「おくりびと」
「陰陽師」
などを手がけて来たアカデミー賞監督、
滝田洋二郎さんの最新作「天地明察」。
その冒頭はこんなナレーションで始まりました......
———————江戸前期、鎖国の世。
コペルニクスの地動説や地球が丸いことさえ
ほとんど知られていなかった。
星空が今よりさらに神秘に満ちていたそんな時代。
天体の謎に挑んだ男がいた————————
僕は映画館では見れなかったので、
最近、DVDでユッタリと見てみたのですが、
それは思いもよらず心地良い作品で。
特段、派手なシーンやストーリーがあるわけでは無いのですが、
見ていて不思議と涙が溢れてしまうような場面が沢山あって。
僕にとっては、ですが、意外にも、
熱い何かが深く溶け込んでいるような、そんな作品でした。
そして、
「そんなふうに感じさせられた一番の要因は何だったのだろう?」
......と少し考えてみると。
それは、常に大志と愛を失わず、
情熱と思い遣りをもって人生を歩んでいる
多くの登場人物達の姿に起因しているようでした。
主人公「安井算哲(やすいさんてつ)」が幕命で参加した
「北極出地(ほっきょくしゅっち)」
という日本の測量旅プロジェクトにおいて、
プロジェクトリーダーである「建部伝内(たけべでんない)」は
幕府の御用頭取を務めていました。
建部は分からないことや、知らなかったこと、
間違った計算をしたりするようなことがあると、いつも
「悔しい、悔しい、、」
と口癖の様に言い続けていました。
純粋で子供の様な個性を持った賢者として描かれていましたが、
学問に励む一方で、捨て子すらも預かり、
立派に育て上げているような大人でもありました。
そんな建部が主人公の算哲に常に話し、託していた言葉は
「精進せよ。精進せよ」
でした。
当時の会津藩主であり、
「将軍後見」という、今でいう内閣官房長官!?
のような要職に就いていた「保科正之(ほしなまさゆき)」は、
「食」を始めとした天体現象とのズレが目立って来ていた
当時の暦の再編を志し。
その思いと責務とを算哲に言い渡す際にこう話していました。
「余には積年の宿願がある。
時を司るという事は即ち国が治まるということだ。
武士の世に成ってそれを果たしえた者はない。
幕府も民も未だ誤れる時に従っている。
正しき暦は即ち権威でもある。
算哲!
古き暦を捨て、この国に正しき天理をもたらしてくれ......
......御主に改暦の義を命ずる。
安井算哲よ!
天を相手に真剣勝負をみせてもらう」
算哲に学問の基礎を教え、
その場に同席もしていた偉大な教師
「山崎安西=やまざきあんざい」も、
保科正之の言葉にこう付け加えました。
「暦は宗教、政(まつりごと)、
経済にまで大きな影響を及ぼすもの。
たかが暦、されど暦でございます」
こうして主人公の算哲は、
多くの「大志を持った大人達」に囲まれ、支えられながら、
人生の全てを賭けた暦の改訂に乗り出していきます。
算哲を始めとした、
そんな賢人達が変えようとしたその時の暦は、しかし、
平安の昔から800年以上に渡り使われ続けて来たものであって。
民衆の暮らしにも深く溶け込んでいた「空気」とも言えるような暦。
その変革は固定概念や常識といったような
強固磐石なるモノへの挑戦でもあり、
そんなモノを造り上げて来た為政者や、
権力そのものへの挑戦でもありました。
当時、暦を変えるということはソレくらい大きな事であり、
天の理を地上に写すというような仕業。
それは神の代弁者として事を記すような仕事。
算哲を始め、そんな変革を進めていこうとする登場人物達の姿は、
皆、子供の心を宿したまま大きくなった大人ばかり。
そして、そんな人達の姿は僕の心をとても強く打ちました。
「子供心」というのは、
きっと「純粋」さと「遊び心」であって。
そして、そこから生まれ出る「夢」のことでもあり、
「志(こころざし)」のことでもあって。
「そんな子供みたいな事ばかり言って、、、」
「お前はいつまでたっても子供じみてるな、、、」
......などと言われる時、そこには、
おそらくそんな要素が含まれているハズで。
そして、
こんな会話から推察される「常識的な大人」というのは、
そんな子供じみた世界観の中だけで生きている人の事では無く。
現実もしっかりと受け止め、厳しい社会生活や
責任も果たしながら生き抜いている人の事であろうかと。
だから「素敵な大人」というのは、
その両方を持っている人の事ではないか?と。
いくら歳を重ねても、
いくら社会の残酷さに突き当たっても、
大切な大人の責務を果たし。
その上で常に子供の様な純粋さと遊び心に満ちていて、
大志や夢も失わない。
もし失っても、
また新たにそんな心を自身の中に生み出し、
社会を歩んでいく......
そんな大人達のことを「素敵」と言うのではないのか、と。
この映画にはそんな「素敵な大人」が沢山登場してきて、
そんな登場人物達の生きる姿が、時折、
思いもよらない場面で僕に涙を溢れさたりもさせるのです。
「面白い!」とか、
「泣ける!」とか、
「感動!」「大作!」「派手!」とか、
決してそういう感じの作品ではなく。
とにかく「素敵」という言葉が良く似合う、
その言葉のままの映画でした。
「精進せよ。精進せよ。。」
スクリーンの隅々におかれている作品のメッセージというのは
そんなことなのかな......と。
素敵な大人である為に、成る為に、しっかりと精進せよ......と。
なんだかとても「素敵な映画」でした。(^^)
最近google mapに追いやられてすっかり見なくなってしまった地球儀。
我が家の地球儀は光ったりなんかして。( ̄∇+ ̄)vキラーン
劇中にもありましたが、
日本における地球儀は安井算哲が最初に創ったと言われているようです。
天球儀や天文台などもその様で。
そんな安井さんは文化への様々な貢献が認められ、
後年は幕府より武士身分を与えられ、
名前も「渋川春海=しぶかわはるみ」と変えたそうです。
これにより、
父である「初代」安井算哲と分けて記される様にもなったようで。
東京、上野にある国立科学博物館では、
この渋川春海が作った地球儀や天球儀や暦も見れるそうで。
今度見にいってみよーーっと。(^。^)
このブログは
「何か足りないな、、」
「何か無くしちゃったかな、、」
「少しでも自分の支えとかにならないかな、、」
とか、縁あって訪れてくれた大切な人達が、
その時々に必要としている「心や気持ち」が見つけやすい様に、
カテゴリーに関しては、
自分が書き記している時に心中で感じている「感情別」に分けてあります。
そんなコトもあって、
自分の中にポジティブに仕舞えていないネガティブなことは記さずに、
一旦外し置いていたりもしています。
そして今回、
これまでに記して来た過去記事をよくよく眺め直してみると、
「素敵だな......」
という思いで書かれている記事も多くある事に新たに気付きました。
なので「素敵カテゴリー」なるものを新設してみました。
知己的にも、今日は、
「少し進歩出来た日なのかな......」
と、見事!?
「素敵」の明察もさせられちまったぜーい!
悔しーーーっ!(><)
「陰陽師」
などを手がけて来たアカデミー賞監督、
滝田洋二郎さんの最新作「天地明察」。
その冒頭はこんなナレーションで始まりました......
———————江戸前期、鎖国の世。
コペルニクスの地動説や地球が丸いことさえ
ほとんど知られていなかった。
星空が今よりさらに神秘に満ちていたそんな時代。
天体の謎に挑んだ男がいた————————
僕は映画館では見れなかったので、
最近、DVDでユッタリと見てみたのですが、
それは思いもよらず心地良い作品で。
特段、派手なシーンやストーリーがあるわけでは無いのですが、
見ていて不思議と涙が溢れてしまうような場面が沢山あって。
僕にとっては、ですが、意外にも、
熱い何かが深く溶け込んでいるような、そんな作品でした。
そして、
「そんなふうに感じさせられた一番の要因は何だったのだろう?」
......と少し考えてみると。
それは、常に大志と愛を失わず、
情熱と思い遣りをもって人生を歩んでいる
多くの登場人物達の姿に起因しているようでした。
主人公「安井算哲(やすいさんてつ)」が幕命で参加した
「北極出地(ほっきょくしゅっち)」
という日本の測量旅プロジェクトにおいて、
プロジェクトリーダーである「建部伝内(たけべでんない)」は
幕府の御用頭取を務めていました。
建部は分からないことや、知らなかったこと、
間違った計算をしたりするようなことがあると、いつも
「悔しい、悔しい、、」
と口癖の様に言い続けていました。
純粋で子供の様な個性を持った賢者として描かれていましたが、
学問に励む一方で、捨て子すらも預かり、
立派に育て上げているような大人でもありました。
そんな建部が主人公の算哲に常に話し、託していた言葉は
「精進せよ。精進せよ」
でした。
当時の会津藩主であり、
「将軍後見」という、今でいう内閣官房長官!?
のような要職に就いていた「保科正之(ほしなまさゆき)」は、
「食」を始めとした天体現象とのズレが目立って来ていた
当時の暦の再編を志し。
その思いと責務とを算哲に言い渡す際にこう話していました。
「余には積年の宿願がある。
時を司るという事は即ち国が治まるということだ。
武士の世に成ってそれを果たしえた者はない。
幕府も民も未だ誤れる時に従っている。
正しき暦は即ち権威でもある。
算哲!
古き暦を捨て、この国に正しき天理をもたらしてくれ......
......御主に改暦の義を命ずる。
安井算哲よ!
天を相手に真剣勝負をみせてもらう」
算哲に学問の基礎を教え、
その場に同席もしていた偉大な教師
「山崎安西=やまざきあんざい」も、
保科正之の言葉にこう付け加えました。
「暦は宗教、政(まつりごと)、
経済にまで大きな影響を及ぼすもの。
たかが暦、されど暦でございます」
こうして主人公の算哲は、
多くの「大志を持った大人達」に囲まれ、支えられながら、
人生の全てを賭けた暦の改訂に乗り出していきます。
算哲を始めとした、
そんな賢人達が変えようとしたその時の暦は、しかし、
平安の昔から800年以上に渡り使われ続けて来たものであって。
民衆の暮らしにも深く溶け込んでいた「空気」とも言えるような暦。
その変革は固定概念や常識といったような
強固磐石なるモノへの挑戦でもあり、
そんなモノを造り上げて来た為政者や、
権力そのものへの挑戦でもありました。
当時、暦を変えるということはソレくらい大きな事であり、
天の理を地上に写すというような仕業。
それは神の代弁者として事を記すような仕事。
算哲を始め、そんな変革を進めていこうとする登場人物達の姿は、
皆、子供の心を宿したまま大きくなった大人ばかり。
そして、そんな人達の姿は僕の心をとても強く打ちました。
「子供心」というのは、
きっと「純粋」さと「遊び心」であって。
そして、そこから生まれ出る「夢」のことでもあり、
「志(こころざし)」のことでもあって。
「そんな子供みたいな事ばかり言って、、、」
「お前はいつまでたっても子供じみてるな、、、」
......などと言われる時、そこには、
おそらくそんな要素が含まれているハズで。
そして、
こんな会話から推察される「常識的な大人」というのは、
そんな子供じみた世界観の中だけで生きている人の事では無く。
現実もしっかりと受け止め、厳しい社会生活や
責任も果たしながら生き抜いている人の事であろうかと。
だから「素敵な大人」というのは、
その両方を持っている人の事ではないか?と。
いくら歳を重ねても、
いくら社会の残酷さに突き当たっても、
大切な大人の責務を果たし。
その上で常に子供の様な純粋さと遊び心に満ちていて、
大志や夢も失わない。
もし失っても、
また新たにそんな心を自身の中に生み出し、
社会を歩んでいく......
そんな大人達のことを「素敵」と言うのではないのか、と。
この映画にはそんな「素敵な大人」が沢山登場してきて、
そんな登場人物達の生きる姿が、時折、
思いもよらない場面で僕に涙を溢れさたりもさせるのです。
「面白い!」とか、
「泣ける!」とか、
「感動!」「大作!」「派手!」とか、
決してそういう感じの作品ではなく。
とにかく「素敵」という言葉が良く似合う、
その言葉のままの映画でした。
「精進せよ。精進せよ。。」
スクリーンの隅々におかれている作品のメッセージというのは
そんなことなのかな......と。
素敵な大人である為に、成る為に、しっかりと精進せよ......と。
なんだかとても「素敵な映画」でした。(^^)
最近google mapに追いやられてすっかり見なくなってしまった地球儀。
我が家の地球儀は光ったりなんかして。( ̄∇+ ̄)vキラーン
劇中にもありましたが、
日本における地球儀は安井算哲が最初に創ったと言われているようです。
天球儀や天文台などもその様で。
そんな安井さんは文化への様々な貢献が認められ、
後年は幕府より武士身分を与えられ、
名前も「渋川春海=しぶかわはるみ」と変えたそうです。
これにより、
父である「初代」安井算哲と分けて記される様にもなったようで。
東京、上野にある国立科学博物館では、
この渋川春海が作った地球儀や天球儀や暦も見れるそうで。
今度見にいってみよーーっと。(^。^)
このブログは
「何か足りないな、、」
「何か無くしちゃったかな、、」
「少しでも自分の支えとかにならないかな、、」
とか、縁あって訪れてくれた大切な人達が、
その時々に必要としている「心や気持ち」が見つけやすい様に、
カテゴリーに関しては、
自分が書き記している時に心中で感じている「感情別」に分けてあります。
そんなコトもあって、
自分の中にポジティブに仕舞えていないネガティブなことは記さずに、
一旦外し置いていたりもしています。
そして今回、
これまでに記して来た過去記事をよくよく眺め直してみると、
「素敵だな......」
という思いで書かれている記事も多くある事に新たに気付きました。
なので「素敵カテゴリー」なるものを新設してみました。
知己的にも、今日は、
「少し進歩出来た日なのかな......」
と、見事!?
「素敵」の明察もさせられちまったぜーい!
悔しーーーっ!(><)