雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

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『落葉松』文芸評論 ⑬ 「戦後文学は古典となるか 6 」「6島尾敏雄」・「7梅崎春生」

2017年09月02日 13時22分20秒 | 雨宮家の歴史
『落葉松』「第2部 文芸評論」 ⑬ 「戦後文学は古典となるか 6」

「6 島尾敏雄」・「7 梅崎春生」


  6 島尾敏雄

 只一人、兵士でなく海軍予備学生となった島尾は、魚雷艇第十八震洋隊長として奄美の加計呂麻島へ赴任した。特攻の命令が出たが出撃することなく戦争は終わった。

 そこでの体験が『島の果て』『出発は遂に訪れず』などであり、島の娘ミホと結婚し、奄美大島に移住して十六年かけて、ミホとの関係を描いた『死の棘(とげ)』を完成させた。最後は『魚雷艇学生』を以て終わった。


7 梅崎春生

 最も短命だった梅崎が最後になってしまったが、彼が「日常性の作家」と言われる由縁からか、大岡同様読み継がれている。彼のデビュー作『桜島』について「場所や風景は実際の体験によったが、作中の人物や事件はことごとく架空である」と述べている。(文献⑰)

 梅崎は海軍に召集されたが、軍艦に乗ることも無く、戦地に出征することもなかった。十七年(二十七才) に対馬の重砲隊に、『神聖喜劇』の大西巨人と同時入隊したが、肺疾患と誤診されて即日帰郷となった。

 その後十九年六月、今度は海軍の佐世保海兵団へ召集された。二十九歳の老兵であった(大岡は三十五歳、二児の父親であった)。予備学生志願を要請されたが、兵隊の身分にとどまって暗号兵となった。その考えが甘かった兵隊の辛さが身に沁み、下士官候補教育を受け、二十年五月入隊後約一年を経て通信科二等兵曹(陸軍の軍曹の位)となり、七月始め坊津(ぼうのつ)通信分遣隊の責任者として着任した。

 『桜島』では冒頭「七月初、坊津にいた」としか出てこないが、ここは島尾と同じ震洋特別攻撃隊の基地があり、よそ目にはのんびりと日を過したが、目に見えぬ何物かが身体をしめつけてくるのを、痛い程感じ始めた。その反動が歯ぎしりするような気持ちで、私は連日遊び呆けた。そんなある日の朝、桜島転属命令が来た。 坊津には三週間ほどいたが「生涯再び見る事もないこの坊津から枕崎へ歩いて行く峠の光景はおそろしい程新鮮であった。」

 生涯再び見ることもないと思った坊津の峠の風景を二十年後の四十年(五十歳)に見ることになる。『幻花(げんか)』である。大岡、野間が比島を、武田と堀田が上海に、島尾が奄美大島へと、具って自分たちが生死をくぐった場所を訪問、あるいは移住しているように、梅崎も三十八年に鹿児島から坊津を経て、学生時代の熊本、阿蘇を夫婦で旅行した。その時の経験が『幻花』の舞台となった。

 『幻花』とは「万物、皆幻の如く変化すること」とあるが、陶淵明の詩「帰園田居」の「人生幻花にして、ついにまさにそらに帰すべし」より取った。
 二十年前の夏、五郎は坊津より枕崎へ歩いた。今はその風景が逆である。「なぜ、この風景をおれは忘れてしまったんだろう」。感動と恍惚のこの原型を意識から失っていた。『桜島』には出てこなかった坊津の風景が出てくる。

 数百羽の鴉が飛び交いながら鳴いていた。
 冥府。町に足を踏み入れながら、ふっとそんな言葉が浮かんできた。町のたたずまいは古ぼけている。彼は戸惑う。これが俺の争務に服していた町なのか?二十年前、体力も気力も充実していた青年としてひりひりと生を感じながら生きていた。今は蓬髪の、病んだ精神の中年男として町を歩いている。『幻花』では坊津で終戦となり、復員しないことになっている。

 『幻花』から40年後の平成十七年、五郎が通った道筋を辿ったのが日和聡子(ひわさとこ)の『火の旅』である。(文献⑱)

 彼女の卒業論文は「梅崎春生論」だった。五郎が辿ったルートがノートに書かれ、それを持って旅に出た。自分はそれで何を確かめようとしているのかよくわからなかった。ただその景色のなかに自分をくぐらせてみたかったのだ。坊津の海辺の高台に建立された記念碑には「人生・幻花に似たり 梅崎春生」と刻まれている。『桜島』から六十年の歳月が経った。
 
 戦後文学が忘れ去られようとしている今日、『火の旅』のような一文が出てきたことは、まだ戦後文学は生きている。古典となるには早すぎると私は感じる。

 五郎は最後に、阿蘇の火口で「しっかり歩け、元気を出して歩け」と胸の中で叫ぶ。これが戦後文学だ。
 
 私も毎朝、馬込川の堤防を八十歳の余命と共に五郎と同じように歩く。

「しっかり歩け、元気を出して歩け」



文献① 『朝日新聞』平成十七年八月二十四日 付夕刊「文芸時評 六十年の時間差」
文献② 『国文学 解釈と鑑賞』平成十七年十 一月号
文献③ 『朝日新聞』平成十八年八月十九日付
文献④ 『日本古代文学史』岩波現代文庫
文献⑤ 『戦後文学を問う』岩波新書
文献⑥ 『静岡新聞』平成五年二月十日付夕刊、 佐岐えりぬ「あの世に旅立つ友たち」
文献⑦ 『真空地帯』新潮文庫、p294~2 95
文献⑧ 『朝日新聞』昭和六十年一月一日付遠 州版
文献⑨ 月刊『新潮』昭和四十八年十一号
文献⑩ 新潮文庫、p187
文献⑪ 新潮文庫、p131
文献⑫ 大岡昇平『レイテ戦記 下巻』中公文 庫、p210
文献⑬ 『別冊・文藝春秋』百九十八号、平成 四年
文献⑭ 『野火』新潮文庫、p33
文献⑮ 『海』昭和四十九年十二号「わが文学 生活」
文献⑯ 『文学界』平成十四年五月号「漱石、 鴎外の消えた国語教科書」
文献⑰ 『梅崎春生』講談社文芸文庫、お36 2
文献⑱ 『新潮』平成⑱ン五月号
参考文献 川西政明『昭和文学史 中巻』講談 社

( 「戦後文学は古典となるか」、完 )
( 「浜松詩歌事始」へ続く )


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