雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 12月12日(土) 次子おばさんのお通夜に則子さんと行ってきました

2015年12月13日 02時54分31秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月12日(土) 次子おばさんのお通夜に則子さんと行ってきました

 父・節三さんの弟の菊男さんの奥さんの次子さん(ぼくから言えば「つぎこおばさん」)が9日に亡くなって、今夜がお通夜でした。

 則子さんは、ほんとうは今日は夕方から夜勤だったのですが、勤務を変更してもらい、今日は早番にしました。ぼくも、午後「ビデオ編集日」だったのですが、延期しました。

 親戚の「通夜」は、浜北イズモホールで午後4時半からです。家から会場まで30分かかります。

 則子さんが、なんとか午後4時半に帰って来たので、5時前には出ようと準備を始めました。

 ところがYシャツを着たら、首が太ったのか、Yシャツの一番上のボタンがかけられない。慌てて別のYシャツをに着替えました。たぶん、この夏から秋に、ビデオ撮影がいっぱいあったので、ビデオ撮影のときは首をまっすぐにして前を見ないと撮影できないので、首も太くなってきたんじゃないかと思います。

 ワンタッチ「にせネクタイ」も苦労してつけて、やっと出発したのは午後5時前、間に合うかな?

  ☆

 なんとか会場にすべりこんだのは、5時半直前。

 それから懐かしい親戚の人たちと、会ったことのない人たちといろいろ話しました。

 何十年ぶりに会った、次子おばさんの次男の「まあちゃん」、62才。北海道釧路市に住んでます。

 みんなに「雨宮家系図」の修正をもらいました。ありがとうございます。

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 それにしても、みんなは数十年経って、高齢化しているのに、わが妻・則子さんは、若い頃の姿を、そのまま、とどめています。「年齢不詳の則子園長」のままですね。

 福井の「人魚を食べて不老不死になった八百比丘尼」伝説みたいに、結婚した雨宮智彦くんの死を見届けて、次の旦那を探しに行く・・・なんて怖いですけど・・・ありうるかも。

 あ、これって、のろけですか?

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 雨宮夫婦の関係は対等平等ではありません。対等平等の夫婦がいれば、それは尊重しますが。則子さんは、ぼくのことを、外では「智彦さん」と言いますが,2人だけの空間では「智彦くん」です。

 だから2人だけの空間で「智彦さん」と呼ばれるとゾッと悪寒が走ります。

 悪夢の時間が始まります。

 
 

雨宮日記 12月11日(金) 被爆者の証言ビデオ撮影第5回

2015年12月13日 02時12分57秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 12月11日(金) 被爆者の証言ビデオ撮影第5回

 被爆者の会西遠支部と協力して、被爆者の会の大和さんと原水協の雨宮則子さん(妻です)がインタビュアーで、ぼくが撮影、広島・長崎の被爆者の証言をビデオ撮影し始めたのは1年前。

 編集をやってくれる「きょうしろう」君(ペンネーム)に4回目から撮影にも加わってもらい、2カメ(2台のカメラという意味)で撮影しています。

 今日は福祉交流センターで、午後、撮影をしました。

 2人とも女性で、1人は広島で、1人は長崎で被爆しました。すごくリアルで感動する証言でした。