雲は完璧な姿だと思う。。

いつの日か、愛する誰かが「アイツはこんな事考えて生きていたのか、、」と見つけてもらえたら。そんな思いで書き記してます。

よく、知っている

2018-06-22 00:01:28 | 感謝
気がつくと、

何かと戦っている自分がいます。

特に戦う必要など無いものに対しても?

対峙している自分に気づいたりもします。



それは、もう、

長いこと自ら理解して来ている自分であり。

付き合って来た自分でもあり。

それ以上に、

日々変化して来た自分でもあり。



僕は、

決して貧乏というわけではありませんでしたが、

裕福でユトリのあった家で生まれ育ったというわけではなく。

幼い頃から常に何かと戦っていたり、

向かい合っていたり。

両親や学校、
社会構造や組織みたいなものに
反発心を持って進んできたような部分も多分にあって。

それは、

ちょっとした癖にもなっている様で。

思いもよらなかった大学進学をキッカケに、

18歳で生家を出てからも、

僕はそんなふうにして生きて来たようにも思います。

しかし、そんな反発心は、
時々で「夢を持つ」というエネルギーになっていた
とも思えていて。
時に「怒り」となるようなことも。

そして、

そんな「戦い」のエネルギーは、

生活を重ね、

年齢を経ていくにつれ、

好ましい方向へと変化して来ているようにも感じられています。

良いバランスへと向かって進んで来ている様にも思えています。

もしかしたら、そんな、

「生きていく上での自分の変化を前向きに理解できている」

ということこそが

「幸福」

ということなのかもしれなくて。



ソレは、ある日、突然、
失われることもある幻だとも理解していますが......




ただ、

でも、

時折、

ちょっと疲れ果ててしまう時もあるのです。

無意識に戦っているような事が、モノが、相手が、癖が、

あるからなのか?

「そんなことはないよーーー。。」

などと言いながらも、

無理をしている様な部分があるからなのか。

自分を誤魔化しているようなことがあるからなのか。

全てを「無し!」として、

悠々と暮らすような生活を夢見てしまったり......とか。

小市民とはこのことでしょうか!?

ね(^^)



先日。

コニャ(奥さん)が組んでくれたギリシャの旅があって。

仕事的にはとても忙しい最中のスケジュールだったのですが、

かなり前から受け取っていたトアル女神様からのメッセージと、

コニャの楽しそうな顔を思い、

周囲にお詫びと力添えをいただきつつ、

強行スケジュールで行ってきました。

神様との約束で、
自分的に絶対!外すことが出来ない場所を
コニャに2つだけ注文していたのですが、
結果、旅スケジュールの中に
エーゲ海の島々を回る船旅なるものも入れられていて。
僕がソレを知ったのは出発の前日なのですが......
その回る島々の中に
「ミコノス島(Mykonos)」という島もありました。
僕には初めての島。

イザ、

そのミコノスなる島に上陸してみると。

これが、まぁ、なかなかに、ゆったりとしていて。

世界中からの観光客がわんさか......といるにはいましたが、

それでも、

島の持つ本来の空気感は決して乱されることはなく。

のんびりと、

「何か」に対するコダワリや、

意欲みたいなモノが全く含まれていない空気で......

「何か」とは、

「社会」とか「共同体」の「意識」とか。

「仕事」や「日常」に対する「欲求」みたいなものの様な気がしましたが......

経済破綻している国の人々の産む空気とは全く思えませんでした。











この時以降、この島はとても好きな島となりました。

勿論、こんな島や場所は日本にも世界中にも沢山あって。

近くにあるクレタ島やサントリーニ島などもそうですし。

ただ、あくまで「私的」な感触が、

この島ではちょっと......特別だったのです。



「そうか......

俺は......

この島と海をよく知っている......」



紺碧のエーゲ海に散らばる島々は、

猫島!

とも言えるぐらい、

野良リーな猫さんがアチコチに沢山いらっしゃって。

その猫さん達も、

日本でよく見かける猫さん達とはちょっと性質が違っていて。

島の空気がそのまま反映されているかのような、

ひどくのんびりとした猫さん達で。

まったくピリピリ感のない猫さん達。

暮らす人々の鏡の様なネコさん達。











そして、この島を僕の中で特別にしたものが、

コニャが狙いすましていた!?

町外れの路地裏にひっそりとある

「マリアズ(Maria’s Mykonian Traditional Restaurant)」

というレストランと、



とても美味しかった「ムサカ」という料理と.......



「ケフテダキア」というギリシャ風ミートボール料理と......



ギリシャ・ビールのミソス(mythos)と......



ちょいちょい笑わせてくれる、
ラテンな店員さんのリゾートなキャラクターと......



......それと、

このレストランの前の小道を、

海辺に抜け出た場所で眺めていた夕陽。



紺碧の海。風。

道端の少年が奏でるミニ・アコーディオンのメロディー。

思わず回してしまった、滅多に回さないスマホ動画.....



僕は、

やはり、

何かと戦っていたようです。

けっこう、

深く。

厳しく。

辛く。

それを、

誰にも言えなかったようです。



自分自身にすらも。



人には自尊心があって。

「そんなもの捨ててしまえ!」

という賢者然とした人も沢山いますが、

決して恵まれた環境で育ったわけではない僕には、

そんな自尊心は生きていくためには実は大切な「鍵」で。

そして、自分で認識している自尊心は、

社会が突きつけてくる答えより幾分

「上回った場所」に置いているのが常です。

それは人の常だとも思います。

もし、そんな自尊心の置き場所が、

周辺社会の評価場所と比べ、

上下左右前後に大きく差がある所にあった場合。

人は苦悩することになります。

しかし、絶対に、

自己評価が社会評価より下回ってはいけません。

それも地獄です。

高潔な自尊心は時に「誇り」というものにもなり、

誇りを失っても人は崩れ落ちるものです。

自尊心は、

必ず、

社会から向けられるソレより上回っていなければいけません。

なんとしても、静かに、心奥深くで、

上回らせていなければいけません。

信じるとは、時に、そういう事です。

それが強く生きることに繋がります。

僕はそう思っています。

最も大切なことは、

そんな自尊心の置き場所を、

常に疲れぬよう、

適切な場所に保つことのように思います。

上回らせた上で、

左右前後の真ん中を見出していなければなりません。

その場所はとても繊細に、

冷静に考えるべき「現実との差分」なのだと思います。

それは自分を成長させたい分の、

天へと向かう差であって。

しかし人の世は常に、

上にも下にも、

左右、前後にも、

差分を適当以上に大きく動かそうと揺さぶりをかけてきます。

そんな事々に対する対応作業も戦うことと似ているような感じで。

それはきっと、

僕だけでなく多くの人々もしている戦いなのではないでしょうか。



ミコノス島の夕暮れは、

柔らかな美しさと、憂いとを持って輝いていました。



僕は、少し、

思いを巡らされ。

幸せの意味を再考させられ。

その意味の理解を少しだけ深めることが出来たような......

今は、

そんな気がしているのです。(^^)


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チイセーです。

2018-01-17 00:00:57 | 感謝
うめめめめめめめめめめめめめめめーーーーーっ!(OvO)

これ!

うめーっす!

イカ天 瀬戸内レモン味!

うちのスタッフさんから広島土産でいただいたんすけど。
イカなんすよ。イカ揚げ。
そこにレモンパウダーがフリフリされていて、
ゼツミョーにスッパ美味しいんす!
やめられない止まらない、どんとこい!って感じで。
美味さにの前ではついつい負けが込んじゃうのです。アチキ。ええ。
負け続けた挙句に、
家でネットから袋買いまでしちゃったのでつ。(*´ω`*)ダメナオトコナノ......
で、この「燻製さきいか ブラックペッパー」なるものもウメーッスの。



こちらは「ポンチキ会社ブログーズ」の
プリリンねーさんにもらったのですけど、
「ほうじ茶」あたりと組み合わせるとたまらんポンチでして。
ええ。ええ。
その、ほうじ茶さんも、
ポンチキ・ブログーズの「hiroさん♀」さんに貰っちゃったりなんかして。



「むー茶」なるものらしいのですが、
コリがナカナカの仕上がり具合で。
無農薬、無肥料栽培の伊勢茶がベースらしいのですが、
天然感満点のお味。
それでもって南知多のスーパー神社「荒熊神社」さんからも、
こんな「絶賛!美味しい中!」の蒲郡ミカンさんまで届きまちて.......
荒熊の大神さんから太陽が届いたみたいで......
畏れ入るのでやんす。




なんだか素敵な貰い物が沢山で有り難いのです。
しかも、最近はこのブログのおかげ!?なのか?
公益財団法人の仕組みぐらい複雑奇怪な
僕さんの趣味嗜好性を見事に突き破る!
頂き物さんがミョウに増えたようにも思うのでやんす。



嬉しいのでやんすぅぅぅぅーーー。。(●´ω`●)。。



嬉しいついでに、この季節。
例によってラーメンモードに突入中でして。
サブイっすから。
ええ。ええ。
暖かさが染み入る北海道生まれのラーメンさん辺りが
妙に恋しくなったりもしまして。
特に、この札幌の雄!
「西山製麺(西山ラーメン)」さんの麺を使ってるお店さんなどには、
僕さんもう、メッポウ弱く。
連戦連敗の借金地獄でして。
ええ。ええ。



こちら!
六本木界隈の定番!
ドラム缶でお馴染みの「天鳳」さんの醤油ラーメン。





この麺!っす。ええ。
バリカタってやつでして。
頼むのは、いつも。
うめーーーーーーっす。
泣いちゃうっす(T ^ T)ぷひひ......



天鳳さんは北海道でも
旭川あたりのラーメンを基にしているお店さんなので、
断然、醤油が美味しいのでやんす。
恵比寿にある、この「うえだ」さんも。
東京にいながらにして
「旭川な醤油味を堪能せしめたもーなりーぃぃ......」
って。ね。ええ。(´ω`*)



麺はわざわざ旭川から取り寄せているとのこと。



本家本元の旭川でよく寄るお店は、
こちらの「梅光軒 旭川本店」さん。
街中にあって、
いつも夜遅くまでやってくれているもので。



今や支店も沢山あるみたいなんすけど。
コチラわ醤油野菜ラーメンにゆで卵トッピングの
絶賛お太り中コースでして。



どれもこれもおいちいですのー、おいちいですのぉー、、((●´ω`●)
カップラーメン軍団にも見せつけてやりたいっすのぉー、、、
このお味。

で、シメにわ勿論!のコーヒーさんで。
ええ。ええ。
新年に新しいものを開けましたの。
バリ島、キンタマーニ高原
「WSアグロ(Segara Windhu Agro)」 珈琲さんののの!
「コピ・ルアク( luwak coffee)」ピーベリーーーーーーッ! \( ˆoˆ )/
と言いつつ......どーも、ルアク珈琲におけるピーベリーとは、
メスのジャコウ猫のうんち珈琲を指しているみたいなのですね......



ゼータクですのー、ゼータクですのー。。

幸せですのー、幸せですのーーーー。。

でもねー、でもねー。。

チイセーですのー、チイセーですのーー。。

アチキの幸せ......( ˙-˙ )ポイ〜ン。。



常備のお酒さんも新年に変えまちて。
今年はこちらの「仙禽(せんきん)」さんの「無垢」でスタート。
お家のいろんな所に使ったり、飲んだりもするお酒なんすけど。
そんなお酒さん達は、いつも

「コレわわわわ!
すげーお好みそーーでございまつ!」

ってものをその時々で選んでおります。
この仙禽さんのお味は凄く滑らか。
香りの広がり方も上々で、
白ワインみたいなので、とてーもお好み。
複雑怪奇な嗜好性ですし。僕さん。ええ。
ちなみに一つ前のお酒もまったく同じ嗜好性のお酒さんで、
素晴らしかったのです。
「作」と書いて「ざく」と読む!( ˆoˆ )/
2017年、冬季限定、新酒!お宝!



ガンダム・ファンにわ垂涎のお酒ですのな。たぶん。
ええ。ええ。
コイツの香りの素晴らしさは日本酒界でもクリンアップ!
かもしれませぬ。
グルメ人の「K様」にも伝えないといけないですな。
これもかなりのレベルでワイナリーなのでやんす。
スムース&スイート。
とにかく香るっす。香りちゃん。

「かおりちゃぁぁーーーん!( ´△`)/ しゅーごぉぉーーーーー!」

みたいな。
お部屋がフローラルに酔っちゃう感じで。
ええ。ええ。
この文章もかなり酔ってますので。ええ。
おつきあい頂き、お疲れマンボー!(//∇//)ぷはー......


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Fireworks

2017-08-18 00:25:31 | 感謝
伝えによると、明治時代に千住大橋の落成を祝って
花火を打ち上げたのが最初とも言われている「足立の花火」。
そこから考えると既に100年以上の歴史を持っていて、今や、
打ち上げ玉数も一時間で1万2000発以上という、
東京屈指の花火大会の一つともなっている様です。

そんな花火大会の一部を演出プロデュースさせてもらったのが昨年で。
なかなか良い雰囲気で終わることができたということもあり、
今年も引き続き同じ仕事を依頼されていました。

昨年は初めての仕事ということもあり、
個人的にはかなり「様子見」的な部分があって。
今年はそんな昨年の事を踏まえ、
明確になっていた反省点を区長さんを中心に区の職員の皆さんと幾度も話し合い。
ソレを職員の皆さんが事前にしっかりと潰すこともしてくれて。
昨年より、より万全な準備を持って開催日を迎える事が出来ました。

宣伝戦略に関しても今年はかなり突っ込んで参加させてもらい、
突然組まれた区長さんとのTV対談やらなんやらも一通りこなしてみたり......と、
足立区スタッフの方々の様々な努力の結果、
動員は昨年の55万人に対し66万人!
という過去最高の記録を達成。大盛況で終わることができました。
11万人以上もの数字の伸びは前回の印象から生まれた口コミや、
様々な宣伝努力が結実した結果ではないかと、晴れ晴れしく思いつつも、
特に今年は肝心の「花火の内容」が質、見せ方、
共に格段に良くなったと思います。
新しく迎えた花火師さん達の技術が一際光っていました。

なんにせよ、完璧な天気に恵まれたことが何よりだったなぁ、と。
」が続いている今年の他の花火大会を見るにつけ思ったりもします。
ラッキーさんでした(^^)



そんな花火大会で、訪れた皆さんの顔を見ていると、
幾つか強く思うコトというのもあったりして。
それは、とても当たり前なことなのですが......
皆、一緒に、同じ方角を向いていて、
一心に、一つのものを見ている......ということ。
勿論、ステージモノである音楽や映画、演劇、
エンターテイメント系の様々なイベントなどでは当たり前の光景ではありますが、
花火にはそれを「特に強く」感じられるのです。
花火というのは、
それらとはまた違った感触と雰囲気とがある様に思えるのです。
多分、
「一瞬の出来事も見逃さない」
という集中力にも似た皆の気持ちの強さ。
それと、人為的な「創作物を見る」というより、創作物ではあるけれど
「自然の風景に近いものを見るんだ」
というニュアンスに寄った心持ち。
それはまるで海や山の景色を見る様な、
そんな感覚に近い皆の持つ空気感、感触......
そんなことが僕には感じられます。



そして、例えば若いカップルさん。

二人して憧憬とも満足とも言えそうな顔をして夜空の花火を見上げている。

花火が消え、フト、横を見ると......

大好きな人がいる。

しかも......

笑って。

友達同士も、家族の皆さんもそう。

皆で大空を満足そうに、楽しそうに見上げていて、

フト、横を見ると、

大切な人達と目が合う。

それは、なんだか、

僕にはとても大切な風景に見えていて。

もしかしたら、

本当に近しい人との関係というのは、向き合うより、

こういうふうな形が最善なのではないか......

と。

そんなことも思うのです。

普段、なかなか接点のない人との付き合いは、

時間がなかなか取れない、少ない、という故に、

文字どおり「向き合う」ことが重要で。

でも毎日顔を合わせられる様な、いつもすぐ側にいてくれる様な人とは、

花火を見る時のように、

向き合うより、前後左右に並んで、

同じ方角、同じもの、同じ風景を見て、

そうして、

フトした時に向き合って、

お互いに見えているものを確認する。

それが笑顔なら最高で。

悲しい顔ならば、

その時こそは向き合って。

しっかりと話し、共有して......また、側に戻って。

そんな歩み方。

大切な人とは向き合うのではなく、並んで歩く。

向き合って歩くと......ぶつかっちゃうし(^^)

そんな感じ。



花火からはいつも、
そんなことを教わったりもするのです。



好きであれば、自由にしてあげてください。

大切であれば、同じものを見てあげてください。

正しいも間違っているもなく、ただ、一緒に見ればいいのです。

ただ、一緒に味わえばいいのです。

ただ、一緒に歩めばいいのです。

それだけで、

皆、孤独と決別できるはずです。

それだけでも、人は道を外したりはしないはずです。

好きであれば、隣にいてあげてください。

ただ、それだけで、

人は繋がることも、理解し合うこともできるのです。



————————いつも花火は煌びやかで、大きく、雄弁の様に思えます。



2015年。この仕事のオファーを受け、
初めて会場視察に行った時には、こんな巨大で美しい虹が......





二本の虹のウチの一本はスカイツリーの真上から......
この仕事はやらないといけないのだろうな......と、
そう思った事をよく覚えています。



昨年も......



今年は朝から荒川の龍神さんが!?来てくれて(^^)



いつもの!?日輪......



他にもたくさん......



やはり時折、虹......彩雲も。



いつも一人、ひっそりと、必ずご挨拶に行く、
花火大会会場のすぐ側、荒川土手沿いにある「大川 氷川神社」。
祭神は勿論、虹の主、スサノオさんです。



本殿裏の富士塚の上に、天に届きますように......と。
お酒なんぞを(^^)



お終いに、去年の演出に使った曲、
ツカヘイさんの好きな「セカイノオワリ(世界の終わり)」さんの
「ドラゴン・ナイト」を。
花火を見ているといつもこの曲が頭を巡るので......今一度記しておきます(^^)



Dragon Night
歌:SEKAI NO OWARI
作詞:Fukase 作曲:Fukase

今宵は百万年に一度太陽が沈んで夜が訪れる日
終わりの来ないような戦いも今宵は休戦して祝杯をあげる

人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の嫌いな「彼」も彼なりの理由があるとおもうんだ

ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう
ムーンライト、スターリースカイ、ファイアーバード
今宵、僕たちは友達のように踊るんだ


今宵は百万年に一度太陽が夜に遊びに訪れる日
終わりの来ないような戦いも今宵は休戦の証の炎をともす

人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の「正義」がきっと彼を傷付けていたんだね

ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう
コングラッチュレイション、グラッチュレイション、グラッチュレイション
今宵、僕たちの戦いは「終わる」んだ


ドラゴンナイト 今宵、僕たちは友達のように歌うだろう
ムーンライト、スターリースカイ、ファイアーバード
今宵、僕たちは友達のように踊るんだ




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特別だと、思ってます。

2017-02-23 00:17:31 | 感謝
ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、
オランダ語、英語......
ヨーロッパでは隣の国と言語が全く違うということが当たり前のようです。
日本で言えば、
隣り合う都道府県で公用語が違うと言った状態でしょうか。

そんな地域において作られるプロダクトというのは、
必然的に多言語や多文化をマーケットとしていくこととなり。
それは様々な背景を持った人々にも直感的に理解が出来て、
使うことも出来る様なデザインが生まれ、
育って行く土壌ともなり得ます。

例えば、
ヨーロッパ車のスイッチ類のアイコン・デザインなどはとても典型的で。
見た瞬間に、
そのスイッチの意味や使い方等が直感的に理解出来る様になっています。
最近では日本車もそうなってはいますが、
アメリカやヨーロッパの車においてはもう、かなり前から、
そういったデザインが完成されていた様に思います。

そんなヨーロッパのグローバルでユニバーサルなデザインの潮流は
近代に端を発していて。
その時期のヨーロッパでは、
フランス革命を初めとする市民革命が各地で相次いで起こり、
王侯貴族の階級的社会から市民主導の社会が広く構築されていきました。
すると、それまで一部特権階級の人々のモノであった贅沢品や、
様々なモノモノが一般にも広く行き渡る様になっていき、
沢山の人々に受け入れられるプロダクトや
デザインが求められるようにもなっていきます。
そんな時にトドメ!とも言える「産業革命」なるものも起こりました。
産業革命によって機械化されたプロダクトメイクは、
それまでの一部特権階級が好んだ華美な虚飾が省かれ、
簡素で合理化されたデザインとなり。
無機質化もしていきます。
やがて、その合理的で無機質なプロダクトにおいても

「デザインの力によって様々なアクセントや付加価値を加えよう......」

という動きが高まっていき、
シンプルなデザインの中にも「美」や「思想」「センス」
を込めたモノも生まれて来ました。
デザインにおけるそんな流れは、
アートシーンにおける「抽象画」や「ポップアート
などのムーブメントともリンクして、
一部のプロダクトなどは高尚な「芸術作品」
とも呼べるような領域にまで高められていきました。

これが所謂「モダンデザイン」という潮流。

この流れは「バウハウス」などによって
ミッドセンチュリーに栄華を極め、
今に至るまで続いているデザインの一大潮流でもあります。
コレを

「大衆のための大量生産可能な家具」

と言ったのはドイツの家具職人トーネットさんですが、
この言葉もモダンデザインの一部分を的確に表現していると思います。
現在、その流れは一部

「ユニバーサルデザイン=Universal Design」

というものにも引き継がれていて。
他にも「ピクトグラム」と呼ばれる「絵文字」や
「絵単語」的デザインなどにもその影響が見て取れます。
わかりやすく言えば、
標識とかスマホアプリのアイコンデザインなどもそうです。
無駄が省かれた直感的でシンプルなデザイン。





「モダンデザイン」「ユニバーサルデザイン」「ピクトグラム」......
アートにおいては「ポップアート」......それらには、
多くの人に瞬時に理解されやすいという利点とともに、当然、
相反的に抱えるリスクもあって。
それは何か?と言えば、
上記もしたようにシンプルで合理的、
直線的な部分も多いデザインなのでコピーをされやすかったり、
無機質で温かみがないものになってしまいがち......
ということでしょうか。
作者の思いや表現したいことなどが限りなく入れ込みづらくもなります。
それはアートからは遠くなりがちなものにもなりやすい......
ということでもあるのしょうか。



僕が愛してやまないミッフィーさん。
またの名は「うさこ」ちゃん。
ミッフィーとは、キャラクターでありながら、実は、
この様なデザインやアートの潮流の中にあるモノだったりもするのです。

ただし!

です。

個人的にはミッフィーは特別だと思っています。

愛してやまない、

それなりの理由と凄みを僕は感じていたりするからです。

ただの」子供向け絵本、キャラクターなどではではない!

と思っているのです。

それはきっと、

見た人全てが本能的に感じていることではないか......と、

僕には思えているのです。



まるで一筆書きのようにシンプルな線で描かれているミッフィー。
それはまさにモダンデザインのよう。
しかし、実は、
ミッフィーには一つとして「直線」は存在していません。
それは、絵の全てが「手書き」で描かれているからであって、
手書きにしても物差しや定規などの道具は一切使われていないためです。
もちろんコンピュータも使っていません。

そして、そんな線はよく見てみると、
手書きであるが故に輪郭がギザギザとユラユラと、
不規則に波打っています。
人の手というのは何かを書く時にも必ず揺れているからです。
さらに、その手の揺れがシッカリと線に滲み出る様に、
こだわり抜いた筆やサインペンを選んで、使い、描かれています。
だから波打っているミッフィーの線の輪郭とは、
描いている人の「手の揺れ」そのものなのです。
印刷ものやコンピューターソフトで描かれる、
綺麗でまっすぐな線の輪郭とは全く違うものなのです。

そういう意味でも、

ミッフィーには一つとして「直線」は存在していないのです。

シンプルな線を軸に描かれているのに、です。

自然界に直線は「ほぼ」存在しません。

ミッフィーもそうなのです。

合理的で無機質になりがちなモダンデザインの悪いところを、
「手書き」「筆」というシンプルな絵画的魔法でもって、
どこか温もりのある、
どこか手触り感のある絵に仕上げているのです。
心のこもったそんな線を何本も何本も書き直しながら、
その膨大な数の線の中からしっくりくる一本だけを選び、
仕上げられているのです。







想像してみてください。
定規で線を描かれたミッフィーを。
線の輪郭が揺れていない、ピシッ!とした、
エクセルシートの様な線のミッフィーを。

それはミッフィーではありません。

偽物です。

ライツコントロールの甘かった昔は、
時たまそんなニセ・ミッフィーを見かけましたが......
そして、その色使いも、線の描き方と同様にいたってシンプル。
しかし、自由で自在な組み合わせ方。使い方。
色環標における対色、補色、同系色、中間色......
色使いの基本とも言えるような形をしっかりと踏まえながら、
時に驚くような意外な組み合わせや、崩し、壊し、もあります。
色使いの基本がしっかりと印象付けられるベースがある故に、
その「崩し」は時に驚くような効果を生み出したりもします。
一度だけ、ミッフィーの誕生日のお話の回で、
オシャレして柄物の服を着ているミッフィーが登場します。
その衝撃たるや......

「み、みっふぃーが、、が、ガラモノの服を着てる......」



あまりに似合わなくて!?なのか?
作者もそれ以降二度と描いていないのですが......
僕らマニアはこれを「ガラミッフィー」と呼び、
伝説として祀り上げました。
しかし、
そんな衝撃もシンプルな色使いや考え抜かれた構図あってのもの。
それらにおいてミッフィーは教科書的な価値や輝きすらも持っているのです。
それは本当に完成されていて。
一分の隙もない完璧さ。
僕には感動的ですらあります。



だから僕は、
デザインのアイデアに迷ったり、悩んだ時は、
ジーーーっと、
ミッフィーを見つめるのです。
それは、そこに多くの答えがあるからです。
ミッフィーは、いつも、僕に必ず何かを気づかせてくれます。
何かを正してくれます。



いいかい。
物事はシンプルでなくちゃいけないよ。
みんなにわかりやすくなければいけないよ。
でもね、
そういう方向を突き詰めすぎると無機質で冷たいものになっちゃうんだ。
それもダメだよね。
合理だけだと悲劇も沢山生まれるんだ。
そういう合理化されたシンプルさの中にも必ず温かさを入れないと。
心を入れないと。
魂を入れないと。
ダメだよ。
自然にはならないよ。
完成されないよ。
完全にならないよ。
完全ってね、崩しも含まれてこそ完全なんだ。
ユガミをさ、ユガミと見せない形。
歪みを美と魅せる形。
歪みもあって完成されているということ。
uzmetさん。そーなってる?
あなたの今作ってるものは、ちゃんとそーなってる?
自然、自ら然(しかり)となっていく......
そんなふうになってる?
その作品は生きてるのかな?
大丈夫?
頑張ってね!



ミッフィーはオランダで生まれて、
世界中で多くの人々に受け入れられたキャラクターでもあります。
絵本としても一級品。
キャラクター、商品としても一級品。
デザインの観点から見ても一級品。
自己表現をどこまで突き詰められるか?
といった領域にある「アート=美術、芸術」の観点から見ても一級品。
そんなものって世界にどれだけあるのでしょうか?
ネズミーランドやチビ猫さんなど、
キャラクターとして一級品のモノは沢山あると思います。
四次元ポケットの猫だって、
あのアニメだって、
あの漫画だって......
でも、ミッフィーは立っているステージが違うように思っています。
これを生み出した人は、きっと、
そんなステージで生きていた人ではないかと、そう思うのです。
ミッフィーはいつも、
僕にそんな生みの親の話を聞かせてくれるのです。



つい先日。2月16日。
ミッフィーの生みの親、
作者のディック・ブルーナ(Dick Bruna)さんがこの世を去りました。
89歳だったそうです。



お会いする夢は叶わなかったのですが、
これまでも、これからも、
そばにミッフィーがいる限り、
彼の絵や本がある限り、
僕は毎日ブルーナさんの教えを受けていくのだと思います。

ブルーナさん。

ミッフィーは傑作中の傑作です。

少なくとも、僕1人だけでもそう思っています。

宝物をありがとうございます。

心から感謝をしています。

どうか、少しユックリとお休みください。



生まれたてのミッフィー。
最初はこんな感じだったのですね(^^)
そして......以前も載せましたが、
ミッフィーの絵本達の中でもひときわ大好きな1ページ。



抽象画の巨匠
ピエト・モンドリアン
の絵の前でたたずむミッフィー。
少しだけ首を傾けて、何か、考えています。
ブルーナさんはピカソやレンブラント、
マティスにも強く影響を受けたと語っていましたが、
ミッフィーに関しては
モンドリアンとの並びがとても合うように思えます。(^^)
どちらの絵も抽象化を推し進めたシンプルさの中に
魂を込めた作品。
相反する要素を高次なところでまとめ上げている作品。
そんな二つが一緒に描かれている貴重な1ページ。
ミッフィーがアートの魂も持っていることを表している絵のように、
僕には思えているのです。


 

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2014-10-17 03:03:21 | 感謝
T部長さんは

「某メジャー系エンターテイメント会社の人のイメージを
描いてみて下さい......」

というお題が出された時に、
きっと描かれるであろう人物像そのままの人。

「いわゆるエンタメ系のギョーカイ人ってどんなイメージ!?」

なんて質問の答えの見本の様な人。
プロミスのCMに出したいくらい。

「キャスティングまってるおっ!(=゜ω゜)ノ 」

パーマがかった茶髪で、
ロン毛で大柄で、
チョット異国感のある顔の濃さ。
ソレ等を上回るトレードマークの浅黒い肌は、毎日、
日焼けサロンで丹精込めて丁寧に焼き上げられています。
切れ込みのないタキシード風の襟を持つジャケットや、
薄手のヒラヒラ系コートを好みます。

「おそらくEXILEを意識してるおっ(=゜ω゜)ノ 」

女子にも決して訴えられることのないエロエロ系トークも得意技。
見事。素敵。
夜な夜な繰り出すダンス系クラブも大好きで、
時々早起きしてゴルフもやっちゃいます。
暑い夏の日には、リゾート感満載!のショートパンツで、
スネ毛をヒラヒラと見せつけながら颯爽とオフィスに現れます。
人事部の不評を買う短パンルックながら、
一部マニアの間でついたアダ名は

「すね毛部長 ( ̄ー ̄) 」

敬愛すべき、される、キャラクターでございまつ。
そんな大学サークルノリのライフスタイルがとても眩しいT部長さんが、
つい最近、大きな組織改編に伴い部署を移動することになりました。
ある程度の規模を持つ会社などではしょっちゅう起こることで、
こんな時の僕の心持ちというのは以前記したこの
女神の言葉
のような感じで。



「よし!
ミンナでT部長とT部長チームの感謝食事会をやるっぺよ!(=゜ω゜)ノ」

「任意で隠れプレゼント有り!
高い値段は禁止!
T部長には内緒!」

「ヒラヒラコートは入場禁止!のドレスコードで!」



と、相成りました。
そんな送別会にはT部長を慕う沢山のメンバーが集まり、
任意だったのに全員が持ってきた!
心温まるチープハッピーなプレゼントも盛り沢山。
タクシーのトランクに詰め込まないと持って帰れないくらいの量。
そして、そんな会も終盤となりました————————



「T部長!最後に一言!......の前に......uzmetさん!
なんか一言お願いっす!( ̄^ ̄)ゞ」



という司会者からの類稀なるイヤがらせ。。



「おぉ!?おーーーううぅぅ。。(◎_◎;)」

「ヨロシクっす!( ̄^ ̄)ゞ カモーン」



————————それで、その後、
敬愛するT部長さんと仲間達に、
僕はだいたいこんな話をしました。
サブタイトルにある通り、
ココにも記し残しておこうと思います。



「、、これね、Tさんと、
Tさんに象徴されるチームみんなに対するイメージの話しとして
聞いて欲しいことなんだけどね......
うんとね......
.......Tさんてさ、、、真っ黒!やんか。見た目。

でね。でもね。
俺が最初にTさんと会った時の印象ってね、
個人的にはマッタク違っていて、
俺にはTさんて真っ白で、純粋で、ピュアっていうか、、
そんな感じに見えていたのね。
で、それはその時から今に至るまでズーーーーっと変わらなくて。
今でも真っ白で純白で。

でもそれって本来多くの人もそうだろうし、
幼い頃や若い時なんかそういう人はとても多いように思えるし。
それで、大人になって、社会に出て、働きだしたりなんかもして。
好きな人も、あまり合わないなーーと思うような人も、
一緒になって仕事したりなんかもして。
色んなコトが毎日毎日起こって、
辛いことも嬉しいこともナンダカンダと大変で。

気がつくと自分のどこかが汚れていたり、
白じゃなくなっていたり。
だいたい白や純粋なモノってワザワザ汚しに来たり、
穢しに来たりする様な連中なんかも沢山いて。
相手にそんなつもりなど無いんだけど、
そういうことになっていたりすることもあるし。

そんな世界で白や純粋さを保つことって本当に難しく思うんだよね。俺。

でね、とても個人的な話をするとね、
10代で欲しかったもの、価値があったもの、
憧れていたものって20代では違っていて。
20代でそんな風うに思っていたものは30代ではまた違っていて。
30代と40代ではまた違っていて。
コレから先も変るのかなぁ、、とは思うけど。
40代になって俺が一番欲しかったり大切に思えるものって、
実は「人としての強さ」なんだよね。

でね、「強さ」ってさ、
どうも腕っ節が強いとか、
ケンカが強いとか、
自分の弱さを見せれることが強いとか、
優しさこそが強さだとか、
いろんなこと言われたりするけど、
俺は今はこんな風に思ってるんだよね。

白さや純粋さを失わないまま働くことも、
社会的な生活も出来ているのか?って。
お金もちゃんと稼いで生活も出来ているのか?って。

“ 強さ” って今はそんなふうに思ってるんだよね。

子供の頃の純粋さや想いを保ったまま、
いっぱしの大人生活が出来ているか、どうか。
そんな「白」さを失わないまま頑張れてるか?って。
ソレが出来ている人ってさ、
俺にとってはとても “強い人” に思えるんだよね。
この世知辛い世界で、
その純粋さと白さを保ってることがとても強いことに思えるんだよ。

だからね、
俺はTさんはとても強い人に思えているのね。

とても強い。

その強さってさ、
コレから先も、移動した先の職場なんかでも、
きっとソコにいる人達や職場の空気なんかに
必ず素晴らしい影響を与えていくと思うんだよね。
コレ迄もそうだった様に、
コレからもきっとそうなると思うんだ。
Tさんはそんな強さを持ってると思うんだ。
そんな強さを持っているTさんは大好きだし、
俺はとても尊敬出来る人だと思ってます。

俺はTさんを尊敬してます。

これからもその強さで多くの人に素晴らしい力を与えていって下さい。
色々とお疲れさまでした!」



この夜、僕がTさんに 贈ったプレゼント。
マニア向け!貴重なるミッフィー60周年記念ステッカーも付けたのだ!



勿論!
ミッフィーわ大切な仲間にしかあげない珠玉のプレゼントなのだ!
何と言われようとそーなのだ!(*'へ'*)ナノダヨ!


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ダニエルキイスに花束を

2014-06-23 22:18:00 | 感謝
「アルジャーノンに花束を=Flowers for Algernon」という
世界中の人々に読み継がれているアメリカの小説があって。
最早知らない人はいないのでは?というくらい有名な、
その作品の作者である
「ダニエル・キイス=Daniel Keyes」さんが、つい先日、
フロリダの自宅で亡くなったそうです。
ワールドカップやらなんやらの様々なザワめくニュースに混じって、
とてもヒッソリと伝えられていました。
享年86歳だったそうです。



TVドラマや映画、舞台にもされて来たこの小説は、
32才になっても幼児の知能しかない、
パン屋さんで働く「チャーリィ・ゴードン」の物語で。
とあることから最新の医療を施されることになったチャーリィは、
その後奇跡的な知能回復を遂げ、
天才的な「IQ」を獲得していき......そして......



......もしかしたら、
まだこの作品に触れていない人もいるかもしれないので、
これ以上のストーリーは書きませんが。
IQが低かった時のチャーリィの言葉使いと、
高くなった時のニュアンスの違い等、
翻訳者の方も訳するのがカナリ難しかったのではないのかなぁ......
などと思えるような所も多々見受けられ。
そんな部分も含めてとてもよく出来ている作品で
心底感服してしまいます。
もし僕が「小説家」や「作家」なんて職業を選んでいて、
粛々と物書きなどをしていたとしたら、
この作品こそが最も嫉妬を感じてしまうようなものだとも思います。
いや......もう

「ジェラシー!!・°°・(>_<)・°°・。」

なんてレベルのものではなく、

「こんなスゲーもの書けるわけないやろ」

「どうやったら書けるんだ!?これ!?」

なんていう、完全な諦めも入った、
尊敬や敬愛といった領域でもって輝く作品でしょうか。
コノ小説を読んだ時に、読者として、
一人の人間として問い掛けられたことは、
今でも鮮烈な「光の玉」のようなものとして僕の中に残っていて。
その「光の玉」は心の奥の方にある引出しの中にそっと仕舞われてもいて。
時折、必要な時に、その引き出しをそっと開けて、
仕舞われているそんな玉を眺め見たりもします。
この小説には多角的で様々なメッセージや意味が含まれているとは思いますが、
僕の引き出しに仕舞われた「光の玉」から投げかけられて来ることは、
いつもだいたいこんなことです......



「慣れるなよ」



「それを当たり前と思うなよ」



「足るコトを知れ」



そして......



「思いやりだ。思い遣りこそが善なのだ」



最初感謝できていたようなコトも、
繰り返し受け続けていると、
いつの間にか当たり前のこととなって。
感謝も忘れ。
自分の生活や仕事も誰かに何かをしてもらっていて成り立っている
というようなコトも忘れてしまう。
特別なコトは、当たり前のコトとすり替えられて。
そこには

「もっと、もっと、、」

という欲がうごめいていて。
僕は目が見えなくなって。
足りていることも忘れ。
そして、何かを......
力を貸してくれている人々やモノへの思いやりを......忘れ.......
アルジャーノンの光の玉は、
時折こんなコトも僕に問いかけてきます。



「純粋さも時に罪となるのだ」



「だから気をつけなさい」



「だからどんな時も思い遣りだけは忘れないようにしなさい。
その純粋さが罪とならぬように。
気をつけなさい。」



腹が立ってどうしようもないようなコトも、
その理由を深く深く探って行けば、
きっとその奥底には感謝の欠如があるのでしょう。

だから腹が立つ。

誰かに何かをしてもらっているコトが、
何かに何かを恵んでもらっているコトが、
当たり前になりすぎて。
真実も消えて。
特別なコトに慣れてしまい、不足が生まれ。
その不足に腹が立つ。



立派!だ、凄い!だ、ヤバイ!だ、なんだ。。
愛だ、恋だ、友情だ、仕事だ、遊びだ。。と言う前に、
先ずソコに有るもの。



ダニエル・キイスさんから頂いた光の玉は、
取り出して眺めるたびにそんなコトを問い掛けて来てくれます。



ダニエルさん。
本当にありがとうございます。
僕はあなたの作品からとても大切なものを頂きました。
この玉はこれからも大切に持っていようと思います。

頑張ります。

どうぞ、
安らかにお眠りください。
とても感謝しています。

ダニエル・キイスさんにも沢山の美しき花束を。


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何処へいこうか?

2013-06-30 00:37:01 | 感謝
ひと仕事終わって。
最近やたらと綺麗になっている東京駅近くの丸の内の
オフィス街を通る広ぉーーーい石畳の道さんを
気持ちよーーーく歩いていたら......
向こう側からスノッブな丸の内らしく無い!?
ヨレタ雰囲気の茶系のジャケットと
グレーのパンツを着込んだおじさんが近づいてきます。
そのおじさんは気持ちよさそ~に、
口笛で「変なおじさん♪」を吹きながら......
僕の横を通り過ぎて行きました......



「こ、この、心と体のザワメキは何だ!?( ̄◇ ̄;)」



「ま、丸の内も色々ですな......」



今日は近所の街で
「ちりーーんちりーーん♪」
と、向こう側から4、5人の
高校生ぐらいの男女のチャリ集団がやってきて。
すれ違う時に



「なーーーっ!今日はどこいくー!?」



と、楽しげに話す声が聞こえてきました。



「今日はどこにいこうか?」



確かに、昔、
仲の良い仲間達と自転車で集まったりすると必ず言っていた言葉です。
そんな記憶があパァァァぁーー.......と、
彼らの言葉を聞いた瞬間頭の中に浮かんできました。



「今日は何処へ行こうか?」



なんだか凄くいい言葉だったんだな......と。
うん。
なんだか、改めて......ですが。
そこそこの大人になって、
こんな感じでこの言葉を使うことって
実はあまり無いかもしれない......
と、そんな感じでしょうか。



それからなんとなく、
もう一つ思い出したのが、
友人の「K様」が以前さりげなく言っていた一言。



K様は大学時代からの友人で、その大学時代。
彼と幾人かの友達と共に
スキーにドハマリしていたような時期がありました。
高じて「サル・チーム(SAL TEAM)」なんて名前の
スキーを無邪気に愛する連中が集まったチームを
組んでいたこともあったのですが、その頃はもう、
冬になると時間さえあれば
雪山にこもっていたようなのめり込み方。
明け暮れ方。
アルバイトで稼いだお金も全て
「冬」につぎ込んでいたような気がします。

そんな連中も社会人になって。
仕事が忙しくなって。
それぞれ家庭も持って......
そうやって生きれることはとても幸運で幸せな事でありますが、
皆で集まれるような事もナカナカ無くなって。
ちょっとした食事やゴルフなんかでも
ソウソウ集れるようなことはないのに。
ましてや、泊まりで行く様な「スキー」なんて、
当たり前ですが、
気がつくと全く行けなくなっていました。

そんな中、数年前。
ひょんなことからK様の音頭で懐かしのサルチーム......
仲のいい数人で......
久々に雪山に行くこととなりました。
昔から段取りのプロ!でもあるK様は
ドンドンと細かい事を決めていって。
気がつくと久々に、数年ぶりに、
皆で真っ白な雪山の上に立っていました。
社会人になって初めて!
スキーを愛する「サル・チーム」のメンバーと
ゲレンデに立つ事が出来ていたのです。

それは本当に久しぶりで、
楽しくて楽しくてたまらない時間でした。
もしかしたら学生の頃より楽しかったかもしれません。
その時K様が言っていた言葉は、
きっと彼は忘れていると思いますが、
僕はちゃんと覚えているのです。



「あのさ、社会人になってさ。
みんな忙しくなって。
なかなか集まれなかったけど、やっぱいいよな。
こういうの。
ソレゾレがさ、ソレゾレ少しづつ無理をしあって。
それでこう出来る。
そういう無理って大事だよね」



Kさんよぉ......その通りだよぉ。うん。



「それぞれが少しづつ無理をし合って一つの事をする」



遊びだけどね。今回は。
でも、ホントそう思うわ。
いいこと言うね。(^^)Kさんよ。



このブログ、
たまに見てるのかな?K様。



一応ね、俺、覚えてんだな。ずっと。

君のこの言葉。

あれ以来とても好きな言葉なのだよ。実は。

「ソレゾレが少しづつ無理をしあう」

さんきゅう。

たまにね、

「俺、今ちゃんと無理してっかな?」

なんて自問する事もケッコウあってね。

さんきゅう。

また君とも、

たまには「無理」でもし合いましょうかね!?(^_^)ィェィ♪



「今日は何処へ行こうか!?」



タマにそんな、
年齢にそぐわないバカな事を言う
変なおじさん」になるのもいいものかもしれない。
うん。



スキーは大好き......いや、
僕にとってはとても「大切」なスポーツ。
勿論、スノーボードも。
日本のスキー場であれば小さい所迄ホボ全て探検してます (^^)b
この写真は......白馬かな。

大学生の時に、
小学校の授業で転ぶ練習!?
を数日やっただけの「かすかな記憶」しか無い状態で、
やむを得ず!お付き合いで!
初めてマトモなスキーに同行するハメとなったのですが......
その時一緒に行った連中で......いや、
ゲレンデを滑っていた全ての連中の中でも抜群に上手かったのが
K様ともう一人の友人の「ポン吉」くん。
雪国で生まれ育ったコヤツ等はもぅ......半端なく上手い。
ボーゲンすら出来ない超初心者の僕を、
まるで子犬をもて遊ぶかの様に
楽しげに山の頂上まで無理やり上げ放ち。
その時、真っ白な雪山の山頂でコヤツ等はこう言いました......



「先ずは山頂で山にちゃんと挨拶しなきゃダメなんだよ。
スキーは死ぬスポーツだからさ。。」



その後、下に降りるまで......
死ぬ思いしたわ。
ほんまに。(T . T)


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パリスのペン

2013-05-28 00:02:51 | 感謝
先日までアメリカの「ラス・ベガス(Las Vegas)」に
チロリと行かせてもらっていたのですが、
写真のペンは、そのラスベガスのストリップ沿いにある
「パリス(Paris)」という大きなカジノホテルのスタッフペンさん。
滞在中にずっとレンタカーを借りていて、
そのレンタカー屋さんのオフィスが入っていたホテルがそのパリス。
この写真の真ん中に佇んでいる「プチ」エッフェル塔と、
バルーンのオブジェのあるホテルさん。



オフィスは夕方には締まってしまうのですが、
べガスでは殆どのレンタカー屋さんが営業時間外での車の返却を
郵便受けの様な「返却専用ボックス」で24時間!
受け付けてくれていて。
ソコにキーと一緒に返却書類を入れればOK!
というシステム。

流石に眠らない街。
とても便利です(^^)

今回泊まっていたホテルは
「モンテ・カルロ(Monte Carlo)」というホテルで、
パリスから少し歩いた所に在ったのですが。
翌朝早くの便で帰国予定だったくせに
「シルク・ド・ソレイユ(Cirque du Soleil)」の新しいショウを見て、
その後も深夜まで街やらカジノやらを徘徊してしまい......
車を返却しようと思ったのは深夜二時過ぎ。
べガスでは

「本番はコレからだぜぇーーぃ!ダ━━━━(`∀´)ノ━━━━━━!!!」

ってな時間ですが、
すっかり眠たくなった僕は

「ブイイイーーン!!」

と、パリスの返却ボックスに車さんと一緒に向かいました。
パリスの駐車場内にあるレンタカー屋さんのパーキングロットに車を停め、

「ありがとよぉーーぉぉ、、、
君ともお別れだぁよぉ、、(´;ω;`)グスン...」

と、お世話になった愛しいお車さんに挨拶をして。
ヒト気の無い、
ホテル裏にある返却ボックスにキーと書類を入れようとした、ソノ時に......
その規定の返却用紙に走行距離や返却日時、GAS残量......
等を書き込むのをすっかり忘れていたことに気付きました。

「車を返すだけだからなぁ、、」

と、お金以外は何も持って来ていなかった僕はちょっとしたお困りモード。
べガスのストリップ沿いのホテルというのはドコも皆「巨大」で、
しかも返却ボックスのあるホテルの駐車場というのは
殆どが建物の裏の方にあって。
そこからホテルのフロントに行くだけでもとても歩かされます。
大抵が長い廊下を通り、ショップ、レストランエリアを通らされ、
だだっ広いカジノを抜けてやっと辿り着くような構造。

「通りすがりでもカジノでシッカリお金を使ってもらおうかねぇ......」

というような造り。。(´。` )
それでもしょうがないのでホテルのフロント方面に向かいつつ、
途中の通路沿いで、24h営業の、
ホテルの「小さな」コンビニ店が目に留まったので、
そこでペンが売ってないかどうか立ち寄って探してみました......が、
ありません。
最早歩くのがウザくなっていた僕は、念のため

「ペンなんておいてないですよねぇ、、!?」

と、アジア系の、
人柄の良さそうな若い女性店員さんに聞いてみました。

「無いです。。」

「そーですかぁ......分かりまちた。。」

と僕が残念そうに答えた時、
彼女はおもむろに僕に背を向けて、
レジ下に備え付けてあるお店の引き出しを開けだし。
ゴソゴソ.......と、その中を探リ出しました。
そして、一本のボールペンを見つけて、取り出し。
ハニカンダ様な笑顔と一緒に僕に差し出してくれました。

「(@゜o゜)にょにょにょ!?イイんですか?」

「差し上げます......」

僕はとても助かったし、とても嬉しかったので、
素直にソレを受け取り。
そして、なんとか「感謝の気持ち」を表したくて、
失礼の無い様な感じ......所作......でもって、
少しばかりのチップを渡そうとしたのですが......
彼女はそのハニカンダ様な、
申し訳無さそうな笑顔でナカナカ受け取ってくれません。
しばらくの間、

「ドゾドゾ、、」

「イエイエ、、」

というような押し引きを繰り返した後、もう一度

「とにかく僕の気持ちで、感謝の印というだけなんだけど......」

と話すと、
最後はなんだかとても嬉しそうな笑顔をして受け取ってくれました。
見ていた僕もなんだかとても嬉しくなるようなとても素敵な笑顔でした。

その後、
無事に車の返却を済ました僕は帰りにまたそのお店に寄って。
彼女はその時もまた可愛らしい笑顔と澄んだ瞳で迎えてくれて。
それで僕はミネラル・ウォーターを1本買って、

「君とお店の写真を撮りたいんだけど、、よいかなぁ、、?」

と聞いたのですが、彼女は、
彼女特有の少しハニカンダ、何処か?少しスマナソウな笑顔で

「YES」

と答えてくれました。



旅を宝物にしてくれるのは、
いつだってこんな素晴らしい人々に触れた記憶だったりします。
綺麗な風景やおいしい食事、お目当ての遊びや体験ごとも、
そこに素敵な人との触れ合いが加わったりすると、
そんな出来事達がさらに素晴らしい「宝」にまで
磨き上げられるような感じがします。
特に異国の地では、
異文化の中にいるという不安や心配などが心身に「潜在的」にある為か、
何かの助けを受けたような出来事というのは、
自分の国で過ごす日常ではあまり気にならない様なちょっとしたことでも、
とても有り難く、嬉しい気持ちになったりすることがあります。
そんなワケで、冒頭の写真......
一見、何の変哲も無いホテルのボールペンさんというのは、
僕にとってはこの旅で何物にも勝る最高のお土産......
いや......
「宝物」となっているモノなのです。(´ω`*)
きっと、ずーーと、大切に持っていると思います。



返却したレンタカーさんと一緒に走ったプチ・トリップも
とても楽しかったのです。
その旅を楽しくしてくれたのは、この二人の女性スタッフ。
H嬢とF嬢。
ため息が出るほど美しいセドナの自然の中で遊んでおります(^^)
後ろに見えるのは「カセドラル・ロック」
「大聖堂」と言われる岩山。

二人とも車の旅を「宝物」にしてくれたとても素敵な女性達です。
普段は仕事もバリバリとこなすスーパーな二人。
特にビッグアーティストを抱えるF嬢はこの時もトテモ忙しく、
LA(Los Angels=ロサンジェルス)から僕らと合流したのですが、
移動の車中でもずーーっと、端末でセカセカと仕事してました。
偉しっ!(><)/

二人にも心からの感謝をココに記しておきます(^_^)アリガトー☆

彼女達と走ったセドナグランド・キャニオンのお話はまた今度、
あらためて。。


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涙をこぼす理由

2013-05-01 00:01:36 | 感謝
「メッセージ欄が見つからなかったのでこちらに......」

と、先日、とある漫画家さんからメッセージを頂きました。
このブログは偶然見つけてくれたのだと思いますが、
いつもこのウダウダぷーな記事を見ていてくれるようで。
そのことだけでもなんだかとても有難く、
嬉しいメッセージでもありました。
特にこの記事......「ソーダ水の物語」......が好きだと、
おっしゃって下さいました。

なんだかとてもありがたいっす!(><)合掌。

これまでも珈琲好きの方やミュージシャン、
大学教授、知る人ぞ知る凄い霊能者!?(@.@)の方や、
小説を書きながらも学びきれなかった学校に改て通い直して学んでいる......
というような方々からも嬉しいメッセージを頂いたことがありましたが、
そんなメッセージをくれる方々が創っている作品や、
お勧めしてくれる本、漫画、映画、音楽......
などはいつも直ぐにチェックしてみたくなります。
先日のその漫画家さんは、
既に自分の作品を単行本で出版していらっしゃったので、
コレまでと同様にその本も直ぐに買って読ませて頂きました。
内容は「YOGA=ヨガ」にまつわる自らの体験を描かれたような作品で、
大筋では、多分、
ヨガの素晴らしさを伝える目的もあるような感じ......
でした......が......
僕は、ナンダカ、トコロドコロ......
読んでいて涙がコボレてしまいました。



「ヨガの話しなのに何で涙なんかでるの?んん?(・・*)!?!」

「そんな意図で書かれている漫画じゃないハズだけど......」

「いや、そんな部分もあるのかなぁ......」



......その本を読み終えた後、僕はそんな
「涙をコボシてしまっていた自分」
を少し不思議に思い、それが
「何故なのか?」
をしばらく考えていました。



それで、今日のコノ記事となるのです、が......



多分、僕は気だけ?は強い方の人間だと思っています。
自分では。
「悲しい」とか「痛い」とか「ショックぅぅーー!」
とかでは絶対に泣かないタイプ。
ソレは長年に渡る自分自身との付き合いの中でかなり確信的に感じ、
思っていることです。
大好きな祖母が旅立った時もトテモ悲しかったのに......
何故か僕はまったく泣けませんでした。
ひどい奴......と思われるのも承知で書き記しておきますが、
事実はそうでした。
その時、そんな自分に多少の驚きもありましたし、
「俺という人間は酷いヤツなのかもしれないな、、」
という自責的な気持ちもありました。
そして、多分、これからやって来る未来の中でも、
僕が大切に思う人々が僕より早くこの世界を去って行くようなことが
「もし」起ったとしても、
もしかしたら僕の様な酷い人間は泣かないのかもしれない......のか......



僕は......最低な人間なのかもしれません。



それなのに、
先日読ませてもらったその漫画ではなぜか?



僕は涙がコボレてしまいました。



僕が「涙をこぼしてしまう」時の理由や原因に関して、
僕自身の中でハッキリしている事がこれ迄で一つだけあって。
それは「悔しい」という思いや感情が
とても大きくなってしまったような時ということ。
「悔しい」気持ちがどうしようもなく強くなってしまった時に、
我慢出来なくなった涙が溢れ出てしまうようなことが時折あるのです。
そんな時は仕事やプライベート、大勢の人の前、独りの時......
結構、状況はお構い無しの感じだったりもして......
(((*´ε` *)ハズカシィ......
ただ、少なくともコノ理由があることだけは
自分でもちゃんと分かってはいました。
でも、今回読ませてもらった漫画で溢(こぼ)してしまった涙には、
この理由は当てはまりません。
「読む人に悔しい!とか思わせちゃおうか!?」
なんていう内容では無いし。
「悲しい」とか「辛い!」とか、
「胸が苦しい」とか「感動した!」とか、
そんなハリウッド大作的テーマをドン!
と据えたお話というわけでも無いですし。
映画でいえば僕の大好きな「ロードムービー」の様な物語ですし。
それでも、フト、読んでいて所々涙がコボレてしまうのです。

不思議。

そして以前から
「悔しい!」
と思う事以外に
「こんな感じの涙がある」
ということも自分自身で気付いてはいました。
だからその時の涙は
「今回が初めて......」
というわけでもありません。



だから考えました。。



うーーーーーーーむむむ......



で、新たに気付けたことがありました。
自分自身に関しての新しい発見。
それは、どうも僕は......
純粋さ」というものになにやらとても弱いようなのです。
はい。o( ̄ー ̄;)ゞ ウーム
「pure=ピュア」というものでしょうか。そんな感じのもの。
そんなものに僕はとても弱いようなのです。
その「純粋さ」というものに、
僕の中にある「何か?」がとても強く揺さぶられるようなのです。
白が極まったような、透明とでもいえるような、
綺麗な、美しくも儚い、とでもいえるような......
そんな「純粋さ」というようなモノに僕は滅法弱く。
そんな感じの「真っ直ぐさ」に触れてしまった時、
そんなものを強く感じ取ってしまった時に......
どーーも、僕は涙もろくなるようなのです。
恋愛や友情、夢や希望や優しさや、
人間性を鋭く描き出す様な映画、音楽、映像、物語......
そんな内容の話しは沢山ありますが、
「ソレだけ」ではやっぱり、僕は泣けるようなことは全然無く。
でもそこに「紛れもない純粋さ」や「偽りのない純粋さ」
みたいなモノが含まれていたり、隠れていたりなんかすると......
どーも......
ソコに涙腺が緩むようなのです。ハイー......^_^;
今迄触れて来た、
思わず涙をコボシてしまった様々なジャンルの作品達や
沢山のエンターテイメント。
その涙の原因や謎もコレでとてもスッキリと
解けたような気がしました。
「ワンピース」でも時折泣けてしまうことがありましたが、
その謎も解けた気がしまふ。



よわむち。。



先日読ませていただいたその漫画には、
流れているストーリーの所々にそんな「純粋さ」が入り込んでいて、
それはきっと主人公......作者の持っている「純粋さ」でもあり、
作者の「生きる」ということに対する「純粋さ」と「真剣さ」
「真っ直ぐさ」でもあって、そんなものが所々、
話しの端々から伝わってくるので......それで......
ヨガのストーリーとは関係ないような部分なんかで涙がホロリ......
と溢れてしまっていたようでした。

よわむち。。( ̄ω ̄;)

先日手にしたその作品から僕はそんなことを教えられました。

それは、僕が涙をこぼす理由。

どうやら僕は、

純粋さと悔しさでもって涙を溢してしまうようです。

それは多分、

僕はとても汚れていて、とても弱いからだと思います。

その漫画家の方にはとても感謝をしています。

ありがとうございます。

また一つ学ぶ事が出来ました。

また一人、大切な人が増えました。(^.^)



インド帰りのヨガ・インストラクターの知人Rさんも絶賛していた
2冊のヨガの本。
パタンジャリが編纂したと言われる

「インテグラルヨーガ/ヨーガ・スートラ」

「スートラ」とは「教典」の意味だそうです。
もう一冊は、
ヨガを知った時にナントナク僕が一番興味の湧いた人の本で、
気がついたらカートに入れていた本。
ヨガ・マスターのケン・ハラクマさんが著した

「ヨガから始まる」

ヨガはとにかくやってみるのが一番でしょうけど、
時にその奥深い哲学に触れるのもとても面白く、
大切なことなんだなぁ......
と僕に感じさせてくれた2冊です。
どちらもトテモ印象的な内容で、
その多くの言葉達も鮮明に覚えています。最初、

「マズは頭とケツを押さえるのが近道でっしゃろ d( ̄  ̄)ブイブイ」 

なんて、調子こいて。
基本とされるポーズの「太陽礼拝」と、
「王様」とか「女王様」とか言われる逆立ち系ポーズの両方を
ナメタ感じでやってみたら......見事!!
首の筋を痛めちまいまちた......(T_T)ぶぇぇ


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ちゃぽーーん

2012-12-26 00:05:36 | 感謝
ぷひー......
東京、原宿、表参道の「クリスマス人混み」はちとエグいっす......(^_^;)
そんなクリスマスの夜。
もし退屈している人などいましたら以前記したこんな映画を、
お家でポチッと観るなんてのもオツなものかもしれません。
でもって、さらにそんなクリスマスの夜。
イブの昨日には現在構想中の新企画に関して
「あーでもねーこーでもねー。。」
ってな話しを友人のMさんとメールや電話などでやり取りしていました。



「えーーっとですね......Mちゃん。Sかもしれないけど、Mちゃん。
この件ですね、
少し互いに並行して進めていくってのが一番良いのではねーべか。
多分......」



と僕はMさんに問いかけます。



「そーですねぇ。僕もそう思いますよ」



とMさん。



「ですよね!ヽ( ̄▽ ̄) じゃぁ、そーーんな感じでぇぇ!」



......ってな感じの業務的やり取りをひとしきりした後に、
話は四方山方向に移りました。



「......いやぁ......実わ......ですね、、」



と僕。



「俺ね、しょーじきに言いますけど......
コレ言うときっと “ひく” と思うんですけどね。
間違いなく、きっと......ええ......
Mちゃん、ひかないでね。ええ。

実は昔から、

いつだって自分の望みは、、

人として間違ってるかもしれませんけど、、

勿論、今迄も自分に幾度も幾度も問いかけて来てもいるのですけど、、

でもですね、

いつだってその答えは、

自分の心の底にある本音というか “望み” みたいなものは、

ですね......

“全て欲しい”

ってことなのです......

れ!?(・_・;)

ひいた!?

やっぱ?

少しかっこ良く表現すればですね、
“THE YELLOW MONKEY” の大好きなアルバム
“FOUR SEASONS” の一曲目にある
同じタイトルの曲みたいな感じなんですけど。
知ってます!?
個人的には“JAM”と共に彼らの名曲の一つと思ってる曲なんですけど。
吉井和哉。
昔、メディア担当などしていた時にはとても可愛がってもらっていたのですけど。
好きなんですよ。この人。
この人の歌、歌詞。本当に。大好き!

誤解なきように!

という事では、
Mちゃんの言う“バランス”と同義で話していることでもあるんですけど......
ここわひとつ!ひかずに!
そんな理解で。手打ちを!(><)ぽん!」



「全部欲しい」



あーぁ。言っちゃいましたよ。昨夜。
ちょっと自己嫌悪、ですが......( ̄- ̄;)ンー
でも小さい頃から、一人実家を出てから、社会人になってから、
正直、そんな気持ちで頑張って来たって事も僕的な真実ではあります。
それは自分自身を問いつめるに、
決して否定出来ない言葉でもあります。



「ひいたよなぁーーやっぱ。こんなこと言っちゃ......」



この言葉を投げてしまった後、
そんな気持ちのまま僕は少しMさんの返事を待っていました。
......すると、Mさんからメールでこんな返事が返って来ました。



「“全て欲しい”......じゃないですよ、UZMETさん。
自分の場合は全ては既に手に入った!......と、いつも確信しております。
なので、あとは使い方に智恵を使っております(笑)
たくさん夢をみて、たくさん楽しみましょう、お互いに生きている間に。
それではよいクリスマスをお過ごし下さいね~♪」



ふぇ!?......( ̄。 ̄;)



ふうぅぅーーーーーーーーーーん。。。



「自分の場合は全ては既に手に入ったと、いつも確信しております。。」



ふうぅぅーーーーーーーーーーん。。。( ̄~ ̄;)



や、やるやんな。。若いのにな。。



お過ごしくださいね~♪......やって。。



かるーーーくシメちゃったりして。。



い、言うやんな。。



Mちゃんいつも「さりげなくドギツイコト」言うやんな。。



で、でも、そうか、も、な......



Mちゃん、やっぱSやんな。



......えーーーと、
お風呂入って、
ち、ちょっと自分をみつめなおそーーっと......



......ちゃぽーーん。。



写真はつい最近近所にオープンしたムーミンカフェのメニュー。
近所では
「ちゃぽーーん。。。」
と、徐々に波紋が広がっています。
ミイちゃんのラテをたのんだったわ!(* ̄ー ̄*)ふふん!!


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誇らしい得点

2012-12-08 01:26:47 | 感謝
プロサッカー選手の中山雅史さん、
通称「ゴン中山」さんが先日引退を発表しました。



2014年にブラジルで開かれる次回のサッカーワールドカップ。
サッカー界最大のイベントですが、
今回の参加国数は203ヶ国だそうです。
オリンピック北京大会の参加国が204ヶ国でしたから、
それが「たった一つの種目」でこの規模というのは、
サッカーというスポーツが
この星で如何に特別なスポーツであるのか......
ということが伺い知れると思います。

世界各国におけるメディアでの露出規模や総視聴率などは、
既にオリンピックを凌ぐ規模になっているのは周知の事実ですし、
予選から本戦も含めた大会期間中に動く広告費などの
経済効果に関しても、
事実上世界一の金額になる「地球一」の!?
スポーツ大会となっているのではないでしょうか。

このバケモノ的な大会の本大会に出場出来るチーム=国は、
わずか32。
開催国に自動的に与えられる出場権を含めて考えると、
先に記した参加国数と出場枠数それぞれから1つづつ減ることになり、
本大会出場枠の獲得確率は......31/202。
単純に計算しても6~7倍近い倍率でしょうか。
本大会に出るという事だけでもどれくらい難しい事なのか......
感じられるかと思います。

現在ほどの規模ではないですが、
第一回大会が開かれたのが1930年のウルグアイ大会。
それから4年毎に開催されつつ、
世界大戦中には幾度か中止されてもいますが、
我らが日本がやっと!
初めて!
出場出来たのが!
1998年のフランス大会。
本大会に出場出来るまでなんと68年も!
半世紀以上も!
......かかった事になります。
サッカーファンからするとそれだけ憧れの大会でもあり、
初めて出場した時は、
ただそれだけでファンの誰もが涙したのでは......
と思います。



その偉大なるワールドカップ本大会で、
記念すべき日本人初得点!
を記録したのが中山雅史選手。



その初得点シーンは決して美しく、鮮やか......
という形ではなかったのですが、
倒れ込むようにして、
太ももでガムシャラにボールをゴールに押し込んでいました。
実はその時に、右腓骨を骨折してしまっていて。
それでも彼はそのまま試合終了までプレーを続けていました。
骨折が分かったのは試合後の事。
中山さんのプレーの根幹にあるのは、
先日の引退発表時に自分でも何度も何度も言っていましたが
「下手だからもっとサッカーがうまくなりたい」
ということと
「サッカーを心底愛している」
という2つの事。それは思うに
「サッカー少年そのままの純粋な姿」
なんだと思います。



日本サッカーのプロ化である、
現在のJリーグ組織が出来たのは1993年。
中山さんも二十歳を超えていた頃。
ですから、中山さんの世代でサッカーをやるという事は
日本では未だプロというものが無かった時代。
会社内クラブ、実業団の時代。
今の様な形でお金が稼げる、夢が持てる......
といったシステムなどまったく無かった時代。

ボクも中山さんとほぼ同じ世代でサッカーをやっていた人間なのですが、
この世代で「普通に」サッカーをやっていた人間は、
僕の様なダメダメプー人間でも
「このスポーツを続ける意味なんてあるのか?」
なんてことをある時期に考えてしまっていたし、
だから逆に、この世代でサッカーを
「プロになるまで続けていた人」
というのは、
掛け値無く、
言葉の額面通り、
心底純粋にサッカーを愛していた人達なのだと思えてしまうのです。
サッカーを好きで好きでたまらなかった人達だと思えてしまうのです。

この世代と、それ以前の全ての日本人プロプレーヤーは、
プロのある海外に活躍の場を求めて行った選手も含め......
奥寺さんやカズさんもそうですが......
僕にとっては日本サッカーの開拓者であって、
「サッカー偉人」
の様に思えています。
そのサッカーに寄せる愛の深さや純粋さというのは、
Jリーグ発足以降の選手達と比べて少し次元が違う様に思えます。
本当に尊敬してしまいます。
それ以外の部分......
今の世代のテクニックやフィジカル、全体レベルの高さ......は、
この頃とは次元が違うとも思いますが。



「キング」カズさん......
インタビューで泣いてました。。寂しいって。。
そんな映像を見ていたらボクも泣けてきたりして......(T.T)ぶぇ



自分自身でも言ってましたが、
中山選手は確かに、プロの中では......下手かもしれません。
ソレはサッカーを「少し」カジッタ人なら誰でも分かると思います。
でも、
それ以上の素晴らしいものを沢山持っていた人だということも
誰しもが分かっています。
僕にとってトテモ大事に思えている事は、
偉大なるワールドカップ本大会において、
歴史に残る日本人初得点は
「そんな人によってもたらされたんだ!」
という事実。
よくよく調べてみたら、
他の国も実はそんなタイプの人が決めていた!?
なんてこともあるかもしれませんが......決して華麗なプレーが出来る
上手い選手が刻んだ歴史ではなかったという事実が
僕にはとても大事な事実の様に思えてなりません。
神様のメッセージの様に思えてなりません。



中山さんでよかったな。。と。

中山さんだったからなんだ。。と。

とても誇らしい日本人初得点だったな。。と、

そう思っています。

これからもずーーとそう思っていくと思います。



中山さん
本当にお疲れさまでした。
ありがとうございました。
あなたは日本サッカーファンの誇りです。
これから先も、ずっと。



今も本棚に残る懐かしのフランス大会公式パンフレット。
これはイタリアの紹介ページ。
左下に貼付いてるメモ書きは仲のいい人達と
「準優勝国はどこ?」
という、毎度お決まりの賭け!?をしていた名残。
あくまで「準」です。
優勝国になると面白みが無いので。
この大会ではドイツとイタリアが一番人気でした。
初出場の日本は......



一人賭けていたヤツが!!w(*゜o゜*)wオオー!
全て時効!!よろひく!


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火消しのG野

2012-09-22 00:56:47 | 感謝
大阪、阪急梅田駅のほど近く。
少し古びた雑居ビルの高層階......恐らく5、6階でしょうか......
そこにあるアーリーアメリカン調にデザインされた少し広めのバー。
20代の若い人達を中心に人気があって、
カウンターもテーブルも今日も多くの人で賑わっています。
ガヤガヤ......ワイワイ......ガヤガヤ......

そこに、不意に、

カウンター奥のキッチン方面から大きな火の手が上がります!

ボワワワーーっ!!!メラメラメラーー!



「きゃーー!か、火事ぃーーーっ!!」
「に、逃げろーーー!!火事だーーーーーっ!!」
「わんんんきゅあの#$%%$$%&*+!!?!!」



誰が発したかわからないその声をキッカケに、
お店はちょっとしたパニック状態。
火の手はますます強まり、煙もモクモク......と、
ドンドンと!広がり、
店内を覆い尽くそうと迫ってきます。



「エレベーター!」
「非常口!!」
「階段はこっちだー!!」



怒声が飛び交い、
沢山の人たちが店内からビルの外へと逃げ、惑います。
そんな中、
店内で飲んでいた一人の男性客からこんな声が発せられ、
フロアーに響き渡りました。



「おおーーっ!!ここは任せろーーっ!!
火消しのG野の出番やーーーーっ!!
おりゃーーっ!
みんな出口はこっちやー!
身を屈めて出ていけーー!早く!
ココは任せろーーーーーーーーーーーーーーーー!!」



......それがG野さん。



この時は
「駆け付けた消防士さんにもG野さんが指示を出していた姿を見た、、」
という人もいました。
おそらくコレも間違いのない話でしょう。
この時から数か月。
ついたあだ名が......



「火消しのG野」



G野さんの体はとても大きく。
常にレスラーのように鍛えられています。
昔は大阪、ミナミの繁華街で上下真っ白のスーツを着込み、
アブナイディスコの「セキュリティ」もしていたようなツワモノ。



阪神大震災の時、被災地西宮にあったG野さんの自宅は半壊。
G野さんは身内の安全を確認すると、その後、
近所の家々の瓦礫を掻き分け、掻き分け、
どかして、どかして......多くの人を助けていました。
水もパンも大阪から毎日のように運んで
近所の人達に分け与えていました。



少し落ち着いた頃、同様に被災して、
それぞれ苦労していた僕達が集まって色々な話をしていた時に、
G野さんは一言、僕にこう言いました。



「あんな、UZMET。男は体鍛えとかなあかんで。
いざという時役に立たん」



G野さんはいわゆる「イベンター」という業種で、興業屋さん。
コワーイ修羅場の数々もタフにくぐり抜けて来た男。
歴史ある大きな会社に勤めていて、
今はACPC(全国コンサートプロモーターズ協会)の
理事も務める偉い方。

新入社員で社会人一年目。
突然の大阪赴任を言い渡されて、仕事も土地も、
まさに右も左もわからなかった僕に、働く会社は全く違えど、
僕の担当するアーティストやライブ、イベントなどを通して
会社の壁を越え、
色々なことを取り払った中で教えてくれた大先輩。
いつも怒鳴られ、蹴飛ばされながらも、
もう二十年のお付き合いをさせてもらっている恩人です。
互いに業界も変わらず、二人とも東京で働くようになった今でも、
その関係は変わらずに続いています。



今日、そのG野さんに食事に誘われました。
なかなか互いのスケジュールが合わなくて、
本当に久しぶりにお会いしたのですが、
相変わらずのとても厳しい教え!?
こんな所ではとても書けないような話!?
などで盛り上がりました。
そして......



「UZMETさ、
ちょっと最近お前に勧めたいことがあんねん。マジで。」

「? なんすか? それ!?」

「あのな、俺も50超えたやろ。
子供も二人、もう大学も行かせて自立させたし......」

「。。。」

「でな、新しく始めたことあんねん。
今すっげーはまっててな。
それとにかくオモロイねん。それ。
それ勧めたいんやけど......おまえも一緒にやらへんか?」

「???なんですか?それ?」

「ボクシング」

「うぇぇぇぇーーーっ!?
ご、50超えてやることっすかーーっ!?」

「アホ言われるから誰にも言わず、
ズーッとだまってたんや!あほ!」

「うぇぇぇぇーーー!?
アホやーーー!!アホすぎるーー!」



まぁ、これ以上は長くなるのでココでは記しませんが。
とにかく
「ボクシングや!!」
と、そうのたまわっておりました。
50にして右のコブシをいくつか潰していて。
何やら左肩の靭帯も痛めていました......アホや!(><)

実はボクシングは昔少しかじっていて、こんなことがあって......
などと、僕は話しつつ、
そのありがたいお誘いは「一旦保留」させてもらいましたが、
たぶん、G野さんの真意はそんなところにはまったく無くて......
言いたかったことはきっとこういうことです。



「おまえ最近元気か!?大丈夫か?
お前はいつも何かを真剣にやってなあかん人間や。
つーか、人はみんなそうや。
生きている限りそうや。
どんだけ年取ろうが何かやれるうちは何かやらなあかん。
そこ大丈夫か?
わかってるか?ん?
ちゃんと頑張ってやっていることあるやろな?ん?
大丈夫か?」



わかってますよ。G野さん。
僕はあなたに仕事のイロハを教わったのですから。
わかってます。



G野さんは明日も伊豆、
下田で某大物アーティストのライブイベントがあるらしく。
準備のため、出張荷物を持ってそのまま下田に出かけていきました。
きっと忙しい中、時間を作って食事に誘ってくれたのだと思います。
別れ際、それぞれ反対方面に向かう地下鉄のホームで握手を交わし、
僕はこう言いました。



「色々頑張ってますから、、大丈夫っす!
今日はありがとうございました!」



大きな男、G野さんはニコッと笑って、
片手を上げながら反対ホームに消えていきました。



G野さんと見る仕事の風景は大体いつもこんな感じ。。


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ESTEBAN

2012-09-20 00:01:13 | 感謝
ふと気付くと、
このブログを記し始めてちょうど二ヶ月が経ちました。
色々と思うことがあって書き始めたものなのですが、
なんとなく続いているのが嬉しくもあり、
恥ずかしくもあり、
少しの驚きもあります。
記している事が良いことなのか、悪いことなのか......
たまにそんな事も思ったり。

今日はなんとなく、
記して来たことを見直したい気分になって。
過去記事をボヤッと眺めたりしていたのですが、
やはり少しダメダメぷーなところもあって。
自己満足の限りで微修正しました。
みな言葉尻程度ですが。

ただ、
この前記した「散逸構造論」は物理の話しという小難しさもあって。
書きながらかなり「手探り」だった所も多く。
以前にも修正した記事が一つだけありましたが、
コイツは話数を4回に分ける手入れをしました。
写真も「2話」の回にちょこっと足して......コレ......ですが、
結果、見ていてやっと少し心地良くなった様に思います。
自己満足♪(´ε` )

せっかく見てくれた大切な人に少しでも見やすく、
分かりやすくなっていてくれればいいな......と思ってます。
やはり、どこまでいっても、
何するにせよ「コレデイイ」なんてことはないようで......



そんな見直しみたいな、
ちょっとリラックスした作業をしている時に、
僕のお部屋ではコイツのトテモ良い香りが......漂っています。
「ESTEBAN=エステバン」のお香。
今迄、幾度となく大切な人達にプレゼントもしてきた
「大のお気に入り」ってヤツです。

お香なのにフランス製なのですが、
普通のお香とかなり違うのが、まずその香りの広がり方。
よく売られているお香などよりは格段に強くて広いです。
そして、そのお部屋いっぱいに広がる香りも、
上品な香水メーカーが手がけているので、
お香と言いながらも全くお香らしくなく。
それは「綺麗」という表現の方が似合う香水のようで。
何だかとても癒されます。
言ってみればお香と香水のハイブリッド。
東洋と西洋の感性のハイブリッド。
本当に落ち着きます。

気に入って色々な香りを試したのですが、今は
「MORNIG ROSE」
「NOTE MARINE」
「LAVENDER FLOWER」
「PIVOINE IMPERIALE」......
といったところに落ちついてます。

いつもはお部屋でリラックスしたい時や、
寝る前に一本焚いてたりするのですが、
二ヶ月間の記事をツラツラと見直す際にも、
いつもの如くとても心地良くサポートしてくれました。( ^ ^ )感謝!

何だか、とてーーも魅力的なオネェさんがお家にやって来て、
その残り香をぷわわわ~ん……と、
残して帰っていってくれるようなイメージです。。。



れ!?



ソレって落ちつかねぇな。。。


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理不尽の海

2012-09-07 00:01:23 | 感謝
「本当に、どうしてこんなに理不尽なんでしょう......」



最近、こんな相談や愚痴を色んなスタッフからかなり沢山聞いています。
気持ちは......僕なりに、本当に良くわかります......はい......
僕も同じように、
人並みにそんな気持ちや思いを味わって来たつもりではあるのですが、
その「理不尽さ」ということについては、
僕はだいたい以下のように考えていて。
時折人に答えたり、話したりすることがあります。
勿論それは、ごく個人的な、
小さな人生の歩みの中で感じて来た話というぐらいのものなのですが.......



例えば、野山や公園の草むらで一歩足を踏み出します。
その自分の足の下ではいったい何匹の小さな虫達が踏まれ、
理不尽にも命を落としてるのでしょうか。

例えばハンバーガーを食べます。
それはとても美味しくて、少しばかり幸せな一時が流れます。
ただ、そこには何の理不尽さも無いのでしょうか。
ハンバーガーは最初からハンバーガーではありません。
見方を変えれば、
それは「命そのもの」と言えるのかもしれません。

昔......今もそんな家は沢山あると思いますが......
鶏を飼っていた様な家ではよく見受けられであろう、
トリを「シメル」という行為。
それをどのくらいの人が「実際に」やったり、
見たりしたことがあるのでしょうか。
命が命の為に命を奪う瞬間。

「命」という視点に立った時、
そういった自分以外の命や生命、地球、宇宙、良心、良神......
神、に対して起こしている自らの理不尽さを、
人は自分の生活や精神が安定や安心をしている時には
忘れてしまいがちです。
自分が途方もない理不尽さにでも当たらない限り、
理不尽にも失われた命達が自らの命を育んでくれているというような
「極基本的な事実」すらも忘れてしまいがちです。



ここで考えます。
もし宇宙の真理や神の摂理......「力」の一つが
「バランスを取ること」だとしたら、
理不尽さそのものに活かされている僕らが、
時に理不尽な問題に巻き込まれてしまうということも
避けれないことなのかもしれません。



命は命によってもたらされます。
故に、命は命によって育まれるのかもしれません。



今食しているものは命ではないと言えるのでしょうか。
植物は、野菜は、果物は命ではないと言えるのでしょうか。
育むために削られる、与えられる命は、
決して理不尽なことではないんだと、
果たして、そんなふうに言い切れるのでしょうか。



もう一度。
命という視点に立った時。
理不尽なことが起こるその理由は、多分......



生きているから。



理不尽なことを無くすには、きっと無生物......
空気や水だけで生きていけるような人にならなければ
出来ないことなのかもしれません。
それには仙人のように山奥に駆け込んで、
悟りを開く様な生活をするしかないのかもしれません。
それでも、どんな山奥でも、
一歩踏み出した足下には生き物は沢山いるはずです。
野菜ぐらいは食べるかもしれません。
野菜は生き物では無いのでしょうか?



どうも......無理っぽいです。



もし僕達が神のように潔白に生きていければ、
生きることが出来れば、
理不尽な事も起きないような気もします。が、
それはこの地球に「命」を持って生きている限り
無理な話なのかもしれません。
生きている限り、必ず、
何かに対し理不尽なことを「知らないうちに」しているような気がします。



だから、
理不尽さを避けるという事は「生きている限り」無理なのかもしれません。



理不尽さこそが生きるということ。
理不尽さこそが、
命を与え、与えられ、持って、持たれて、
生きているという証。



そう、だから、
古より賢人達は常にこう教えるしか無かったのだと思います。



「全てに感謝」



失われた命にも感謝。
理不尽な事にも感謝。
理不尽の海の中で溺れそうになって頑張っている自分自身にも感謝。

自分も理不尽によって生かされているのだから、
その理不尽のお返しも等しく受け入れなければいけない。
それは宿命。
それ「が」宿命。
命とは時に理不尽さと同じ意味を持つのかもしれません。

恐ろしい理不尽さに対峙したとき、自分に出来る事は、
その理不尽さを受け入れて、それでも自分の芯や心は失わず、
いつか、どれだけの時間がかかっても良いから、
その理不尽さを消化し、昇華し、
生き抜くエネルギーに変えて行くこと。

「バランスをとる宇宙の摂理」
は、きっと、そんな頑張りもいつの日か反映させてくれると思います。
その出来事には時間差があるので、
僕らは「関連付けて」気付けないだけであって。
きっと僕達は今までもそうやって生きて来たし、
来れたのかもしれません。
理不尽に良い事。
それは「幸運」と呼ばれるものかもしれませんが、
そんなことにもきっと原因があるはずです。



いただきます



こんな言葉がある国に生まれ、
暮らせていることに時々僕は幸運を感じ、
誇らしく思えることがあります。



いっただっきま~~~す!ヾ(●´▽`●)ノ

最近よく行く東京、下北沢の絶品お好み焼き屋さん「なんばん亭」
四角く包んで焼かれるお好み焼きは斬新で、なにやらガレット的。
関西風でもあり広島風でもあり.....
まさにハイブリッド東京!って感じ。
とにかく美味いのだ!(><)ぶひーっ!


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蝶々の飛ぶ一日

2012-08-15 02:08:43 | 感謝
社会人一年目。22才ぐらいの時。
実家の近所にあるとても古くなっていた先祖代々のお墓を、
おばあちゃんが自分のお金で建て替えていました。
僕の父......自分の息子......に迷惑をかけない様に、と、

「生前から準備をするんだ。。」

などと言いながら新しくしていました。
おじいちゃんは戦争で亡くなっていたので、
我が家ではそんなお祖母ちゃんが中心になって
ずっと大切に先祖代々のお墓を護って来ていました。
僕はその時、

「俺は長男だしさ、
仕事含めてコレからこの家に戻るかどうかは分からないけど、、
何があっても、何をしていて、どこに住んでいても、
このお墓だけはちゃんと守るよ。
それだけは安心してくれよ。。」

と、おばあちゃんと両親や弟にも約束しました。



そのおばあちゃんは今はもういません。



僕は18才から実家を出て暮らしていたのですが、
それから遊びやら仕事やら!?で忙しく......
なんていう言いわけのもとに、
正月すら帰らない、
帰れない様な年が十年単位で続いていました。
そんな中でも「お盆」の期間だけはどこか一日だけでも

「絶対に帰る!」

と決めていたのにはそんな理由があります。
実際、皆と約束をして以来、
それはずっと続けてきていて、
今年もなんとか果たすことが出来ました。
それは、自分の中にそういう約束と
責任感みたいなものがあるからなのでしょうか。
両親の心配もあるので、お彼岸なども

「出来れば、帰れれば良いな......」

とは思っているのですが、
なかなか毎回とはいかず。
なのでお盆だけはたとえ半日だけでも、
何としても帰る様にしています。



そんな家族が大切に護って来たお墓にお参りをすると、
いつも遠い世界に旅立った大切な人、
縁のあった多くの人達のことを思い出します。
それは家族以外のお世話になった人達のことも、全て......
全ては過ぎ去った遠い時間のことですが、
そこに現れる人達や風景、匂い、音、言葉......は、
今そこにある時間のようにも感じられて。
いつも、どんなことでも、
なぜか大らかな気持ちで受け止められるような感じもします。
やっぱり人並みに思い出したく無いような嫌なこともありますが、
そんな出来事には、
きっと起こるべき必然性や何かしらの意味があったのだろうと、
何か学ぶべきことがソコにあったことなのだろうと、
なるべく逃げない様に、強くある様に......
いつもそんなふうに考える努力をしています。



過去を否定することは未来の否定にもなるのかもしれません。



なぜならば、



未来はいつも過去の上に存在しているのですから。



だから、
どんなことでも頑張って見つめてみるようにしています。
未来の為にも、
自分や家族の為にも、
命をつないで来てくれた縁ある方々にも、
精一杯の感謝と誠意を込めて、
これからも家族との約束を果たしていきたいと思っています。



今年も両親の背中がまるまって、
少し小さくなったような気がしました。



お墓参りの墓前ではいつも色々と考えてしまいます。
バケツに水をたっぷり入れて、
ぞうきんをしぼって、
隅から隅まで綺麗に洗い、拭いて、お花を立てて、
線香をおいて。
全て終えるとちょっと清々しい気持ちになります。
なのでうちのお墓は自慢出来るくらいいつもピカピカです。



未来はいつも過去の上に存在しています。



掃除をしていると、よく、
不思議ですがいつも蝶々が飛んできます。
今年も見かけました。



いつも掃除を手伝ってくれる実家のワンコ♀。
内気な娘です(^_^)


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