくなってしまいました。富士山の神様は若い乙女のこの花の木花咲哉姫(このはなのさくやひめ)で、大勢の人が来ると恥ずかしがって雲のなかに隠れてしまうそうです(そういう神話を作ってみました)。

 ぼくは浜松の人間なのに、なぜか富士演習場地元ガイド。群馬のマイクロバスに乗って、自由自在に、しゃべりました。A3に伸ばしてきた写真を多用しました。「聞いて極楽、見て地獄」ですからね。

 帰着予定時刻の3時に10分を余して悠々到着。ところが会会総会予定の4時に、地元バスに乗った2人がなかなか姿を見せず、やきもきしました。開会前のアトラクションの面おどりが始まるときになって来ました。よかったあ。1人だけ撮るなどぞっとします。

 共おくさんは正面の1カメ、共くんは2階右側斜めの2カメ、ぼくは正目右脇、ほとんど横からの3カメです。カメは亀ではありません。カメラの略です。

 開会総会を無事撮り終え、共夫妻は猫たちの世話があるので、車で日帰り。明日も車で来ます。

 ぼくは浜松からの平和委員会メンバー総勢5人でJR御殿場線で沼津へ。

 会場の御殿場市民会館を歩いて出たら、お年寄りが「御殿場駅はどっちでしょうか」と聞いているので、「ぼくも駅へ行きますからごいっしょしましょう」と一緒に歩き出しました。

 「お元気そうですけど、おいくつですか」「94です」「えーっ、ボクの父は92ですけどよろよろしていますよ」

 「どちらからおいでですか」「東京です」「東京平和委員会ですか」「いえ、日本原水協でむかし事務局をしていた吉田ひろのりといいます」「あ、そのお名前、知ってます。ぼく、浜松でずっと原水協事務居をしています」と話がはずみました。

 浜松5人で沼津のグランドホテル(浜松の「グランドホテル」と違います。偉大ではなく、たんなる小さなビジネスホテルです。)へ泊まり、みんなで夕食を食べに暗い沼津市街へ出て、おいしいラーメンを食べて帰りました。

 うっかり共夫妻の車に着替えを置き忘れたので、汗で濡れた下着をタオルにくるんで乾かしました。

 翌日は朝早いので早々にシングルベッドで眠りました。ぼくは途中、コンビニでお酒を買って飲んで寝ました。則子さん、怒らないでよ、睡眠剤です。