このブログのアル記事にコメントをもらいました。
小説も書いている様な方で、
返事も書かせてもらいましたが、
それは、書きながら自分でも何だか色々と思う事があって......
「......私はレールに乗った人生を生きたくなくて、
生きられなくて、
登校拒否、引きこもり、自傷、、、
とどんどん自分の中にとじこもって生きてきました。
......大嫌いだった学校に、今、何とか通っています。
......ずいぶんと遅れた女子高生です」
「......ずいぶんと遅れた女子高生です」
多分......そんなことは無いと思います。
同じ色でも人それぞれで見えている色は必ず違っているように、
「時間」というものも、
全ての人やモノ......で流れているスピードが違うように思います。
過ごしている「時間そのもの」もきっと皆違うのだと思います。
科学的にもアインシュタインはそれを相対性理論で証明しました。
「朧げな線」という記事の中でも記しましたが、
人それぞれの個性や環境の中で、それぞれに流れる時間があって。
だから自分だけのペースで
「必要な時間を必要なだけかけて歩んでいければ」
それが何より貴く、素敵なことだと僕は思っています。
人の心の動きを鋭敏に感じとれるような感受性は、
それはきっと、とても鋭い両刃の剣であって。
自分自身を傷つけてしまう様なこともとても多くあると思います。
そんな感受性というのは、多くの場合、
自分でも持て余してしまうような能力や感覚なのだとも思います。
それは、使い方を見出すことが出来れば
一つの才能ともなるべき素晴らしいものだとも思いますが、
そんなふうに使う為の「距離感」を自らの中に見出す事が、また、
とても難しい事だとも思います。
「心」というものはとても傷付きやすくて、柔らかくて......
それはタマゴに例えるとちょうど「白身」の様なものに思えます。
回りの硬い「殻」は厳しい社会や人間関係などから
その柔らかい中身を守る思考や知識、
理性のようなものということになるのでしょうか。
そして「黄身」があるワケですが......
それがもしかしたら「魂」の様なものではないかと、
そんなふうに僕は感じたりしてます。
ちょうど地球の構造というのも、
そんなタマゴみたいな感じで出来ているのでしょうか。
「コア」と呼ばれる中心部が黄身であり魂。
その周りをドロドロと柔らかく対流している
熱いマグマやマントル部分が白身であり心。
その対流層の上に乗って少しずつ動いている硬い地殻やプレートが
僕らの立っている大地であって、卵で言えば硬い殻。
ソレは僕らの頭であって、脳であって、思考、知識、理性。。
きっと、白身や「マントル=ココロ」は
「黄身=魂」を守る為にぐにゅぐにゅ......と柔らかくあって。
何時も凹んだり、盛り上がったり、傷ついたりなんかしていて。
でも、その柔らかさは硬い殻と共に
大切な魂を守る為の形でもあって......
だから、きっと魂は、
そんな殻や「白身=心」達のおかげで絶対に傷つかないのだと、
最近はそんなふうに思うようになりました。
柔らかな「心」で世界と真っ当に対応していると、
イチイチ傷ついたり、凹んだり。
嬉しかったり、悲しかったり、怒ったり、楽しかったり。
時々とても疲れます。
疲れ果てます。
それでも心は大切だと本能でもわかるから、
それも失いたくはないし。
じゃあ、手前の殻......「頭」で生きるより、
心よりもう一つ奥にあるもので生きることが出来ないのだろうか?と。
そんなふうに考えるようになりました。
今、
僕はこう思っています。
「心より魂で生きたい」
と。
それがどういう事なのか?
そんなアドバイスをくれる貴重な友人もいてくれて。
それでも毎日毎日、本当に試行錯誤と自己嫌悪の繰り返しです。
もしいつか、確信を持ってそれが出来るようになったら、
きっと心で生きるより「強く」生きれるのではないかと、
そんなふうに思っています。
魂は絶対に傷つきません。
僕は今、
そんなふうに思っています。

大好きな山下達郎さんのベストアルバム。
きっと魂で生きている人。
今日の記事は九州に住む大好きな友、
恩人でもあるMさんにも捧げたく思います。
小説も書いている様な方で、
返事も書かせてもらいましたが、
それは、書きながら自分でも何だか色々と思う事があって......
「......私はレールに乗った人生を生きたくなくて、
生きられなくて、
登校拒否、引きこもり、自傷、、、
とどんどん自分の中にとじこもって生きてきました。
......大嫌いだった学校に、今、何とか通っています。
......ずいぶんと遅れた女子高生です」
「......ずいぶんと遅れた女子高生です」
多分......そんなことは無いと思います。
同じ色でも人それぞれで見えている色は必ず違っているように、
「時間」というものも、
全ての人やモノ......で流れているスピードが違うように思います。
過ごしている「時間そのもの」もきっと皆違うのだと思います。
科学的にもアインシュタインはそれを相対性理論で証明しました。
「朧げな線」という記事の中でも記しましたが、
人それぞれの個性や環境の中で、それぞれに流れる時間があって。
だから自分だけのペースで
「必要な時間を必要なだけかけて歩んでいければ」
それが何より貴く、素敵なことだと僕は思っています。
人の心の動きを鋭敏に感じとれるような感受性は、
それはきっと、とても鋭い両刃の剣であって。
自分自身を傷つけてしまう様なこともとても多くあると思います。
そんな感受性というのは、多くの場合、
自分でも持て余してしまうような能力や感覚なのだとも思います。
それは、使い方を見出すことが出来れば
一つの才能ともなるべき素晴らしいものだとも思いますが、
そんなふうに使う為の「距離感」を自らの中に見出す事が、また、
とても難しい事だとも思います。
「心」というものはとても傷付きやすくて、柔らかくて......
それはタマゴに例えるとちょうど「白身」の様なものに思えます。
回りの硬い「殻」は厳しい社会や人間関係などから
その柔らかい中身を守る思考や知識、
理性のようなものということになるのでしょうか。
そして「黄身」があるワケですが......
それがもしかしたら「魂」の様なものではないかと、
そんなふうに僕は感じたりしてます。
ちょうど地球の構造というのも、
そんなタマゴみたいな感じで出来ているのでしょうか。
「コア」と呼ばれる中心部が黄身であり魂。
その周りをドロドロと柔らかく対流している
熱いマグマやマントル部分が白身であり心。
その対流層の上に乗って少しずつ動いている硬い地殻やプレートが
僕らの立っている大地であって、卵で言えば硬い殻。
ソレは僕らの頭であって、脳であって、思考、知識、理性。。
きっと、白身や「マントル=ココロ」は
「黄身=魂」を守る為にぐにゅぐにゅ......と柔らかくあって。
何時も凹んだり、盛り上がったり、傷ついたりなんかしていて。
でも、その柔らかさは硬い殻と共に
大切な魂を守る為の形でもあって......
だから、きっと魂は、
そんな殻や「白身=心」達のおかげで絶対に傷つかないのだと、
最近はそんなふうに思うようになりました。
柔らかな「心」で世界と真っ当に対応していると、
イチイチ傷ついたり、凹んだり。
嬉しかったり、悲しかったり、怒ったり、楽しかったり。
時々とても疲れます。
疲れ果てます。
それでも心は大切だと本能でもわかるから、
それも失いたくはないし。
じゃあ、手前の殻......「頭」で生きるより、
心よりもう一つ奥にあるもので生きることが出来ないのだろうか?と。
そんなふうに考えるようになりました。
今、
僕はこう思っています。
「心より魂で生きたい」
と。
それがどういう事なのか?
そんなアドバイスをくれる貴重な友人もいてくれて。
それでも毎日毎日、本当に試行錯誤と自己嫌悪の繰り返しです。
もしいつか、確信を持ってそれが出来るようになったら、
きっと心で生きるより「強く」生きれるのではないかと、
そんなふうに思っています。
魂は絶対に傷つきません。
僕は今、
そんなふうに思っています。

大好きな山下達郎さんのベストアルバム。
きっと魂で生きている人。
今日の記事は九州に住む大好きな友、
恩人でもあるMさんにも捧げたく思います。