雨宮家の資料 1 節三『釜山埠頭日誌』 1946年 20210121
家に残っている父・祖父などの日記・メモ・資料を少しづつ紹介していきます。できたら全文を掲載できるようになりたいです。
父・節三は日本の敗戦時、平壌で徴兵され南朝鮮にいたためシベリア送りを免れましたが、1946年4月まで釜山で残務整理にあたりました。父が23才から24才の頃です。
手書きの実物の当時の日記が残っているので、いずれ全文を公表したいと思います。
今日は紹介だけです。
現物はタテ19センチ×13.5センチ。24ページ。
さいしょの半分は、1月14日から4月12日までの日記ですが後半はかなり書かれた日がまばらです。
あとの半分は当時の流行歌や英語の歌が書かれていて、釜山滞在時に書かれたものか、浜松へ帰ってから書かれたものかはわかりません。
表紙に「釜山勤務隊 本部 中谷節三」とあり、裏表紙には「福岡縣二日市町 朝鮮軍残務整理班 釜山軍連絡部」と書いてあります。
家に残っている父・祖父などの日記・メモ・資料を少しづつ紹介していきます。できたら全文を掲載できるようになりたいです。
父・節三は日本の敗戦時、平壌で徴兵され南朝鮮にいたためシベリア送りを免れましたが、1946年4月まで釜山で残務整理にあたりました。父が23才から24才の頃です。
手書きの実物の当時の日記が残っているので、いずれ全文を公表したいと思います。
今日は紹介だけです。
現物はタテ19センチ×13.5センチ。24ページ。
さいしょの半分は、1月14日から4月12日までの日記ですが後半はかなり書かれた日がまばらです。
あとの半分は当時の流行歌や英語の歌が書かれていて、釜山滞在時に書かれたものか、浜松へ帰ってから書かれたものかはわかりません。
表紙に「釜山勤務隊 本部 中谷節三」とあり、裏表紙には「福岡縣二日市町 朝鮮軍残務整理班 釜山軍連絡部」と書いてあります。