雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 7月1日(日) 7月の始まりは、大飯原発再稼働や福島4号機冷却系故障

2012年07月02日 05時53分20秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月1日(日) 7月の始まりは、大飯原発再稼働や福島4号機冷却系故障

 7月は和語で「文月(ふみづき)」、今日から1年の後半の始まりです。

 大飯原発の再稼働は、警報続きのようです。小事故の上に中事故、中事故の上に大事故があります。

 昨日は福島第一原発の4号機の核燃料プールの冷却水循環システムが故障して、故障が直るまでに温度が10度上昇しました。長女から「浜松は放射能、増えてない?」とメールがありましたので、測定して「異常なしです」と返信しました。

  ☆

 家庭内上映ですが、1952年の映画「原爆の子」を則子さんと鑑賞しました。1時間36分。いい映画でした。被曝から7年目という設定で、広島市内で被爆時に幼稚園の先生をしていた若い女性を主人公に広島を訪問する映画です。

 1952年といく時点で物語は進行するので、「原爆の日」だけを描いた話よりは、すこし楽に見れます。主人公は父母を失い、叔父さんのいる瀬戸内海の島で幼稚園の先生をしているという設定で、夏休みに主人公の親友をたよって広島に行き、当時の生徒などを訪ねます。

 たんにつらいだけの映画ではなくて、絶望も希望も、両面をきちんと描いています。1952年という時点で、こういう映画を撮影できた新藤かねとさんって、どういう人だったんでしょうか。

 1952年という年は、サンフランシスコ条約が発効して、それまでの米軍の報道管制が解けて、「原爆報道禁止」が解除された年です。その年に封切りということは、もっと前から準備していないとできませんよね?

 新藤監督さんは、いったいいつから準備を始めたのでしょうか?もしかしたら、1945年から?
 
 新藤さんは今年、2012年の5月末に亡くなりました。他の映画も観たくなりました。

  ☆

 6月半ばから、浜岡原発住民投票の署名を集めています。則子さんと二人で、中区の受任者になりました。もう少し集めます。

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。