雨宮日記 6月14日(木) 曳中(ひくちゅう)生徒自死に
昨日「自殺」という表現を使いましたが、今後はすべて「自死」という言葉を使います。自分を殺せるわけがありまん。人生が苦しくて苦しくて、楽になりたくて「死を選ぶ」のですよね。「死」よりも「生」の方が苦しいから、死を選ぶんです。
これまでの「自殺」表現は、可能な限り「自死」に直します。
15日朝帰って来て、パソコンを立ち上げネットを開いたら、やけにヒット数が上がっていました。曳中の生徒「自死」事件を扱ったからでしょうか。
則子さんの話では、曳中(曳馬中学)で何か集会が開かれていたようです。それと、町内のあちこちで、みんなひそひそ、立ち話の輪がすごく多いと言っていました。
報道も含め、もう少し調べてから、この件については書きます。今日は、あまり情報はなしです。この件を見に来た方には、ごめんなさいね。
そうだ、むかし、浜松でも中学生の自死があったのを思い出しました。何年前でしたかね。午後、Oさんに電話して調べてもらおうと思います。その後の対策はどうだったのでしょうか?
☆
今日も、学習会「いのちと原発 第1回 原子核と放射線の基礎知識」の講義原案づくり。やっと、いろんなことがつながってきたので、頭の中はスッキリしてきましたが、これを、みんなにわかりやすく、適切に話を作るのは大変。あと10日です。
でも、自分に納得のいく自分なりの新しい物語を語るのだと、いうことだけは確信があります。それも、則子さんにわかってもらえるレベルで、ですね。
やはり放射能問題で、中心のテーマは「内部被曝」だと思います。ここが争点です。
☆
14日の夜、則子さんと「こういうビラ作って」「それはぼくの属する組織じゃないから、ぼくが作るのはおかしいよ」「じゃあ、送ってくれるメールの添付ファイルを印刷して」「わかった」と、すこしぎくしゃくしました。
ところがUさんから送ってくれたワードファイルの印刷がうまくいかなくて、何かの設定がされているのでしょうね、ビラ全体の7割くらいしか印刷されません。何回も、10回以上、設定を直して印刷しても直りませんでした。
その7割しか印刷されないビラを則子さんに渡して「これしか出ない」「これ以上は無理」と言って、期待に応えられないのと、これから仕事へ行くのに疲れているのに、というのが半々で、少しふてくされて寝ていました。
あと1時間で夜勤に行く時間、則子さんが布団の中へ、ボクの横に滑り込んできて、優しく抱いてくれたので、なんだか嬉しくなって、しばらく抱きあいました。
ま、別にどうってことのない、いつもの「夫婦活動家」の風景でした。(「活動家夫婦」ではありません)。
昨日「自殺」という表現を使いましたが、今後はすべて「自死」という言葉を使います。自分を殺せるわけがありまん。人生が苦しくて苦しくて、楽になりたくて「死を選ぶ」のですよね。「死」よりも「生」の方が苦しいから、死を選ぶんです。
これまでの「自殺」表現は、可能な限り「自死」に直します。
15日朝帰って来て、パソコンを立ち上げネットを開いたら、やけにヒット数が上がっていました。曳中の生徒「自死」事件を扱ったからでしょうか。
則子さんの話では、曳中(曳馬中学)で何か集会が開かれていたようです。それと、町内のあちこちで、みんなひそひそ、立ち話の輪がすごく多いと言っていました。
報道も含め、もう少し調べてから、この件については書きます。今日は、あまり情報はなしです。この件を見に来た方には、ごめんなさいね。
そうだ、むかし、浜松でも中学生の自死があったのを思い出しました。何年前でしたかね。午後、Oさんに電話して調べてもらおうと思います。その後の対策はどうだったのでしょうか?
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今日も、学習会「いのちと原発 第1回 原子核と放射線の基礎知識」の講義原案づくり。やっと、いろんなことがつながってきたので、頭の中はスッキリしてきましたが、これを、みんなにわかりやすく、適切に話を作るのは大変。あと10日です。
でも、自分に納得のいく自分なりの新しい物語を語るのだと、いうことだけは確信があります。それも、則子さんにわかってもらえるレベルで、ですね。
やはり放射能問題で、中心のテーマは「内部被曝」だと思います。ここが争点です。
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14日の夜、則子さんと「こういうビラ作って」「それはぼくの属する組織じゃないから、ぼくが作るのはおかしいよ」「じゃあ、送ってくれるメールの添付ファイルを印刷して」「わかった」と、すこしぎくしゃくしました。
ところがUさんから送ってくれたワードファイルの印刷がうまくいかなくて、何かの設定がされているのでしょうね、ビラ全体の7割くらいしか印刷されません。何回も、10回以上、設定を直して印刷しても直りませんでした。
その7割しか印刷されないビラを則子さんに渡して「これしか出ない」「これ以上は無理」と言って、期待に応えられないのと、これから仕事へ行くのに疲れているのに、というのが半々で、少しふてくされて寝ていました。
あと1時間で夜勤に行く時間、則子さんが布団の中へ、ボクの横に滑り込んできて、優しく抱いてくれたので、なんだか嬉しくなって、しばらく抱きあいました。
ま、別にどうってことのない、いつもの「夫婦活動家」の風景でした。(「活動家夫婦」ではありません)。